2017年初夏の例会

ピアノと弦楽のための断章
  ピアノ五重奏曲「ます」を聴く


演 奏
ヴァイオリン:吉田 篤 ヴィオラ:中川 玲美子
チェロ: 窪田 亮 コントラバス: 倉持 敦
ピアノ:大原 亜子

プログラム
ピアノのため三つの「断章」
Andante ハ長調 D29
Adagio ホ長調 D612
Allegretto ハ短調 D915

弦楽三重奏曲 断章 変ロ長調 D471



ピアノ五重奏曲 「ます」 イ長調 D667

2017年5月7日(日)pm2:00開演
会場:サローネ・フォンタナ  

主催:国際フランツ・シューベルト協会  協賛:メタモル出版



例会感想

 5月7日、ゴールデンウィークの締めくくりの日にサローネ・フォンタナで開催された例会は、まさに初夏の気分にふさわしい爽やかな内容であった。「ピアノと弦楽のための断章とピアノ五重奏曲『ます』を聴く」という題で、目玉の「ます」を後半に、未完成の断章作品を何曲か前半に置く構成になっていた。以下にその模様を、曲解説も兼ねてお伝えしよう。
 最初に演奏されたのは、大原亜子さんのピアノによる独奏曲D.29、D.612、D.915である。これらの曲は普通の楽譜には入っておらず、かなり珍しいものだといえる。実際その場で聴くまでは、見たことも聴いたこともなかった。最初のD.29アンダンテは緩徐楽章を思わせるゆったりしたものだが、直後に作られた弦楽四重奏曲第3番の第2楽章はこれをアレンジしたものらしい。両者は拍子が異なるものの、聴いてみると関連が感じられる。続くD.612のアダージョもソナタの第2楽章の雰囲気をたたえているが、この曲は中盤以降にトリルや64分音符の半音階など、かなりアーティスティックな展開が見られることが目を引く。その様子はあたかもショパン楽曲のようだが、その中にもシューベルト的なメロディの美しさが共存している。大原さんのピアノは滑るような軽やかな動きで、この曲の魅力を余すところなく伝えてくれた。最後のD.915アレグレットは、ウィーンを去る友人ヴァルヒャーへの寄せ書きに付されたものである。手描きのイラストやメッセージの代わりにシューベルト音楽がついてくるというのだからこんなに豪華な寄せ書きはないが、それだけ彼が友人を大事にしていたということなのだろう。曲のほうはというと、舞曲風のリズムと両手のユニゾンが特徴的な内容で、三部形式のA部はシンプルながら、短調のメロディが悲壮な印象を与える。中間のB部は一転して穏やかである。総じて、友人を明るく送り出すという場面にしてはいくぶん重苦しい曲調だが、シューベルトには何か思うところがあったのかもしれない。
 続いて演奏家が入れ替わり、変ロ長調の弦楽三重奏曲断章が演奏された。ヴァイオリンは吉田篤さん、ヴィオラは中川玲美子さん、チェロは窪田亮さんである。この曲は第2楽章の途中で途切れており、ソナタを作る予定だったことがうかがえる。演奏されたのは完全な形で残っている第1楽章で、明確なソナタ形式を成している。第2部の「ます」にも繋がるような非常に快活な雰囲気で、まさにシューベルトの室内楽といった曲であった。展開部で特徴的な音形が繰り返し使用されていることも、注目に値する。
 休憩を挟んでの第2部では、いよいよピアノ五重奏曲「ます」イ長調D.667の登場である。彼の室内楽曲の中でも随一の知名度をもつこの曲は、シューベルトがシュタイアーに滞在していた際に、彼を後援してくれたパウムガルトナーの依頼で作曲されたものである。その名の通り、第4楽章がピアノ歌曲「ます」D.550の主題を用いた変奏曲になっていることを最大の特徴としている。この曲は編成が少々特殊で、通常の四重奏曲の第2ヴァイオリンの代わりにコントラバスが用いられている。そのため今回は、第1部の4人に加えて倉持敦さんがコントラバス奏者として参加された。シューベルト室内楽でコントラバスが聴ける機会はこの曲以外にはあまりないため、当日には倉持さんの演奏に大いに注目していた。
 では、「ます」の各楽章を順番に見ていこう。第1楽章では全楽器のトゥッティに始まり、2オクターブのアルペジオ音形を随所に挟みながら活発なメロディが奏でられる。この最初の一音からして、ピアノを含めた全員が息を合わせる室内楽特有の臨場感がたっぷりと伝わってきた。この第1楽章はとにかく明るく元気で、メロディは出てこずとも歌曲「ます」の雰囲気を反映しているといえるだろう。どこを聴いても楽しいということにかけては、シューベルト音楽の中でも随一である。続く第2楽章はテンポはゆったりしているが、ピアノやヴァイオリンが自由に動き回り、快活さは失われていない。まさしく、ゆらりゆらりと波立つ川の流れのような楽章となっている。第3楽章はこれとうって変わって極端に元気のいい曲で、4分の3拍子であることが信じられないほどだ。もし指揮者がいても、この楽章で1小節に3拍を取ることはほとんど不可能だろう。速いだけではなく個々の音はスタッカートがついており、飛び跳ねるような感覚をもたらしている。ピアノと弦楽器が交互に同じフレーズを奏でるのも特徴で、そのやり取りは見ているだけで楽しかった。そしてお待ちかねの第4楽章、「ます」変奏曲である。ここでは、まずテーマとして歌曲のメロディがヴァイオリンにより演奏される。その後第1変奏に入り、今度はピアノがメロディを、弦楽器が伴奏を担当するというように、次々と変奏が展開されていく。ここでの注目ポイントは、通常シューベルトの変奏曲というのは変奏が進むとメロディはアレンジされ、和声だけが維持されている場合が多いが、この曲では「ます」のメロディはそのままに、演奏される楽器が変化して用いられるという点である。たとえば第1変奏ではメロディはヴァイオリンだが、第2変奏ではヴィオラ、第3変奏ではチェロとコントラバスとなっている。その最たるものがコーダ部分で、ここではピアノが歌曲の伴奏を再現し、ヴァイオリンが歌唱パートを奏でるのだが、その後メロディはチェロに移り、今度はヴァイオリンが伴奏を担当するなど、次々とメロディが受け渡される。このメロディ楽器の移り変わりはその場で聴いているといっそう際立っており、各パートに順番に見せ場が登場する様子を存分に楽しむことができた。さて、第4楽章が終わっても「ます」にはまだ第5楽章がある。これは形式に厳格なシューベルトの曲としてはきわめて珍しいことで、他に第5楽章まである例としては、同じく第4楽章に変奏曲を有する八重奏曲D.803(全6楽章)以外には思い当たらなかった。このように楽章が増えた理由としては、変奏曲を「死と乙女」や「ロザムンデ」のようにアンダンテの第2楽章に置くよりも、テンポの速い4楽章に置いたほうが「ます」のメロディが活かせると考えたが、かといって最後を変奏曲で終わらせたくはなかったからさらに楽章を追加した、という説を提唱したい。皆さんはどのようにお考えだろうか。その第5楽章は、舞曲を思わせる独特なリズムをもった曲である。後半で転調して同じパートが繰り返されるというA-A'の変わった構成だが、不思議な魅力がある。各パートの最後に第1楽章の2オクターブアルペジオの音形が出てくるのもポイントで、その点を取ってみても全体の締めくくりとしてふさわしい楽章であった。
 以上が初夏の例会の報告となる。今回は、第1部にあまり知られていない曲、第2部におなじみの曲を置く構成で、新しい曲を聴きたいという気持ちと知っている曲を聴きたいという気持ちの双方を満足させることができるバランスになっていたように思われる。また、弦楽四重奏とピアノという編成も、ホール全体が音で満たされるほどの、今までに増して豊かな音楽をもたらしてくれた。2階席までほぼ満員となったのも、そのおかげではないだろうか。

    藤井記


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