v・Y・C・M
シューベルトの634曲を数えるリードのうちで、もっともポピュラーなものを思いつくまま挙
げろ、と言われたら、「子守歌」(D498)、「荒野のバラ」(D257)、「セレナーデ」
(D957−4)、「マス」(D550)、「魔王」(D328)、「アヴェ・マリア」(D839)、「菩提樹」
(D911−6)、それに「糸車のグレートヒェン」(D118)ぐらいは、たいていの人が列挙
できるだろう、と思う。この最も有名なリード8曲のうちの3曲、リード全体のうちの実に74
曲が、ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ(1749〜1832)の詩に作曲されたものである。
ゲーテとは何者か、ということは、ここで今更議論の対象にするつもりはないが、イギリス
人ならシェイクスピア、イタリア人ならダンテ・アリギエリ、スペイン人ならミグエル・デ・
セルバンテス・サーベドラ、フランス人なら少し迷ってとりあえずビクトル・ユーゴーと
アレクサンドル・デュマ・ペール、ロシア人ならトルストイとドストエフスキー、古代ローマ人
ならばオヴィディウスとヴェルギリウス、同じく古代ギリシャ人ならばホメロスのほかアイス
キュロス、ソフォクレ、エウリピデスの三大巨匠、インド人なら、シューベルトも作曲して
いるカーリダーサ、、さらに中国人なら屈原のほか李白と陶淵明、そして最後にこの列島
の日本人なら柿本人麿と松尾芭蕉、というような存在に当たる、世界文化史上に粲然と
輝く巨星の一つであることは、誰も異論のない所だろう。
ゲーテとシューベルト、この二つの巨星同士の出会いはしかし、いわば片思いとスレ違い
の連続、というほかはない形で終わってしまった。ーーーこの惑星の上では。しかし、
われわれの手元には確かに、ゲーテの詩によって作曲されたシューベルトの歌が厳然と
残されているのである。また、この「片思い」ないし「スレ違い」ということに関していえば、
モーツァルトとゲーテの間にもまた、奇しくも立場を逆転させた形で成立しているのだから
シューベルトの心をこめた献呈をあっさり無視した老大家・ゲーテが、必ずしもとくに薄情
だった、ということにはならないのである。
モーツァルトの数少ないリード(ドイツ語の詩による単発の歌)の一つである「すみれ」が、
自分の詩がモーツァルトによって作曲されたものであることを、ゲーテは生涯の誇りと感じ
ていて、その上オペラ「魔法の笛」の第二部を、、モーツァルトが作曲してくれることを期待
して完成したにもかかわらず、モーツァルトの方では、この「すみれ」という詩が誰の作品
であるかさえ知らず、ゲーテの「魔法の笛」が完成した時には、もはやこの惑星を去った
後であった。一言でいうなら、たとえ「片思い」であろうと、それが優れた芸術作品を生み
出す触媒になることができさえすれば、後の世のわれわれとして、なんら悔やむには当た
らない、ということである。
そういう意味で、この列島の大詩人柿本人麿に関するその著「水底の歌」のなかで、梅原
猛氏は、「一人の愚劣な悪女を天使だと思いこんでも、優れた詩人はよい詩を書くことが
できる」、と述べているが、私に言わせれば、詩人に限らず、すべてのほんとうの芸術家
にとっては、その作品がすべてであって、その制作の動機がたとえ「誤解」だろうと、一方
的な「思い込み」であろうと、あるいはさらにもっと「不純な欲望」であろうと、そんなことは
残された作品の価値にはいささかも影響しない、と断言してもいいのである。
*
さて、そこでゲーテの詩とシューベルトとの出会いとその結実について、これから少し詳細
に検討して行きたい、と思う。例によってアインシュタインの発言から引用すると、「一般
世間では、『糸車のグレートヒェン』の成立した1814年10月のある日(19日)を、ドイツ・
リード誕生の日と呼んでいるが、これは正しいともいえるし、正しくないともいえる。正しく
ないというのは、それは純粋なリードではないし、これ以前にも非常に優れた、完成され
たリードが、とくにシューベルト自身の作品の中に存在するからである。『アデライーデ』
(D95)も『ラウラに寄せて』D115)も、そのような完成されたリードであった。しかし、
テキストはマティソンのものでった。それに対して、今度は、シューベルトはゲーテに
ぶつかったのである。つまり、感傷的(センチメンタル)ではなくて、真実の(シラーならば
“素朴な<ナイーブ>“と呼ぶだろう)詩人、流行作詞家ではなくて、単純な詩人、言葉
に富むのではなくて、言葉に威力をもつ詩人にぶつかったのである。『糸車のグレート
ヒェン』は『ファウスト』の中の一場面であるが、それが劇場では歌えないことは明らかで
ある。それも、ピアノ伴奏をオーケストラに編曲すること(もしかしたら、ビオラ、チェロ、
ハープのピチカートで行けるかも・・・)が、きわめて困難であろう、ということは別として
の話である。この曲は一種の聖別された存在である。舞台用としては有節リードが適当
だろうが、シューベルトは一般に抒情的モノディー(独吟)と呼ばれたものを書いたので
あって、“ダ・カーポ”をもち、統一的なアリオーソのメロディー法によってはいるが、
たえず交替する敏感な変化をともなっている。そして伴奏はーーはたして糸車のうなり、
足踏みなどの絵画的な描写だろうか?それともむしろ、内面的な不安の象徴、表現
ではないだろうか?それは感情を強調した絵画的描写であり、造型化した感情である」
この「聖別された作品」は、これと双璧をなす「魔王」(D328)とともに、友人の手に
よって、ワイマール公国宰相フォン・ゲーテのもとへ贈られたが、結果は周知の通りで
ある。作品番号では「魔王」が1,「グレートヒェン」が2となっている。さて、「グレート
ヒェン」とは何であろう?
「アリアドネとは何であるか?わたしのほかに誰が知っているだろう?」、とニーチェは
うそぶいが、シューベルトはもちろんゲーテとともに、「グレートヒェンとは何であるか?
わたしのほか誰が知っているだろう?」、とうそぶく当然の権利があるのだ。あえて
言うならば、この答えによってはじめて、われわれは大ゲーテの一生を貫く一筋の赤い
テーマとともに、シューベルトの音楽の本質に迫ることも可能になる、それくらい重要
なテーマ、というかキーワードになる、ということをあらかじめ予告しておきたいのだ。
先ず、ドイツ語をまったく知らない人のために解説しておくとすれば、“Gretchen"
(グレートヒェン)は、“Margarete”(マルガレーテ)とう女の子の名前を省略した愛称
であって、「ガレーテちゃん」から「グレートちゃん」という風に転訛したものだ、という
ことを知ってもらえれば充分である。さて、これはゲーテの畢生の大作であり、二十代
の半ばから書き始めて、八十二歳で世を去る間際に完成したドラマ「ファウスト」の
ヒロインの名として、広く知られている。ここでこの「ファウスト」について語らなければ
ならないわけだが、これは少し後で朗読乃至掛合いによって紹介することとして、
ゲーテの詩による最もポピユラーなリード、この国でも明治以来「わらべは見たり」の
歌詞で知られている「荒野のバラ」、通称「野バラ」を枕として、ゲーテと「グレートヒェン
」との関わり、つまり「ゲーテにとって(そしてもちろんシューベルトにとって)グレート
ヒェンとは何であったか?」、というテーマに迫って行こう、と思う。
♪「荒野のバラ」
この拙訳による新しい歌詞で聞いていただければ、この歌が一体何をテーマにしているか
ということはおのずと明らかになる、と思う。「こどもがバラの花を折ってしまった」、それも
「イヤがるのをムリに折ってしまった」、この行為が何を意味するかは、おそらく「こども」
でも理解できるだろう。医学用語では「破瓜(ハカ)」、ドイツ語では“Defloration"といい、
これはもともとラテン語で「花を散らすこと」を意味している。いうまでもなく「処女喪失」と
いうことである。
それも大変に痛ましい「初体験」であり、「刺されたこども」も「刺した」バラの方も、どちらも
「忘れることができない」ほどの、「心的外傷」、流行りのコトバなら“PTSD(心的外傷後症
候群)“、要するにさまざまな「後遺症」に苦しまなくてはならないものであった。このような
「痛みをともなう初恋」、これこそがゲーテの初恋でもあったのである。これはまったく個人
的な苦い体験の表白であって、けして民謡のような集団の体験を歌ったものではない。
ヘルダーの収集した「ドイツの民衆芸術について」というコレクションの中に、「まるで民謡
のようにさりげなく」」発表されて以来、それこそ(シューベルト以外にも)何十人という
名だたる音楽家によって作曲されたこの詩が、なぜこれほどまでに人の心をとらえたか、
ということは、この成立事情を抜きにしては、けして理解することができないのである。
ゲーテの実人生の上では、この初恋の相手はシュトラースブルクに留学していた時に知り
合ったフリーデリケ・ブリオン(1752〜1813)という牧師の娘で、一旦は婚約までしていた
のに、牧師の職に就くことがどうしてもイヤだったゲーテは、ついにかの女を捨てて出奔
(蒸発))してしまう。そして、フランクフルトの法律事務所で法律家の見習いを勤めること
になったが、この頃有名になったある事件の記録を読み、さらに裁判を傍聴するに及んで
強烈な衝撃を体験する。それはスザンナ・マルガレーテという若い女性が、レイプされた
相手のこどもを身籠もった末殺害したという罪で、死刑に処せられるという事件であった。
一歩間違えば、自分もこのマルガレーテと同じ運命に、捨てたかの女を陥れることに
なったかも知れない。この慄然たる思いから、かれはやがて構想を練り始めて、のちに
ライフワークとなる長編ドラマ「ファウスト」第一部を完成するのである。そのヒロインの名
こそ、実在した悲劇のヒロイン・「マルガレーテ」の愛称である「グレートヒェン」なので
あった。
ひるがえってシューベルトの短い生涯を考えてみると、このような切実な恋の対象となる
女性が一度でも、身近にいたとはとうてい考えられない。それにもかかわらず、のちに
筋書きをご紹介する「ファウスト」には、それこそ神さまや天使からはじまって、悪魔・
外道・妖怪・変化・魑魅魍魎にいたる、あらゆる存在が登場するが、そのうちでシュー
ベルトは、たった一人この悲劇のヒロイン・「グレートヒェン」の歌だけを作曲しているので
ある。あの大作全体の中で、かれが音楽によって「聖別」したのは、この女性ただ一人
だった、ということである。これがなぜなのか、ということを追究する上で、ぜひ聞いて
頂きたい歌がある。それはゲーテとは全然別の人の詩に作曲された、かれの最も
ポピュラーなリードの一つ「マス」である。
♪「マス」(「シューベルトの作曲した部分」)
これはダニエル・シューバルトという人の詩であるが、原詩にはさらに続きがあることを
知らない人も多いと思うので、蛇足として「シューベルトの作曲しなかったマス」も続けて
お聞き頂きたい。
♪「マス2」(「シューベルトの作曲しなかった部分」)
もちろんこれは原詩そのままではなく、現代風に改めてこの世紀末の人々にも立ち所に
理解してもらえるようにしたが、「ここまでドギツく表現しなくても、心ある人には察して
もらえるだろう」、というのがこの部分を無視した作曲者シューベルトの思いであっただ
ろう。原文では「あわれなマスを見てるばかり」の「あわれなマス」という所は、
“die Betrogne(だまされたマス)”となっていて、これは読み方によっては「だまされた
女性」」というダブルミーニングで解釈することも可能である。原詩の作者はもちろん
その意味をこめているのであるが、こういうやぼったい教訓の詩というものは、芸術作品
の品質を高めるよりもむしろ引き下げるものとして、シューベルトが排除してしまったのは
正解であった、というほかはない。しかし、時と所をへだてたわれわれからすれば、この
くらいドキツく表現しないかぎり、なかなか一般の人たちまでが、作詞者はともかく作曲者
の「熱い思い」を底の底まで味わいつくすことは不可能だ、と思うのである。
有名な「菩提樹」の場合もそうであるが、「民謡」として人口に膾炙して行く過程で、肩が
凝らず人畜無害な内容に変えられて行くことは、避けられないしまた一概に非難すべき
ことだとは思わないが、もともとの原作のもつ深い意味を、一度は噛み締めて見ることが
、作品を正当に評価するためには不可欠だ、ということ、これだけは強調しておかなけれ
ばならない。この作品の訴えかけているものは、けして「楽しげな魚の水遊び」だけでも
ないし、「自然環境の保護」でもなく、また作詞者の意図するような「教訓と警告」でもなく
、「そばで見てるばかり、あわれなマスを見てるばかり」で、何もしてやることの出来ない
己に対する「怒りと苛立ち」、それも「全身の血をたぎらせながら(“mit regem Blute")」
見ている「わたし」にたいするシューベルト自身の熱い感情なのである。
そして実はこれこそが、死刑の宣告を受けた悲劇のヒロイン・マルガレーテの悲運に対
するゲーテの「熱い怒りと苛立ち」であり、自分のドラマのヒロイン「グレートヒェン」の運命
に対する「熱い血と涙」を表わすものでもあるのだ。
この列島の古代の大詩人・柿本人麿には、妻と死に別れた時に歌ったといわれる「泣血哀
慟歌」というものがある。この「泣血」とはまさに文字通り「血の涙を絞って」ということであり
具体的な対象こそ謎であるが、このゲーテの「血の涙」とまさに同質にして同一のものだ、
と言っていいだろう。そしてまた、この血の涙はわれらがシューベルトの流した涙でもある、
ということに心ある人にはぜひ気づいてもらいたいのである。
「泣血哀慟歌」
「天飛ぶや、軽の路は、吾妹子が,里にしあれば、ねもころに、見まくほしけど、やまず
行かば、人目を多み、数多く行かば、人知りぬべみ、さねかづら、後もあはむと、大船の、
思ひたのみて、玉かきる、岩垣淵の、隠りのみ、恋ひつつあるに、渡る日の、暮れぬるが
ごと、照る月の、雲隠るごと、沖つ藻の、なびきし妹は、もみち葉の、過ぎていにきと、
玉づさの、使ひの言へば、あづさ弓、聲のみ聞きて、言はむすべ、せむすべ知らに、聲
のみを、聞きて有り得ねば、わが恋ふる、千重の一重も、慰むる、情もありやと、吾妹子
が、やまず出で見し、軽の市に、わが立ち聞けば、玉だすき、畝火の山に、なく鳥の、音
も聞こへず、玉ほこの、道行く人も、一人だに、似てし行かねば、すべをなみ、妹が名
よびて、袖ぞ振りつる」。(「万葉集巻二の二〇七」)
現代語訳
「空を飛ぶような、軽(かる)の路は、愛する人の、住む里だから、飽きるまで、見ていたい
けど、絶えず行けば、人目が多く、何度も行けば、人に知られる、サネカヅラのように、後も
会おうと、大きな船の、心を頼りに、究極の、崖っぷちに立って、こっそりと、恋してきたが、
渡る日が、暮れて行くように、照る月が、雲に隠れるように、沖の藻みたいに、靡き合った
君は、紅葉のように、散ってしまったと、玉(たま)に来る、使いが言うので、梓(あずさ)弓
の音ばかりして、何を言うことも、何をすることも出来ず、音だけを、聞いてるわけに行かず
恋い慕う心の、千に一つでも、慰める、手はなかろうかと、愛する君が、いつも来ていた、
軽の市場に、立って見たらば、宝石のたすきのような、畝火(うねび)の山に、鳴いてる鳥
の、声も聞こえず、美しい、道を行く人も、一人として、似てはいないので、仕方なく、
君の名を呼んで、袖を振るのだ・・・・」。
人麿の命を賭けた恋の相手は、実は何を隠そう「持統女帝」とおくりなされる、天武天皇
の皇后「ウノノサララ」であった、という物語をシューベルトの音楽「ロザムンデ」とともに、
いつかは聞いて頂こう、と長年にわたって準備しているので、お楽しみに。では、この
ゲーテとシューベルトがともに流した熱い涙の傑作を聞いてもらう前に、その「前身」とも
いうべき「糸紡ぎの女」を取り上げよう。
♪「糸紡ぎの女」
アインシュタインはこの曲についてこんな風に言っている。
「『糸紡ぎの女』は、『糸車のグレートヒェン』と対になる有節リードで、秘められた悲劇性
に満ちた作品である」。ここではまだ「秘められた悲劇」にすぎなかったものが、「糸車」
にいたってついに「あからさまな悲劇」そのものに生まれ変わるのである。では、その
「生まれ変わり」の過程を、大作「ファウスト」の梗概とともに聞きつくして頂くことにしよう。
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