2015年春の例会

習作と円熟の
  ピアノ三重奏曲を聴く


曲 目

ピアノ三重奏曲 断章 変ロ長調 D28

ピアノ三重奏曲 第2番 変ホ長調 D929


ピアノ:大原 亜子

バイオリン:吉田 篤  チェロ:くぼた りょう


2015年3月28日(土)pm2:00開演(1:30開場)
会場:サローネ・フォンタナ  





例会感想

 2015年の第一回目を飾る春の例会は、3月28日に成城学園前のサローネ・フォンタナで行われた。今回は「習作と円熟のピアノ三重奏曲を聴く」というタイトルで、ピアノ三重奏曲断章D.28およびピアノ三重奏曲第二番D.929が演奏された。後者はボリュームたっぷりの楽曲とはいえ、合計二曲と幾分小規模の例会となったが、その満足度はといえば、大ホールでのオーケストラ演奏会に劣らぬものであった。本稿では、当例会での演奏と作品についての感想を記してみたい。
 最初に演奏されたのは、シューベルトのコンヴィクト時代、彼の母が亡くなった少し後に書かれたピアノ三重奏曲変ロ長調D.28である。この時シューベルトは弱冠15歳であった。この曲はヴァイオリン、チェロ、ピアノという編成であり、一楽章のみ存在している。弦楽曲で断章といえば真っ先に弦楽四重奏曲第十二番D.703が思い浮かぶが、こちらも一楽章だけである。両者がこのような呼ばれ方をするのは、そもそも数楽章からなるソナタとして構想されていたにもかかわらず、ソナタとなるに十分な楽章が作曲されなかったからであろう。だからといってこうした曲に否定的な評価を下すべきかというと、決してそうではない。シューベルトは概して、ベートーヴェンのような動機の展開や組み合わせ、交響曲的な起承転結の表現が苦手である。むしろ彼のソナタや交響曲は、後半に行くに従って散漫あるいは冗長になっていくきらいがあるように思われる。しかし不調和から調和、苦悩から解決といった教科書的な枠組みに収まらない点に、シューベルトの魅力があるといいたい。「未完成」などはその典型だろう。従ってこの三重奏曲も、そうしたシューベルトらしさの端緒が現れている曲だと理解できる。
 曲自体は古典派の響きがする快活なもので、弦楽器とピアノ双方において連打や活発な上下動が見られるのが特徴である。そうした曲調から想起されるのは「春」というイメージであり、まさにこの時期の例会にふさわしいもののように感じられた。吉田さん、くぼたさん、大原さんによる演奏も軽やかかつ勢いがあり、この曲の魅力を十分に引き出しているものであった。
 休憩を挟んで、今度は晩年の作品であるピアノ三重奏曲第二番変ホ長調D.929が演奏された。杉山さんの解説でじっくり語られたことだが、この曲の特徴は第二楽章の変奏曲の主題を、スウェーデン民謡の「見よ、日が沈む」から取っていることである。民謡とクラシック楽曲の関係ということは特に気になっているテーマで、モーツァルトの「きらきら星変奏曲」をはじめ、いくらかの面白い事例を見つけることができる。たとえば、スメタナの「モルダウ」の主題はあるチェコ民謡と類似しており、それは「Fuchs, du hast die Gans gestohlen(狐さん、ガチョウを盗んだね)」という民謡としてドイツにも伝わっていて、その曲を日本に輸入したものが「こぎつねコンコン 山の中」の歌詞で知られる「こぎつね」である。また、マーラーの交響曲第一番「巨人」第三楽章のメロディーは、フランス民謡の「Frère Jacques(修道士ジャック)」を短調にしたものを用いているが、この曲は日本語でいうところの「グーチョキパーでなにつくろう」である。両者の曲を思い浮かべていただければその意外な類似性はわかるはずだ。このように著名な曲に素朴な民謡のメロディーが数多く入っていることからして、大作曲家の間でも民謡への関心は高かったのであろうが、シューベルトもその関心を共有していたというのは興味深いことである。
 さて、この曲の内容についても見ていこう。第一楽章は三拍子のソナタ形式で、スタッカート中心の快活な調子というのは前の三重奏曲と同じであるが、こちらはメロディーがより明確に感じられ、また短調による陰りも見られる。ピアノ五重奏曲「ます」の冒頭楽章にも劣らず楽しい曲である。そして第二楽章には、件の民謡が使用されている。その民謡「見よ、日が沈む」は解説の際に原曲も演奏していただいたが、葬送行進曲のような重苦しさの中に美しいメロディーが交錯する、とても自然に生まれた民謡とは信じられないような曲であった。シューベルトが夢中になって用いたのもうなずける。この第二楽章では、「死と乙女」「ロザムンデ」の二楽章、「ます」の四楽章と同様に、まず元となる曲そのままが一フレーズ演奏された後に変奏に入る形式だが、注目すべきはその変奏法で、ここではただ主題に対して伴奏を変化させるのではなく、歌の最後に登場する一オクターブの跳躍下降と、三度ないし四度の下降を組み合わせて、動機として用いている。その結果として「かっこう」とも表現できるような音が随所で聴かれるわけだが、このような型破りな変奏はシューベルトの中でも稀有なものである。楽章の最後は再び歌が帰ってくるおなじみのパターンかと思いきや、そこからさらにひとひねりある点も面白い。
 続いて第三楽章である。こちらは後期のピアノソナタで見られるようなスケルツォで、シンプルながら時たま顔を覗かせるメロディーが美しい。トリオでのウィンナワルツのような一拍目が強いリズムも印象的だ。そして、これだけの内容でもすでに満腹なのに、第四楽章にはさらに驚きの展開が待っている。A部はアウフタクトを基調とする舞曲風の楽章だが、突然拍子が変わり、同音四連打が中心の躍動的なB部に入る。そしてA部に戻ったかと思いきや、なんと「見よ、日が沈む」が再度登場し、そのまま流れるようにB部へ移る。このようにA部、B部、民謡の三つがまるで競争をするかのように入れ替わり立ち替わり現れるのがこの最終楽章なのだ。先ほどシューベルトは多楽章曲をきれいにまとめるのが苦手と書いたが、この曲に関してはまったくの例外で、彼の友人が述べたような「剽窃に陥ることのないような工夫」どころか、ここではシューベルトの得意なメロディー変奏とベートーヴェン的な巧みな動機操作が調和して稀代の名曲が生まれているといっていいだろう。
 そのような曲を生演奏で聴けるというのは実に貴重な体験だが、それというのも演奏家の方々のおかげである。第一に目立っていたのはピアノの大原さんで、随所に現れる激しいパッセージも勢いよく弾ききっておられた。特に第四楽章の、弦楽器が民謡の主題を奏でるのと平行して現れる下降音形の連続とそれに続く同音連打には圧倒された。一方でヴァイオリンの吉田さんとチェロのくぼたさんについては、曲の性格上二人が同時に動く箇所が多いように感じられたが、そうした場面でもきれいなハーモニーを聴くことができたし、加えて歌手の代わりができるのも弦楽器の魅力だろう。とりわけ第二・第四楽章の民謡の主題のところでは、両楽器が存分に歌っているのを聴くことができた。
 総じて、今回の例会も非常に楽しむことができた。編成との兼ね合いも含めた曲の選択も、実に上手くいっていたのではないかと思われる。引き続き、今回の勢いに負けない刺激的な例会の開催を期待したい。

    藤井記


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