恋する神々とシューベルト・                      イ ン テ ル メ ッ ッ オ ( 幕 間 狂 言 )
                                           Y・C・M作

Y・C・Mと八人の女神たち。グレゴリオ暦1995年12月。アニマル列島ニッポン国の都。
Y・C・M「ここにギリシャの女神たちに集まってもらったのは、ほかでもない。来年のシューベルト協会の催しで、『ギリシャ神話シリーズ』を連続的に取り上げて行きたいからなんだ。ところが、このセンセイの作曲している歌は、合唱・重唱も含めて圧倒的に『男の歌』が多いんだよ。どうしてそうなのかはよく分からないが、“シューベルトはホモだった”という説も、まんざら見当はずれでもないとさえ思えてきたネ。君たち歴史を変える絶世の美女をスンナリ登場させるために、この所毎日悪戦苦闘の連続だよ・・」。
アテーナー「そういえば、“笑点”の噺家の一人が言ってましたネ。“只の美女は男を替える。絶世の美女は歴史を変える”って・・これは名言だわ」。
アフロディーテー「あのシャイで優しい若者がホモだったんですか?信じられないわ。何かのマチガイじゃないんですか?ほんとに女がキライだったら、あんなに心を揺さぶる名曲を何百も残せるわけがありませんよ」。
ヘ  ラ「私もそう思います。色魔や詐欺師のようにコトバで人を酔わせるのではなくて、音の響きとメロディーで、あれほど私たち女神の心を有頂天にさせる力は、まさしくミューズたちから授かった天与のたまものですから・・ガニュメデスみたいに大神ゼウスのペットにされてしまうのは、もったいないというより、それこそ神聖冒涜そのものですわ」。
アフロディーテー「『ミューズの子』はあくまでも男の子らしく、最後は『あの娘の胸で憩んで』もらいたいわね」。
 

 『 ミ ュ ー ズ の 子 』 D 7 6 4  
 

「野山を越えて、口笛吹いて、飛んで歩く、それが仕事さ。リズムに合わせ、拍子を取って、まわりはみな、踊りを踊り、駆けて行くよ。リンデの樹の陰に人が見えりゃ、すぐに飛んでって、歌の力で踊り出させる、ぼくのメロディー、不思議なぼくのメロディー。庭の片隅に、花が咲いてる、木にも咲いている。歌の力で、たとえ冬でも、花を咲かそう、花を、花を、咲かそう。氷と雪に埋めつくされた、冬の山もよみがえらそう。花が消えても、この喜びは消えはしない、歌を歌えばしあわせだよ。翼をつけた靴にまかせて、飛び回ろう、恋を届けよう。けれどこのぼくは、いつになったら、休めるだろう、あの娘の胸で、憩めるだろう?」。

アルテミス「私の巫女というより化身といっていいイーピゲネイアには、あんなにいい歌を捧げてくれたのに、ほかの女神さまたちにはどうしてもっと歌をたくさん残してくれなかったんでしょう。あの有り余る才能をここにいる八人の女神たちのために使い切ってくれたら、それこそかれをオリンポスの十二神の一人として推薦してもいいくらいなのに・・」。
デメーテル「あのディオニュソスの代わりに?それは可哀相よ、ディオ君が。13番目にするんならいいけどネ・・それはそうと、私を歌った歌があることはあるのよ。娘のペルセポネー又の名プロゼルピーナを、冥府のハデスにさらわれた時の母親の悲しみを歌ったのがネ。『ケレスの嘆き』という題名よ」。
アテーナー「でも・・それはペータース版の“シューベルト全集”には入ってないようです。だから急場の間には合いそうもありません・・困りましたネ」。
Y・C・M「ま、ペータースなんてもともと、かれが生きていた頃には、出版を頼まれたのにケンもホロロの態度で断ってるようなヤローだからネ。多くを期待する方がムリというものだよ」。
アテーナー「『芸術家というものは永久に惨めな小商人の奴隷でいるように、国家の恵み深い制度によって決められているのですから』。これがかれ自身が父親に宛てた手紙の一節です」。
アフロディーテー「そんな国家はいっそ滅ぼしてしまった方がいいわ。恋と芸術、この二つを欠いた文明なんて、そんなものは存在する価値がないんだから。大体ヘラさん、それにアテナちゃん、あなた方二人は、ミスコンで私を選んだあのパリス、あの王子の故郷のトロイアを、当時の文明の最先端を行っていた豊かで美しいあの国を、アカイア人やドーリス人などという野蛮人の蹂躙するままにまかせた、という前科があるんですから。もしも今私がこの列島のニッポン人、Y・C・Mのいわゆるアニマル・ハポネンシスたちの国家を、オウムやジリノフスキーの手で滅ぼしたとしても、お二人には一切文句を言う資格はないんですからネ」。
ヘ  ラ「またまた、すぐにそんな過激なことを言い出すんだから、あなたの悪いクセよ、アフロちゃん。“破防法”でも適用されたらどうするつもり?」。
アフロディーテー「何言ってるのよ、ヘラさん。“破防法”だろうと何だろうと、人間から恋と芸術を奪うことは不可能だわ。この考え方に何かマチガイがある?」。
ヘ  ラ「三千年も昔の戦争ごっこをまた蒸し返すつもり?それなら私たちにも言い分があるわよ。あのトロイアが滅びたのは私たちのせいじゃない。あなたのせいよ」

アテーナー「まあまあ、二人ともそうムキにならないで!ここで内輪もめをしたって、始まらないでしょう・・・デメさんには悪いけど、その歌は今回は諦めましょう。Y・C・M、ほかにはどんな歌があるんですか?」。
Y・C・M「女性の名前がタイトルになってるのは、『ダポイネー』、『アンティゴネー』、『エコー』、『ウラーニアー』、それに『怒れるディアナ』、つまりアルテミスぐらいのものだな、完全にギリシャ神話から採ったことが明らかなのは。だが残念なことに、この『怒れるディアナ』の場合は、アルテミス、君自身の歌ではなくて、君の沐浴する姿を見て恍惚として、“殺されても満足だ”、と叫びながら死んで行く、たしか狩人のアクタイオンとかいう男の歌になってる」。
アルテミス「まあ、名前はよく覚えてないけど、困った男ですねえ・・でも憎めないわ、そこまで慕ってくれるなんて、むしろ光栄です。私がかれを銀の弓で射殺した、というのは、男の神さまたちが勝手に流したデマですからね、念のため。もちろんその頃の掟では、女神の沐浴する全裸の姿をのぞき見したりした男は、その場で処刑してもいいことになってましたけど・・死を覚悟してそこまでの冒険をあえてする勇気のある男は、ムザムザ殺したりしませんよ。むしろ英雄たちと一緒に、私が手を取って不老不死の世界『エリュシオン』へ連れて行きます」。
アテーナー「では、ちょっとその歌を聞いて見ることにしましょう」。
 

 『 怒 れ る デ ィ ア ナ に 』 D 7 0 7  

「私を射る弓を張れ、女神よ!怒りの姿も魅力的。私を射る弓を張れ、狩りの女神!
 怒り狂う姿もステキ、顔を赤らめ怒り狂う。後悔はしない、後悔はしない。
 藪の陰の道で、ひときわ美しい姿を見た。美しい火花が飛び散った。身体から火の粉
 が飛び散った。後悔はしない。後悔はしない。
 藪の陰の道で、ひときわ美しい身体を見た。瞼に二度と消えない姿が映った。闇に二度と消えない姿が残った。
 このまま死んでも悔いはしない。吐息も軽く吐き尽くせる、その光を浴びて、しあわせに包まれて。
 このまま死んでも悔いはしない。溜め息も軽く吐き尽くせるよ、裸の光浴びて、しあわせに包まれて。
 矢が来た。流れる血潮も、暖かな岸辺の波のよう。流れる血潮も、暖かな岸辺の波のよう。身体は麻痺してても、あの姿だけは忘れない。すべての記憶を無くしても、あの姿だけは忘れない。
 刺さっても、吹き出す血潮は、暖かなやさしい波だ。身体は麻痺しても、あの姿は消えない。あの姿は消えない」。

アテーナー「(“全集”をパラパラめくりながら)あら、『エコー』っていう歌があったんですか?それは素晴らしい、かの女を捨てたナルキッソス、つまりナルシズムの元祖ではなくて、叶わぬ恋に死んだこの女性を選んだのなら、かれはけっしてホモではありません。それはもう確信を持って言えます」。
Y・C・M「うん、オレもそう思う。君のカンは正しいね。ひたむきに愛しながら、現実にはただ、相手のコトバをオウム返しに繰り返すことしかできない哀れな女に、ここまで共感できるんだったら、それは絶対に女に冷たい男ではない。むしろ、余りにも女性を愛し過ぎたために、かえって当の女性にはその真意が伝わらなかった不幸な男、と言っていいだろう。ちょうど、人間を余りにも愛し過ぎたために、神々にも当の人間たちにも見捨てられたあの不幸な巨人、・・アテーナー、君のかけがえのない恋人、あのプロメテウスのようにネ」。    
ヘ  ラ「あら、Y・C・M、それは秘密にしておいて上げる約束じゃなかったんですか?」。
アテーナー「いいのよ、ヘラさん、ここには聞かれて困るような人物も動物もいないんですから・・なにしろ私やアルテミスさんを、“処女の守り神”として崇拝する信者たちが絶滅してしまってから、この惑星の暦ではもう二千年以上も経っているんですから。あなたとアトラスのことも、ここの住民たちに公開してもかまわないでしょう?」。
ヘ  ラ「私は別にかまわないわ、かれとのことを天下の歴史に公表されたって・・アトラスはもともと父『クロノス』が、私の将来の伴侶と定めたれっきとした恋人なんですから。横恋慕して私を手ごめにした上、巫女たちの命と引き替えにムリヤリ私を妻にした、あの残酷で色情狂の大神ゼウスに知られたって全然平気です。夫は私に対してはもはや、ヤキモチを焼くだけの愛情すらなくなっているんですから・・あの大相撲の天下の横綱と同じようにね」。
アフロディーテー「私たち高等生物には、ここのアニマルたちのスキャンダルには、何の興味もありません。恋人にしたい男性もいないわ、ここには・・むしろ息子のキューピッドに命じて、あちこちにいわゆる“不倫”や道ならぬ恋、老いらくの恋などの種を、毒ガスの代わりにバラまいてやったら、巷に浪費(ムダ使い)の精神が充満して、“バブル崩壊後”の冷えきった経済も少しは活性化するんじやないかしら。或る有名な経済学者が言ってたようにネ。なにしろ“景気回復の特効薬は恋愛だ”、というんですから・・ウフフフ」。

 ・ 『 恋 の 矢 は 飛 び 交 う 』 D 2 3 9 ー 3  
  あちらと思えばこちら、恋の矢は飛びまわる、黄金の細い弓から。
  当たりはしなかった?それは運がよかっただけ、それは運がよかったの!
  うなりながら飛んでくる、あの娘の胸が的だ!横にそれて行ったわ。
  胸はスキだらけ、またすぐにもどって来る、スキを見せてはダメよ!
*・『恋は気まぐれ』D239/6を追加。

アルテミス「ここで私も恋人を紹介させてもらいます。羊飼いの神さま・パーンですが、かれの歌も見当たりませんね・・シューベルトさんには」。
Y・C・M「強いてコジつければ『岩の上の羊飼い』かな・・十九世紀フランスの音楽家でC・ドビッシーという男は、パーンとシリンクスを題材にした名曲を残してるんだが、わが協会で取り上げるのはちょっと場違いだから・・残念だな」。
アルテミス「『岩の上の羊飼い』でいいじゃありませんか。私たち二人の愛の記念としては、かれがシリンクスという葦のお化けに空しい恋をしかけたなんて俗説より、ずっとこっちの方が相応しいと思うから」。
アテーナー「じゃ、それで決まりね。私とヘラさんには、それぞれの大事な人である巨人、『プロメテウス』と『アトラス』の歌を、アルテミスさんには今言った『岩の上の羊飼い』を、私たちの言葉では『エリュシオン』という天国にいるシューベルトさんから、それぞれ献呈してもらうことにしましょう。アフロさんとデメさんのお二人には、それぞれ一曲づつ選んで頂きます。何にしますか?」。
アフロディーテー「私はそれじゃ、『アンティゴネとオイディプス』にしましょう。父親を殺して生みの母親と結婚してしまったことを悔いて、生き地獄を味わうこの王さまの運命には、私もまんざら無関係ではありませんから」。
アテーナー「デメーテルさんは何にしますか?」。
デメーテル「私は反対に“母殺し”の罪で復讐の女神たちに追われる『オレステス』の運命に関わりましょう。アテーナーさん、あなたは裁判の結果男性の味方になって、かれに無罪を言い渡したけど・・問題はそれだけでは終わらないってことを、いろいろと討議しましょう」。
アテーナー「あれは私の名前や彫像を勝手に利用したアテーナイという都市の住民が下した判決で、この私の考えとは百八十度違ってます・・そのことはのちほどまた・・ではとりあえず曲を聞くことにしていいでしょうか、みなさん?」。
四人「はい、いいですよ」。
(この時 東 洋 の 女 神 た ち三人が登場)。
ジュリ(吉祥天)「遅くなって申し訳ありません。私たちにもお呼びがかかるなんて、ほんとに光栄ですけど・・『ギリシャ神話シリーズ』だというお話しなので、ちょっと場違いなのではないかと心配です」。
サラ(弁財天)「わたくしも。お役に立てるとはとても思えませんけど・・」。
イーシュバラ(観音)「ああ、それは心配ないわ、二人とも。このY・C・Mが私たちの役もちゃんと用意してくれてるそうだから、。そうでしょう?」。
Y・C・M「ああ、そうだよ。君たち三人にもちゃんと用意してあるんだよ、役ばかりか歌までネ」。
イーシュバラ(観音)「私に関係する歌よりもまず、このジュリちゃんに捧げたい『ミニョン』の歌と、それからこのサラちゃんに捧げてほしい『グレートヒェン』の歌、これをご紹介したいと思います。『ミルテと月桂樹の茂る南の国』を故郷とする、夭折してしまう薄幸の美少女ミニョン、これはまさに中国名『吉祥天女』のジュリちゃんの嵌まり役だと思うし、“未婚の母”になった上“子捨て・子殺し”の罪で処刑されてしまうという、この世の生き地獄を体験した末に、最後は恋人の魂を救う天使になる『グレートヒェン』こそ、この中国名『弁財天女』のサラちゃんに最も相応しい役だと思います」。
ギリシャの女神たち「賛成、賛成!(全員で拍手)」。
ジュリ(吉祥天)「ところでイーシュバラ(観音)姉さん、あなたにはどんな役が待ってるの?」。
イーシュバラ(観音)「お恥ずかしいけど『アベマリア』なの。この列島の徳川時代には“隠れキリシタン”という人たちがいて、私を拝むフリをしながら、観音像の中に“聖母マリア”の彫像を隠し持っていたらしいんだけど、実態というか役割にはそれほど大きな違いはなかった、というのが真相なんです。ゴリゴリのキリスト教徒には通じないかも知れないけど、私にだって“聖母”の役は十分果たせると思います。“子安観音”、あるいはいっそ“マリア観音”というカタチでネ」。

デメーテル「子育てのエキスパートとして一言。私たちの神話の舞台として知られている範囲は、後の学者たちが考えるより、はるかに広大な地域にまたがっているんですから、ユダヤ教、後にはキリスト教の“聖書”の舞台になる土地などは、当然その一部に含まれます。だから、ギリシャや後のローマの神話と“聖書”の神話とを特に区別する必要もないし、エジプトやメソポタミア、さらにはインド・イランから東南アジア・中国・チベット・朝鮮・ニッポン、さらには南北アメリカまで含む、それこそグローバルな広がりの中で、私たち女神の果たしてきた共通の役割を見直す必要がある、と思いますね」。
アフロディーテー「私の生まれた海を中心に考えれば、それこそこの惑星は一つにつながってしまうんですから、人種や民族による差別、まして“国家”の壁などはすべて取り払ってしまうべきだと思うわ」。
アテーナー「大賛成です。東洋の女神たち三人を暖かくお迎えしましょう、シューベルトとY・C・Mの旗印のもとに」。(
八人の女神全員の拍手と喚声)。

アテーナー「それではこれから曲を聞いて行くことにしましょう。最初はフロイドやユングによる心理学的なアプローチによって、この世紀になって急に有名になった『オイディプス』の神話に因む歌、『アンティゴネとオイディプス』です。この神話のもっている意味については、曲が終わってからゆっくり討議することにして、とりあえず聞いて頂きます・・では」。

 ・ 『 ア ン テ ィ ゴ ネ と オ イ デ ィ プ ス 』 D 5 4 2

「アンティゴネ:聞いてください、神さまたちよ、このお願いを!
        救いの風を苦しい父上の心に!早く怒りをしずめ、この命を奪りたまえ        !復讐の光の矢で、この胸を刺したまえ!
        祈りを捧げれば、青空が広がる。静かな穏やかな、風だけが残る。
        嘆きの声がする・・あら、怖い顔だ、寝ることもできないのね。
        起き上がったわ・・何?                    
オイディプス:悪い夢を見た。正義の女神の手で位を奪われた年寄り、もうおしまい。美しい日々に、父たちの過ごした広間で、戦さの歌とラッパを聞き、        おお、ヘリオス、黄金の光を注がれても、二度と見ることはない。
        破滅が押し寄せる。
(悪霊の声):地獄へ堕ちるのみ、おまえの役目は終りだ!」。

アテーナー「さて、このオイディプスというテーバイの国王の物語は、1960年代にパゾリーニという映画作家が、原典に忠実に映画化した『アポロンの地獄』という作品になっていますから、それを参考にしてもらうといい、と思います。要するに、オイディプスというのは、そうとは知らずに父親である国王ライオスを殺して、実の母親であるイオカステと結婚して王位についてしまった人で、アンティゴネはその娘です。この忌まわしい事実を知ったオイディプスは、みずから両眼をくりぬいて罪を懺悔し、国外追放となって、娘と二人で放浪の旅に出るわけですが、パゾリーニの映画では、遠く現代まで生き続けてさまよう心の旅の伴侶は、男の従僕になっています。これはホモセクシュアルだったかれの趣味でしょう。それはともかく、この神話はフロイドとユングによる精神分析の材料にされたことから、いわゆる“エディプス・コンプレックス”の典型という解釈が定説化していますが、それを批判する学者もあるようですね、Y・C・M?」。
Y・C・M「ああ、十九世紀のドイツの歴史家L・フォン・ランケの孫で、ロバート・フォン・ランケ・グレイヴスという人の『ギリシャ神話』によると、真相はこうなるそうだ。『オイディプスというのは、紀元前13世紀にテーバイに侵入し、古代ミノアの女神崇拝を禁止して暦をつくり変えた人間のことであろうか?古い制度のもとでは、新王はたとえ異邦人であっても、理論的にはかれに殺された前王ーその未亡人は新しい王さまと結婚するーの息子だとされていた。この習慣を家父長制の侵略者たちが、父親殺しや近親相姦として誤り伝えたのである。“エディプス・コンプレックス”をすべての男性に共通の本能だとするフロイドの理論は、この誤り伝えられた物語からヒントを得たものである。プルタルコスは、カバがその父カバを殺し、母カバをレイプしたことを記録しているが、かれは、すべての男性が“カバ・コンプレックス”を持っている、などとは絶対に言おうとはしなかっただろう』。結局かれの考え方でこの神話を再構成すると、こうなると言うんだな。『コリントスのオイディプスはテーバイを征服し、ヘラの巫女イオカステと結婚してそこの王さまになった。その後かれは宣言を発して、今後テーバイの王位は、コリントスの習慣に従って、父から息子へと男系の世襲によって伝わるものとし、今までのように圧制者ヘラからの贈物とされることはなくなるだろう、と言った。オイディプスは、自分の父親と考えられているライオスを、戦車の馬に引き摺らせて殺したこと、自分を再生の儀式によって王家の一員にしてくれた母親のイオカステと結婚したことを恥じている、と告白した。これに抗議してイオカステは自殺し、テーバイは疫病に見舞われた。そこでテーバイの住民は神託のすすめに従って、オイディプスに生け贄を捧げることをやめて、かれを追放してしまった。かれは戦争によって再び王位を奪還しようとしたが、果たさずに死んだ』」。

*クレタ島を中心とする女家長制の文化

アフロディーテー「“カバ・コンプレックス”というのはケッサクですね、ホホホ」。
ヘ  ラ「この列島の古代だって同じような制度の変遷があったじゃないですか。聖徳太子は、おそらく大陸から渡って来て、“推古女帝の皇太子”として大和政権の王座に就いた人でしょうし、古代の“女帝”というのはほとんど、ミノア文明時代の私たち女神と同じ役割を果たしていたんでしょう。ヤマタイ国の女王ヒミコも同じです。それを“圧制者”だなんて失礼ですわ・・」。
アルテミス「でもヘラさん、男はいつかは女の支配に反旗を翻したくなるものじゃないかしら、このオイディプス王のように。あなたのご主人・大神ゼウスがその典型じゃありませんか」。
デメーテル「それがもっとエスカレートすれば、結局あのユダヤ人の“唯一神・YHWH”のような絶対者になるしかないわね」。
アフロディーテー「“絶対者”でも不足なら・・何ていいましたっけ、東洋の女神さん?」

イーシュバラ(観音)「ああ、“最終解脱者”ですか?でもこれはおシャカさまだけの特別の称号で、勝手に名乗ってるのは、オウムの教祖くらいのものですよ」。  

アテーナー「ではこの神話についてはこのくらいにしまして、次のテーマに移らせて頂いてよろしいでしょうか?ご異議なしと認めます。では、次に取り上げるのは『オレステス』の物語ですが、これはトロイア侵略戦争の総大将だった暴君アガメムノンが、滅びたトロイアの王女カサンドラを強引に愛人にして連れ帰った故郷のミュケーナイで、妻のクリュタイムネーストラとその愛人アイギストスの手にかかって殺されると、その仇を長男のオレステスが“母殺し”をすることで討ちますが、その結果復讐の女神(エリーニュス)たちに地の果てまで追いかけられて気が狂う、というおハナシです。最初はタウリス、現在はウクライナの領土になるクリミア半島まで逃れて来た時の歌、『タウリスのオレステス』を聞いて頂き、続けてかれがミュケーナイの王さまに返り咲いた時の歌、『赦されたオレステス』を歌ってもらいましょう」。
    ・ 『 タ ウ リ ス の オ レ ス テ ス 』 D 5 4 8  
 「おお、タウリス!神の怒りをしずめてくれる島。ああ、髪も蛇に変わる呪いの女神たち。荒れ地に緑は萌えず、実りの神のかげもない。花も咲かず、風に乗る歌声も波に消える。石くれで家は作れず、テントで暮らす民よ、この岸壁と暗い森で、命を終えるか?ここで奇跡が起こって、聖なることばが聞こえる。ダイアナの巫女の手で、呪いは払われて、この罪も清まる」。

 ・ 『 赦 さ れ た オ レ ス テ ス 』 D 6 9 9  
「足元に横たわるふるさとの海。優しい波の音。勝利だ!刀と槍をふりまわすぞ!
 ミケーネの王さまに返り咲いて、真上にそよぐ生命の黄金の樹。バラに包まれた春の小道。愛の波に乗って、すべる小船。愛の波に乗り、かろやかに進む。ダイアナよ、お願い、かなえてくれ、この最後ののぞみを!父のもとへ、すぐに行かせておくれ!あの世の国へ!」。

アテーナー「続いて“ギリシャ悲劇の巨匠”とうたわれるアイスキュロスが制作した、『エウメニデース(慈しみの女神たち)』という作品から採った、『アイスキュロスの断片から』ですが、これはオレステスを追究するエリーニュスたち自身の歌う歌で、このドラマではこれに続いて、この私がアテーナイの法廷でかれに無罪を言い渡す、という事実無根の場面が来ます。解説や反論は後にして、とにかく聞いてください」。
 

・ 『 ア イ ス キ ュ ロ ス の 断 片 か ら 』 D 4 5 0   

「おのずから正しい人は、不幸になりはしない。苦しみも逃れられる。ところが悪い人には、いつか天罰が下る。嵐でマストが折れた船のよう。叫んでも、聞く人はいない。渦にのまれて叫ぶ、助けて、助けて!誰も聞きはしない。どんなに呼んでも、渦の中から叫んでも、神は嘲笑う。あわれな奴、罪のむくいだ、もう岸はない。裁きの巌に砕け、空しく沈む」。

アルテミス「ダイアナというのは私のローマ名・ディアナの英語読みですか?そりゃかれの姉のイーピゲネイアは、魔女として生け贄にされそうになった所を救ってやって、私の巫女として永遠の生命を授けましたが、弟の方にはそこまでする義理はありませんね。男の子は巫女にはなれないんですから」。
イーシュバラ「一般に知られたハナシでは、タウリスであなたの巫女をしていた姉と巡り合って、二人は共謀してあなたの彫像を神殿から盗み出し、そのまま故郷へ逃げ帰って、“その後はしあわせに暮らした”、というじゃありませんか?」。
アルテミス「そんなことさせたりするもんですか。第一イーピゲネイアとは、実はこの私自身の称号の一つなんですよ。分かりやすく言えば“ホーリーネーム”ですね。意味は“強い種族を産む女”というギリシャ語です。だから“処女神”という私に貼られたレッテルも、ほんとは私の一面しかとらえていないんです。私には『処女』の相のほかに、『成熟した女性』としての相と『母親』としての相もちゃんとあるんですから、『三面相の月の女神』と呼ばれていました」。
イーシュバラ「じゃ、イーピゲネイアというのは固有名詞ではないんですね?」。
アルテミス「巫女たちにもそう名乗る女性が大勢いましたよ。或るステージより上になれば、セックスすることも出産することも自由でしたから。そりゃ、中にはかれ氏と手に手を取って、駆け落ちしてしまったのもいたでしょうね。でも、この私が進んでかれらに手を貸すわけがありません。この姉と弟というカップルには、特別に祝福したくなるような要素は稀薄ですから」。
アテーナー「オレステスというのも実は、何代かにわたる国王の称号だ、と例のグレイヴスさんが言ってますね。第一この“母殺し”そのものが、事実かどうか疑わしい、というのがかれの見解ですが、私の考えでは、“オレステス”というのは当時の過激派のリーダー、つまり“女神崇拝反対運動”の闘士に与えられた称号ではないか、と思います。オイディプスもそうでしょうけど・・」。
ヘ  ラ「もっと古くはゼウスやアポロンをはじめとする男の神さまたちの名前だって、みんな私たち女神の支配に対する反乱の首謀者たちの称号でした」。
アルテミス「その反乱が成功して“オリンポスの男性支配体制”が確立すると、アテーナーさんは“ゼウスの娘”にされ、私は“アポロンの双生児の妹(姉)”にされてしまったんです、どちらもムリヤリにネ」。
アフロディーテー「私たち女神が完全に支配権を握っていた頃には、母の権威は絶対でしたから、祭式に従って先王を殺して王位についた男は、未亡人となった女王と結婚するのが当たり前で、“父親の敵を討つ”なんて考えが頭をかすめる筈はありません。だから要するにこの神話は、女家長制が何千年も続くうちの何代目かのオレステスが、母権、つまり”母の権威”=“女神の権威”に盾突くようになった、ということを表わしているんでしょう、」。
デメーテル「じゃ、アテーナーさん、あなたがアテーナイのアレイオパゴスの法廷で、オレステスに無罪の判決を言い渡した、というのはデマなんですね?」。
アテーナー「はい、家父長制が確立してからのギリシャ人の都市で、私の名前や彫像を勝手に利用して、ああいう男に都合のいいおハナシを拵えてしまった、というのが真相です。アイスキュロスは、陪審の票決が賛否同数になったので、私が無罪の方に一票を投じてかれを救った上、“私には生みの母というものがないので、何につけても男の味方をします。結婚の相手になること以外は”、などとたわけたセリフを言わせていますが、何の根拠もありません。私にはメティスというレッキとした母親がいますし、“ゼウスの頭から完全武装で生まれた”なんて、私をまるで機械人間(人造人間キカイダー!)扱いする悪趣味な空想ですネ。まさに名誉毀損ですわ。結局オレステスは、罪の意識に起因する狂気から最後まで解放されなかった、というのが本当の結末でしょう。昔パルテノンの神殿に粲然と輝いていた私の黄金と象牙の彫像は、あれは生身の私とは縁もゆかりもない真っ赤なニセモノ、今のこの時代で言えば、“マスコミのデッチ上げた虚像”に相当する罪作りな作品だ、というほかはありません」。
ヘ  ラ「たとえ今のこの時代だって、この男は無罪にはなりませんよ。“ベンキョウしなさい、ベンキョウしなさい”と連日連夜言われるのに耐えかねて、ついに寝ている母親を金属バットで殴り殺してしまった息子もいたけど、同情はしても罪は罪です」。
アフロディーテー「その母親は息子に“ベンキョウしなさい”なんてお説教するヒマがあったら、自分自身がもっと心理学をベンキョウするべきだった、と思いますね。まるで“おはよう”とか“こんにちは”とかいう挨拶みたいに、息子の顔を見るたびに“ベンキョウしなさい”なんて言ってたら、そりゃ殺されますよ」。
アテーナー「これ以上テーマを広げるとキリがありませんので、ここらで締め括りたいと思います。Y・C・M、何か一言ありますか?」。
Y・C・M「二千五百年ほど前の中国人は『学ヲ好ムコト色ヲ好ムガ如シ』、つまり『ベンキョウもエッチもどちらも同じくらい好き』、というのが君子のあるべき姿だ、と言ってるが、全く同感だな。ま、ここにいるみんなにはまさしく『釈迦に説法』だろうけどネ。いずれも文武両道をマスターした才色兼備のつわものばかりだから・・ハハハハ」。
アフロディーテー「それお世辞ですか、それとも皮肉?」。
Y・C・M「どちらでもない、まったくのホンネだよ・・さ、次へ進もうか」。   
アテーナー「では、ほかの歌へ進ませて頂きましょう。さきほど私が“全集”の中から発見した『エコー』ですが、さっきはただカタログを見て勝手に中味を想像していただけだったので、今Y・C・Mのニッポン語の歌詞が出来上がった所で、改めて聞いて頂くことにします」。

 ・・to be continued        

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