ギリシャ神話とシューベルト

     「 女 神 た ち の 記 者 会 見 」
     
  そ の 1・・ ア ル テ ミ ス・・ 「 月 に か わ っ て オ シ オ キ よ ! 」。

記者1「アルテミスさん、本日は私どもシューベルト協会の“例会”へわさわざお運び下さいまして、有り難うございます。さっそく本会主催の“記者会見”を始めたいと思いますが、はじめに一言ご挨拶をお願いします」。
アルテミス「わざわざ“例会“へ呼んで頂いて光栄です。ほかならぬY・C・Mが主宰する団体だそうなので、これは何をおいても出席しなくてはと、取るものもとりあえず駆けつけました。私がこの地球上で活躍していた頃は、この列島はまだ縄文時代だったと思いますが、私のような者に特別な関心を寄せてくれる人たちがいるなんて、それだけでもとてもうれしいと思います」。
記者2「さっそくですが、あなたのお名前はローマではディアナで、それを英語読みするとダイアナという、生前は英国でいろいろスキャンダルが取り沙汰されていた皇太子の元お妃と同じになりますネ。ご存じでしたか?」。
アルテミス「もちろん知ってましたけど、格別の関心はありませんでした。向こうが私のことを意識してそういう名を名乗っていたわけでもないようですし・・でも、かの女は”非業の死”を遂げてから、天国で私のあとを継ぐ女神の一人になるために、今も一生懸命修行を続けています」。
記者3「女神さん、あなたの生まれたのはどこなんですか?」。
アルテミス「ウフフ・・どこだと思いますか?」。
記者3「エーゲ海のどこかでしょう?」。
アルテミス「残念ながらエーゲ海ではありません。第一ギリシャですらないんです。これから登場する3人の女神もそうですが、みんなギリシャ人どころか、それに敵対して滅ぼされてしまった民族の守護神だった人ばかりなんですよ・・アフロディーテはアフリカ生れだし、アテーナーも北アフリカのリビアの生まれ、主神ゼウスの后として知られるヘラだって、実は今のトルコのアナトリア地方にいた民族の崇拝していた女神だった・・それがみんな、コーカサスの方から来た蛮族のアカイア人たちに征服されて奴隷にされてしまった。その子孫であるギリシャ人の作った“オリンポスの神話”というのは、実は私たち女神に仕える巫女たちが、すべて男の奴隷に変えられて行く悲しい歴史を背景にもっているんだ、ということ、これをぜひ忘れないで下さい」。
記者4「ほう、初めて聞くハナシですね・・で、あなたの生まれたのは?」。
アルテミス「それが、これから歌われる歌に出てくる“タウリス”です」。
記者5「それは、今の国でいうとどこになるんですか?」。
アルテミス「ウクライナです」。
記者たち、一斉にへえっという声を上げる。                   
アルテミス「ウクライナのクリミア半島、黒海の沿岸に突き出した半島で、第2次大戦末期に連合国の首脳が集まって会談を開いたヤルタという町もある半島です。ここに住んでいた遊牧騎馬民族・スキタイ人たちの守護神が私だったのです」。
記者6「それはどんな人たちだったんですか?」。
アルテミス「ギリシャ人と一番ちがっていたのは“母系制”だったことです。女王の支配するこの社会では、女性がすべて中心になって世の中を動かしていたんです。家庭でも中心になるのは女性で、母親から娘へと家系が伝わって行く社会、これが何千年も続く伝統になっていました・・だから、これからの2000年は、今までの家父長制がどんどん崩れて、女性の力がますます強くなって行く時代になります。これは時の流れですから、誰にも止めることはできません」。
記者7「ところで、これから歌われる歌の題名“イフィゲーニア”というのは、誰のことですか?」。
アルテミス「後で出てくる“トロイア戦争”の時に、ギリシャ軍の総大将だったアガメムノンという残忍なミュケーナイ国王の娘で、のちには私の神殿の巫女として、永遠の生命を授けられました」。
記者8「あなたはかの女を拉致したんでしょう?どうしてそんなことをしたんですか?」

記者9「まるで、ある時代のある宗教団体みたいですネ」。
アルテミス「ことの起こりはかの女の父親が、私を侮辱するコトバを吐いたことにあります。ギリシャ人の神話では、狩りの腕が私より上だと自慢したということになっていますが、そんな生やさしいものではありませんでした。私の彫像をまるでダッチワイフのようにオモチャにして汚したのですよ・・汚いコトバを浴びせながら。今なら完全な“セクシャル・ハラスメント”です」。
記者10「それでどうしました?」。
アルテミス「港に碇泊していたギリシャ軍の艦隊が出帆できないように天候を狂わせて、占い師に“国王の娘の一人をイケニエに捧げない限り怒りは解けない”、と言わせました。末娘のイーピゲネイア、ゲルマン風の発音で“イフィゲーニア”が、みずから進んで犠牲になる決心をしました。私は、いざ殺されるという瞬間にかの女を空中へさらい、身代わりに一頭の牡鹿を祭壇に残しました。そしてかの女を私のふるさとであるタウリスへ連れて来ました」。
記者1「かの女は帰りたがったでしょう?」。
アルテミス「ええ、はじめのうちは・・でもそこで暮らすうちに、あんなひどい父親の所にいるよりも、ほんとうの女性の自由と向上を目指して修行を続ける方が、実は自分の幸せにつながるんだ、という真理に目覚めて、私の巫女として永遠の生命を授かり、今も活躍を続けています」。
記者2「あなたの職掌というか、あなたは何を司る女神なんですか、?」。
アルテミス「月と狩りと処女の女神、というのが私の通称です」。
記者3「永遠の処女ですか?退屈しませんか・・あるいは欲求不満とか・・」。
アルテミス「私が“処女の守り神”だということは、私自身が生物学的に処女だということとは、何の関係もありません。すべての女性は、心の純潔というものを大切にしなければならない、というのが、私のいつも巫女たちに説いている教えなのです」。
記者4「すると、あなた自身はもしかすると“非処女”だ、ということもあり得るワケですか?」。
アルテミス「そういうプライバシーに関する質問にはノーコメントです。でも、私が自分に仕える巫女たちに対しても、肉体的・生物学的な処女性を強制しているように思われているのは、大変心外です。私がかの女たちにいつも言っているのは、肉体の誘惑に負けて男の奴隷になってはいけない、ということだけなのですから」。
記者5「伝説によると、あなたは水浴びをしている姿を猟師の一人に見られたので、ハラを立てて牡鹿の姿に変えて、狩りの獲物にしてしまったそうですね?」。
アルテミス「それは誤報というよりも作り話ですね。しかし、たとえフィクションであっても、ノゾキやチカン行為にうつつを抜かしていると、月に代わってオシオキしますよ、という警告としては有益だと思います」。
記者6「厳しいですネ・・このヘアヌード全盛の時代には」。
アルテミス「覗いただけで殺したりはしませんから、安心して下さい(笑)。もっとも、サチュロスという下半身が獣(けもの)の人間たちに襲われた時には、必死で戦いましたけど・・いつの時代でも下半身だけは獣だという男性は尽きませんネ・・オホホ」。
記者1「ではそろそろ歌の方に移らせて下さい。どうも有り難うございました」。
アルテミス「一緒に聞きましょう・・じゃ、イーピゲネイア、用意はいい?」。
イーピゲネイア「はい、女神さま・・歌わせていただきます」。

  ・ 「 イ フ ィ ゲ ー ニ ア 」
「タウリスの浜辺には、ふるさとに咲いてる花もない。そよと吹く野の風も来ない。
なかよく兄弟と遊んだ思い出も、はかなく消えて、あてどなく歩く森。希望にも見放され、ふるさとは遠い。海には荒波が、岸辺に押し寄せて、祈りをかき消す。
救いの女神よ、不毛の土地から、助け出してください、もう一度だけ。家族に会わせて、女神よ、あの宮殿の玉座に帰らせて、玉座の父のもとへ!」。

  そ の 2・・ ア テ ー ナ ー・・ 「 知 ら れ ざ る 素 顔 」・−
 ・。

記者1「次の歌“ヘクトルの別れ”というのは、トロイア戦争の物語がテーマですから、ここは一つ、今もギリシャの首都として名を残している女神のアテーナーさんに登場してもらいましょう・・どうぞこちらへ」。
アテーナー「よろしく・・みなさんが想像してたのと、素顔の私があんまり違うので、ビックリしたのではないでしょうか。私は金髪でもないし、青い目でもないんですよ」。
記者2「黒くて大きな瞳が先ず印象的です・・それにいわゆる“緑の黒髪”、肌もこんがり焼けていらっしゃいますネ」。
アテーナー「アフリカのリビアの生まれですからネ。昔あそこにあった“トリトニス湖”のほとりで生まれたので、“トリトゲネイア”と呼ばれました。今もあるトリポリという街は、このトリトニスにあるポリス(都市)という意味なんですよ。また、私には“フクロウの目をした”という形容詞がついていますから、ゲルマン人たちが自分たちと同じ“金髪碧眼”だとしたのは、完全なコジツケです。さっきアルテミスが言ったように、私も金髪碧眼の侵略者・アカイア人たちに滅ぼされた先住民の守り神でした。主神ゼウスの頭から兜をかぶって完全武装で生まれた、というのもデマです。ヘラはムリヤリ“お后”にされましたが、私は“娘”にされたのです、ムリヤリね」。
記者3「それは分かりましたが、今お聞きしたいのは、例の“トロイア戦争”の真相でして・・あの戦争の原因は、あなたとヘラさんが、トロイアの王子のパリスの主催する“ミスコン”で負けたので、そのハライセにあの国を滅ぼしたのだ、と言われています。これは事実ですか?」。
アテーナー「今だったら私は、“ミスコン反対”の急先鋒に立って糾弾していたでしょうネ(笑)・・でも、あの時は別の理由があって、私も立候補したんです。“知恵と武勇”に輝くアマゾネス軍団の代表として。あの国の政権を私か、ヘラか、それともアフロディーテか、三人の誰に任せるか、という競争だったのです。王子パリスはアフロディーテを選びましたけど、誰が勝ってもどっちみち、侵略して来るギリシャ軍と戦うしかなかったでしょう。私とヘラがギリシャ軍に味方した、というのも完全な歴史のスリカエです。アキレスと戦って死んだアマゾネスの女王・ペンテジレイアというのがいますが、あれが実は私の正体なんです。男性の支配に最後まで抵抗した私が、男性支配の古典ギリシャ文明の守り神にされてしまったんですから、運命の皮肉というより、まったくやりきれない思いです。でも・・これから二千年かけて、女性の力をゆっくりと確実に回復して行くつもりですから、“今に見ろ!”、という気持ちですネ」。
記者4「それはそれとして・・ヘクトルというのは、トロイアの第一王子として、国を守るために、死を覚悟してアキレスと一騎打ちを演じて、そして無残な殺され方をしてしまいます。その妻ばかりか、両親の目の前で死体を引き摺って見世物にする、というのはちょっと正視できない光景ですネ」。
アテーナー「しかも、その死体を返してもらうために、年取った王さまのプリアモスは、莫大な報酬を払わされるばかりか、土下座してアキレスに泣きながら哀願する、というのですから・・やがて後の時代に、ギリシャ人はトロイア人の子孫であるローマ人たちに征服されて、奴隷にされてしまうのも当然の報いでしょう」。
記者5「ギリシャ文明の象徴のように言われるあなたが、そんなにギリシャ人を憎んでいたなんて、夢にも思いませんでした。ほんとにオドロキです」。
アテーナー「事実は小説よりも奇だ、ということわざがあるでしょう、この国には?」。

記者6「いや、ほんとにビックリしました・・では、これからそのヘクトルが、妻のアンドロマケと別れて戦いに赴く場面を歌った曲を聞くことにしましょう」。

  ・ 「 ヘ ク ト ル の 別 れ 」
「アンドロマケ『いまや、永遠(とわ)の別れの日。アキレスのむごい手で、あなたはいけにえに。誰が教えてくれる?槍投げの鋭い技を。冥府に呑まれたら、祭りごとも絶える』。
ヘクトル『妻よ、涙を抑えよ。戦さが私を呼ぶ。国を守るために、聖なる神々の意思で、祖国を守るため、地獄の底まで。妻よ、泣くことはない。戦さは避けられない。国を守るために、聖なる神々の意思で、祖国を守るため、地獄の底まで、命を捨てに行く』。
アンドロマケ『もう二度と聞けなくなる、あなたの鎧(よろい)の音。プリアモスの血も絶える。行ってしまうの、暗い国へ?嘆きの川が流れる国、愛の火も消える国、愛の火も消える国?』。
ヘクトル『この世の名残りはみな、レテの河に捨てよう。でも、愛は捨てない。でも、愛は捨てない。おお!敵はそこまで来た。剣を取れ、泣かないで!この愛は死にはしない。この愛は死なない。嘆くな!この愛は死にはしない。死にはしない。死にはしない』。」。

  そ の 3・・ ア フ ロ デ ィ ー テ ー・・ 「 恋 の 神 と 芸 術
  の 神 」・・

記者1「さて、次は“ミューズの子”という歌なので、キューピッドの登場になるわけですが、“女神の記者会見”という制約がありますので、母親のアフロディーテーさんに出て頂きましょう・・どうぞ!」。
アフロディーテー「よろしく・・これから私を呼ぶ時は、縮めて“アフロさん”でいいですよ。でも、もっとポピユラーな呼び方で“ビーナスさん”と言われると、何だか安売りされてるみたいで、とてもイヤですけどネ・・ウフフ・・でも、みなさんは、ビーナスよりボーナスの方が関心があるのかも知れません(笑)」。
記者2「この原詩はゲーテですけど、“芸術の神・ミューズの息子”という題名です。恋の矢を背負っている“キューピッド”とは、ちょっとイメージが違うようにも思いますが・・」。
アフロ「息子のクピド(キューピッド)は、私が未婚の母として産み育てた男の子です。ローマ人たちは“アモル”と呼んでいます。また、エロスという別名もあります。学者たちは、人間の“性衝動”、フロイドのいう“リビドー”を人格化したものだ、と言っていますが、そんなことはともかく、性別こそ違っていても、息子は私の分身として、男女のあらゆるイトナミを司って来ました。“ミューズ”というのは、英語の“ミュージック”の語源にもなった“ムーサイ=芸術の神々”から来たコトバですから、その意味からすると、ちょっと血筋が違いますネ。息子とかれらは親戚ではありますが、親子ではありませんよ。しかし、恋を離れた芸術などは、肉を離れた骸骨のようなものですから、この二つは切っても切れない仲だと思って下さい」。
記者3「息子さんの父親は誰なんでしょうか?」。
アフロ「野暮な質問はしないで下さいな・・私は父親に“認知”してもらおうなんて、これっぽっちも思っていませんからネ(笑)。まして“血液型”だの”DNA”だの、そういうコセコセした手段で鑑定しようなんて、そういう趣味は一切ありません」。
記者4「あなた自身の親は誰なんですか?」。
アフロ「まるで“戸籍調べ”ですネ・・ウフフ・・私の父は天空、つまり大空の神ウラノスです。かれは不運にも息子のクロノスの鎌で去勢されてしまったのですが、その時に流れ出た血潮が海の泡になって、そこから私が誕生したのです。その時の記念写真をもとに、ルネッサンス時代のボティチェリという画家が、あの有名な“ビーナスの誕生”という絵を描きました。ご存じでしょう?」。
記者5「もちろん知ってますが、まさかそんな時代に写真はなかったでしょう?」。
アフロ「そこが素人のアカサカ、じゃなかったアサハカというものです。私の名を取って名付けられた“アフリカ”という大陸には、“タッシリの岩絵”というものがあって、今のこの時代の写真なんかよりずっと精密な復元図が、今から何万年も前に完成しています。ヨーロッパのラスコーやアルタミラにも、同じようなものがあります。まして、この地球の原始の海が出来かかっていた何十億年も昔のハナシです。どれほど凄まじい技術文明があったか、それはもうあなた方の想像をはるかに越えているのですよ・・これについては、これ以上いくら話してもムダですから、ここで打ち切りましょう」。
記者1「では、ハナシをもとに戻して。アフロさん、あなたはトロイアの王子が主催する“ミスコン”で、他の二人を押さえて優勝したんですネ?」。
アフロ「あれは、ただの“ミスコン”ではありません。国の行く末、ひいては人類の行く末を左右する重大な選択だったのです。アテーナーの『知恵と武勇』、つまり知識や軍事技術を選ぶか、それともヘラのすすめる『富と権力』、つまり生活の安定と経済的繁栄を選ぶのか、それとも私のすすめる『美と愛欲』、つまり芸術と恋にすべてを賭けるのか、という選択です。かれが私を選んだ、ということは、たとえいかなる犠牲を払っても、人類は『美と愛』を追求する本能を捨てることはない、たとえ国を滅ぼす結果になろうと、恋に命を賭け、芸術に殉ずる人間が必ずいる、という真実を証明しているのです。かれ、私を選んだパリスこそ、ほんとうの『男の中の男』と言っていいでしょう」。                     

記者2「では、そろそろ息子さんの歌を聞くことにしましょう」。

   「 ミ ュ ー ズ の 子 」

「野山を越えて、口笛吹いて、飛んで歩く、それが仕事さ。リズムに合わせ、拍子を取って、まわりはみな、踊りを踊り、駆けて行くよ。庭の片隅に花が咲いてる、木にも咲いている。歌の力で、たとえ冬でも、花を咲かそう、花を、花を咲かそう。氷と雪に埋め尽くされた、冬の山も甦(よみがえ)らそう。花が消えても、この喜びは、消えはしない。歌を歌えば、幸せだよ!リンデの樹の陰に、人が見えりゃ、すぐに飛んでって、歌の力で踊り出させる、ぼくのメロディー、不思議なぼくのメロディー。翼をつけた靴にまかせて、飛び回ろう、恋を届けよう。けれど、このぼくはいつになったら、休めるだろう?あの娘(こ)の胸で、休めるだろう?」。

  そ の 4 ー ヘ ラ ー 「 悲 劇 の ヒ ロ イ ン 」

記者1「それではいよいよ最後のお一人になりました。登場して頂きましょう、主神ゼウスのお后(きさき)・ヘラさんです・・どうぞ!」。
ヘ ラ「どうぞよろしくお願いします」。
記者2「これから歌う歌は“ガニメート”という、これはご主人が気に入って天上へ連れて来てしまった美少年でしょう?お后のあなたとは、あまり相性がよくないのではないか、と思うのですが・・」。
ヘ ラ「ええ、そうですね」。
記者3「なのにどうして、この歌の引き立て役をあえて買って出たんですか?」。
ヘ ラ「その答えを言う前に、まず私の質問に答えて頂けませんか?」。
記者4「はい・・いいですよ」。
ヘ ラ「英語でhero(エイチ・イー・アール・オー)というのは何ですか?」。
記者4「えーと・・“ヒーロー”だから、英雄という意味でしょう?」。
ヘ ラ「それはもともとギリシャ語で、物語やドラマの主人公を表わすコトバでした。とくに悲劇の主人公をネ。それの女性形が、私の名前のhera(エイチ・イー・アール・エイ)、つまりヘラです。だから、私はその名前そのものがすでに、悲劇のヒロインを表わしているのです」。
記者5「はあ!?なるほど、それは少しも気がつかなかったな。それで?」。
ヘ ラ「ということは、私は生まれながらにしてすでに悲劇のヒロインである、という宿命を負っていることになります。ヨーロッパからアジアにまたがる広い地域の“母権制”の社会、つまり女性が中心になって動いていた国々の“母神”として崇拝されていた私から、その権力も権威も人民もすべて奪って自分のものにしてしまったギリシャ人の祖先である“神々の王者・ゼウス”、私の夫であるかれこそ、私を玉座からひきずり下ろして凌辱し、巫女たちのすべてを奴隷とし家畜として横領・算奪した張本人なのです。巫女たちばかりではありません。この歌の主人公であるガニメ-デ-ス、つまり私の息子まで奪ってお小姓の一人にしてしまったのです」。
記者6「え!?ほんとですか?・・にわかには信じられませんね・・少し被害妄想になっているのではありませんか?」。
ヘ ラ「あなた方が信じようと信じまいと、事実に変わりはありません。かれを中心とする古典時代の神話はすべて、私たち女神の血と涙の犠牲の上に築かれたものなんですから。かれと私の夫婦生活といったら、今の人のいう“家庭内離婚”なんか問題にならないくらい悲惨な状態でした・・有史以来ずっとネ」。
記者7「ちょっと一方的過ぎますね・・ご主人の言い分も聞かないと、公平な判断はできませんよ」。
ヘ ラ「まあ、これ以上言ってもムダのようですから、亭主の誹謗中傷はここまででやめますけど・・この列島の神話に出てくる“スサノオ”が、亡き母親をしたって“青山を泣き枯らした”のと正反対に、女手一つで育った息子のガニメデスは、父親の愛情に飢えていたようです。だから、こんな形で“青くて丸いこの惑星”を離れて、遠い宇宙へ旅立ってしまいました。その時の記録が、こんな歌になって残されたんですネ・・」。
記者7「関連質問になりますが、その“青くて丸いこの惑星”というセリフだけは、ゲーテの原文にはない、という抗議があります・・ご意見はどうでしょう?」。
ヘ ラ「わたくしはゲルマン人のコトバにはあまり詳しくありませんが・・“Die Wolken neigen sich der sehnenden Liebe”ですから、直訳だと、“雲もなびいて憧れる愛に答える”、というような意味になるでしょう・・でもこれじゃ、平面的過ぎておもしろくありません。やっぱり“天に上る”以上は、宇宙船から眺めた時のような壮大な立体感をコトバにしてもらいたいですネ」。                             

記者8「でも、この時代にはまだ“宇宙船”なんてものはありませんでした」。

ヘ ラ「そこがあなた方の視野の狭い所です。もっとずっと時代をさかのぼれば、宇宙船はもとより、“核戦争”だって“スターウォーズ”だって、いくらでもあったんですから・・とにかく、息子のための“レクイエム”としてなら、私は無条件で“青くて丸いこの惑星を離れて”の方を採用します」。
記者9「お母さんがそうおっしゃるなら、そうするしかありませんネ・・大ゲーテには申し訳ないけど」。
記者1「では、聞くことに致しましょう」。

   「 ガ ニ メ ー ト 

「朝日のように、燃える光、春は恋人。花は咲き乱れて、心に染みる。暖かな大気、いい気持ち、果てしない春よ!君を腕に抱き締めて、このまますぐ消えて行く。草花も微笑んで見送る。美しい春に包まれて、天に上ろう。ウグイスが鳴き、霧が立ち上ぼる。 行く、行くよ、ああ、どこへ、どこへ?上って行く、上って行く、雲ははるか下、青くて丸い、この惑星を離れ、ああ、はるか遠くに、力強い両腕が待ってる、愛する父上が 。青くて丸い、この惑星を離れ、ああ、はるか遠くに、力強い両腕が待ってる。愛する 父よ、愛する父よ!」。

記者1「これで今日の記者会見を終ります。四人の女神と歌姫、それにピアノの伴奏をして下さった方に、盛大な拍手を!」。

           ー お わ り ー






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