時代考証のページ by Y・C・M

1:十字軍とは?  
2:「家族戦争」の時代背景  
3:本邦初公演の意義  
4:アクエリアス(水瓶座)の時代へ  
5:いくつかの風俗について  
   

*1:十字軍とは?

「十字軍(crusaders,Kreuzfahrer)」とは、1095年にクレルモン宗教会議で法王・ウルバヌス2世が”聖地奪回”をよびかけたことからはじまり、それからおよそ180年にわたって全部で七回行われた遠征に参加した軍団のことをいいます。1096年から99年にかけて行われた第一回には、”聖地エルサレム”を回復してエルサレム王国を建て、さらにシリア沿岸に十字軍国家を建設するという成果があり、これに触発されてベニスなどイタリア諸都市の発展が起こるなど、プラスの面も多々ありましたが、この国家(エルサレム王国)は1187年までしか続かず、その後数次にわたって行われた遠征も、一度として”聖地回復”という本来の目的を果たすことはできませんでした。結果として遠隔地を結ぶ流通機構の発展と商業都市の隆盛を招き、とくに北イタリアの諸都市の繁栄は、後のルネッサンスの経済的地盤を形成することになったわけですが、はじめは宗教的な情熱から出発しながら、次第に食い詰めた無法者や流浪の男たちの受け皿となり、一旗上げるというよりは一発当てることを目的に、当時はむしろ豊かで”進んだ地域”だったイスラム圏の土地や財宝を略奪する野盗と化し、ゲーム感覚で殺戮と破壊をくりかえす暴徒と化した集団になってしまった、という暗黒面の方が目立ちます。

*2:「家族戦争-女たちの反乱の時代背景

このコメデイー「家族戦争」で扱われているのは、この七回に及ぶ”十字軍遠征”のうちの、どの時代かということがあまりはっきりしていません。しかしいずれにしても、働き手を取られた女性たちの中に広がっている、「厭戦」というよりむしろ「反戦」の気運の高まりがこの作品の主題ですから、宗教的な動機よりも経済的な動機の方が優先する第三回(1189年)以降のできごとと考えるべきでしょう。「セックスストライキによる反戦運動」の先頭に立つ女闘士は、古代ギリシャでは一市民の女性である「リューシストラテー」ですが、ここでは「伯爵夫人・リュドミラ」です。「伯爵」といっても現在では単なる”称号”としか考えられないでしょうが、この時代にはれっきとした「一国一城の主」であって、この列島なら江戸時代の「藩主=お殿様」に匹敵する絶大な権力を所有していました。だからかの女はいわば「大名の奥方=御台所」のような存在だったのだ、と思って下さい。そのかの女が「武装して剣を抜き、夫の首に突きつける」という非常手段に訴えるのですから、これはまさに「破天荒な振る舞い」というほかはありません。もし現実にこんな行動に出る女性があったら、この時代なら即座に”魔女”として処刑されていたでしょう。現に少し後の時代に「ジャンヌ・ダルク」は、”魔女”として火あぶりにされているのです。しかし、「城を枕に夫と刺し違えて心中する」ことまで覚悟して「反戦」を訴えるかの女・リュドミラの勇姿こそ、まさにこのドラマのクライマックスで、挿し絵として掲載したかの女の肖像は、ほかならぬ「悲劇の女戦士・ジャンヌ・ダルク」をモデルにしたものです。

*3:本邦初公演の意義

この作品を現代(20世紀末)の日本で上演することに、いったいどういう意味があるかということについてお話します。Y・C・Mとしてはあちこちで述べているように、今から4、000年前の紀元前2、000年ころまでは「母権制」の社会がフツウで、すべてを女性がとりしきっている「女社会」が何千年も続いていたのです。(→「この太陽系の歴史」を参照)まもなく迎えるキリスト紀元2、000年という年こそ、この太古の「女社会」へ向かって、人類が巨大な先祖返りを始めて、振り子の針が女性の方へ大きく揺れ出す時に当たります。この「世紀の変わり目」であると同時に「千年紀の変わり目」でもある記念すべき年に、「ウーマンパワーによる愛と平和」を達成するこの爽やかなコメデイーを、老若男女を問わずすべての「市民」にお届けすることは、Y・C・Mの深く喜びとする所です。Y・C・Mはいうまでもなく、骨のズイまで「男」ですが、男だからこそ「美しく強い女性」を何よりも必要としています。4、000年前までは実際に生きて活躍していた「アマゾネス(女戦士)」たちの面影は、アテネという都市国家の守護神である「知恵と武勇の女神・アテーナー」の姿にもっともよく反映されていますが、それでもまだ一面をとらえているだけで、あふれるばかりの「愛」と匂うような「美しさ」をも兼ね備えた存在、「美と愛の女神・ビーナス」でもあったことを忘れてほしくない、と思います。さらにまた、「母性」、つまり全人類に対する海よりも深い「優しい母のような」愛情を象徴する「聖母・マリア」のイメージにも、太古の「アマゾネス」の面影が色濃く反映されています。この三体の神格の属性をすべて備えた「永遠の女性の力」こそが、太古の数千年にわたる「女社会」を支える根源だったといえるでしょう。だからこそ2、500年前にアテネで上演されたアリストパネースの「リューシストラテー」では、無事「平和と愛」という目標を達成した女性たちは、「守護神・アテーナー」、「美と愛の女神アフロデイーテー(ビーナス)」、そして「処女にして母である女神・アルテミス(ダイアナ)」の三体に感謝の生け贄をささげるのです。

*4:アクエリアス(水瓶座)の時代へ

Y・C・Mはこの最近2、000年間を「うお座の一神教時代」と呼んでいますが、21世紀から始まる「アクエリアス(水瓶座)」の時代に、人類が「ユダヤ教」・「キリスト教」・「イスラム教」という三つの「一神教」を克服できたら、この地球も格段に住みやすくなるだろう、と思っています。なぜなら、この「三大一神教」はいずれも「女神」というものの存在を否定するばかりでなく、そもそも「女性」というものを独立した存在だとは考えていないからです。”人類最初の女性”である「イブ」は、同じく”最初の男性”である「アダム」の肋骨から、”男が一人でいるのはよくない”、と考えた神さま(無論男神)が作り出してあてがってやった、というのですから。古典時代のギリシャ人の社会ももちろん「男性優位」の社会でしたが、かれらの世界観はこれほど徹底した「女性抹殺志向」には陥っていませんでした。だから、今のわれわれから見れば、2、500年前のアテネで上演された「リューシストラテー」の方が、たった百数十年前のウイーンで上演された「陰謀者たち後に改め家族戦争」よりも、はるかに自然な共感を呼び起こす力があるのです。でも、「魔女狩り」という人類史上最大の残虐行為を含めて、女性全体にとって「受難の時代」であるこの中世から近世にかけてのヨーロッパに、「ジャンヌ・ダルク」やこの「リュドミラ」のような女勇士が活躍する余地があった、ということは、女神や天女・女菩薩たちの「アマゾネス軍団」をひきいて、今でも強大な力をふるって地球人に対する抑圧を続ける「三大一神教」と戦うわれわれ少数派フェミニストにとって、はかりしれない夢と希望と勇気の原動力となることができます。どうかこの健康なエロチシズムとユーモアに舌つつ”みを打って、このコメデイーとシューベルトの素晴らしい音楽によるオペレッタを、心ゆくまで楽しんで頂きたいと思います。

 

*いくつかの風俗について。

アリストパネースの「リューシストラテー」を見ていると、現代(20世紀末のニッポン)にも共通する風俗が見られることに興味をひかれます。一つはいわゆる”女性のためのエステテイックサロン”で行われている”永久脱毛”ですが、古代のアテネの女性たちもこれに打ち興じていたことが、女性同士の会話の中から明らかになって来ます。しかもかの女たちの場合は、いわゆる”下のヘアー”を、”剃る”のではなく”抜いて”いたというのですから、さぞ痛かったであろうと同情に耐えません。それに、町の奥さんたち同士が表で立ち話する時の服装が、これまたごく最近の”シースルールック”よりももっと大胆で挑発的だったことが、ヒロインの若妻・リューシストラテーの姿をしげしげ眺めながら、「あら、きれいに抜いてあるわねえ」、と叫ぶ近所の奥さん・カロニケーのセリフから明らかになります。いわば薄衣一枚の姿で豊満な肉体を誇示することが、アテネの上流階級の女性たちの「身だしなみ」だった、ということです。さらに続いてスパルタの女性たちが登場すると、ヒロインはすぐに駆け寄って、「まあ、見事な身体ですこと」、と言いながら胸やお尻やふとももを、「まるで生け贄の動物の品定めをするみたいに」撫でまわします。ここから分かるのは、パットはもちろんブラジャーもパンテイーも、ギリシャの女性たちが夢にも知らない衣料品だった、ということと、美しい肉体をストレートに賛美することは、エチケットに反するどころか、むしろ社交儀礼の一つだった、ということでしょう。→「古代ギリシャ人の服装」へ

これが「十字軍の時代」になるとすべてがガラリと変わります。伯爵夫人に代表される中世の上流階級の女性は、分厚い肌着を何重にも重ねた上に、さらに重たいドレスをまとっていたようで、”薄衣一枚羽織っただけで”人前に出るなどということは、懺悔の儀式か”罪人”として処刑される時以外は、まず考えられない異常事態をあらわすものでした。しかも、いわゆる「貞操帯(Chastity Belt,Keuschheitsguertel)」というものは、十字軍の遠征に出かける騎士たちが、故郷に残して行く妻や恋人が浮気をしないようにと考え出した発明品だ、といわれています。ヒロインの伯爵夫人・リュドミラが、はたして司令官である夫の手によって、この”強制純潔処置”を施されていたかどうか、それはこの19世紀のウイーン人・カステリの原作からは、一切知る手がかりは得られません。しかし、少なくともまだ結婚していないカップルの間では、このような「女性に対する圧制」を象徴する手段は取られていなかったことは、冒頭の「イゼラとウドリーンの二重唱」の歌詞だけからでもうかがうことができます。「誰かの吐息でメロメロになって、ぼくを忘れなかったか?」、と聞かれてイゼラは、「当然誘われたわ。でもね。負けはしなかったわ!」、と答えているからです。かの女は自由な意志で”貞操(”正しい体操”ではありません。念のため)”を守ったのです。

このコメデイー「家族戦争」の作者・イグナツ・カステリという人は、シューベルトの同時代人で、かれを取り巻くサークル(シューベルテイアーデ)の一員だった作家で、「どうせ死ぬなら酔っ払って死のう」というヤケクソな酒盛りの歌を作っているくらいの自由人でしたが、古典時代のギリシャとはちがって、この時代(19世紀の前半)は、ウイーン会議後の検閲の厳しい反動時代で、とても公に上演することなど考えられもしない事柄がいくつもありました。第一この作品のもともとのタイトル「陰謀者たち(Die Verschworenen)」にしてからが、十分検閲の対象になり得たシロモノで、今の人から見れば何でもないこのコトバには、「内乱の首謀者たち」とか「謀略の仕掛け人たち」とかいう物騒な意味合いがこめられていたので、メッテルニヒ配下の役人たちをビビらせるだけの危険な響きがあったのでしょう。そこでシューベルトたちはタイトルを「家族戦争」と改めて、ようやく検閲をパスできたのでした。アリストパネースの「リューシストラテー」には、妻や恋人に一切の”サービス”を拒否されて、欲求不満から半狂乱になった外交使節団が、全員一斉に張りぼての巨根を突き出して踊りまわるというシーンがありますが、ようやく「ヘアヌード」が許容されるようになった世紀末のニッポンでも、これはまだ舞台に乗せるのは違和感があるかも知れません。ましてこの時代のウイーンでは、まったく問題外とされたのでしょう。カステリの作品には「欲求不満」で苦しむ男の醜態は、一切登場すらしないのです。人間の性的欲求の強さそのものは、いつの時代だろうと変わりがあるとは思えないので、「十字軍の時代」だろうと、「ウイーン会議後の反動時代」だろうと、「欲求不満から半狂乱になる男」はいくらでもいるハズで、それを表現する自由さえあれば、作家はいくらでも表現しているハズです。それがない理由としてはただ一つ、「時代の制約」、つまり「表現の自由が制限されていた」、ということだけでしょう。



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