「漁師の娘(Das Fischermaedchen)」

音楽データ、

変イ長調、6/8拍子、72小節。テンポは「やや速めに(Etwas geschwind)」と指定されている。

ピアニシモで演奏される最初の6小節が前奏で、最後の3小節が後奏である。全体を通じてはずむようなリズムに終始しているが、これは海辺で戯れる若い男女の青春の息吹を象徴するものである。以前の解説でも述べたように、シューベルトは31年の生涯を通じて、ただの一度もホンモノの海というものを目にしたことはないはずだが、芸術家の想像力が現実をやすやすと超えてしまって、目の前に海浜のリアルな景色を眺める画家よりも、ここでもまたはるかに迫真の描写に成功してしまっているのだ。波間に浮かぶ小舟に乗った「漁師の娘」に向かって、「手に手を取ろうよ」と呼びかける(漁師の)若者は、作者自身ではないが、作者の「変身願望」を象徴する姿といってよい。いわば作者が若者の姿を借りて、小舟に乗った「漁師の娘」を、若々しく大胆に誘っている「理想型」なのである。「荒い海にもまれている君、ここで休めよ」、と抱き寄せた娘の頭をなでながら囁く男もまた、現実の詩人の自画像であるというよりは、むしろ理想化された大胆且つ積極的な願望の表現、というべきであろう。曲全体を締めくくる「この心も海と同じだ。嵐も津波も避けられないけれど、深い海の底に真珠が眠る」というフレーズは、おなじ潮騒の響きを如実に伝えるリズムとメロディーに乗せて歌われるが、この明るくて積極的肯定的なムードは、あくまでもこの歌の一面というか表層を表わしているにすぎず、「漁師の若者」が傷ついた詩人の心を慰める「夢の姿」であるように、この一貫して明るいシューベルトの曲想もまた、一種の「仮面」にすぎない、といったら言い過ぎであろうか?

 

 











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