日記としてのピアノソナタ

 

シューベルトの音楽がもっている力、私たちを惹きつけて止まない力は、一体どこから来るのでしょうか。様々なことが言われています。豊かで、美しいメロディの力、いや、新しい、絶妙なハーモニーの力だといった具合に。どれも間違いではないでしょう。しかし今日は、それを「描写力」と言う言葉で代表して見たいと思います。

見たもの、聴いたもの、読んだもの、そして感じたものを見事に音楽的に描写して見せるあの描写力です。例えば歌曲の演奏の中で、シューベルトはピアノを使って様々なものを再現して見せてくれます。風のそよぎや小鳥の鳴き声、小川の流れ、から、疾駆する馬車、刻々と移り変わる夕焼け空、そういったものを再現することで、素晴しい臨場感をもたらしてくれます。これは描写力です。対象は、自然や情景だけに限りません。心に浮かぶ感情もまたシューベルトは見事に再現してくれます。そういった彼の音楽の特質が、ピアノソナタと言う形式の中で発揮されると、面白い現象が起きているように思います。彼の優れた描写力は、その時のシューベルトの身の回りを、思わず再現して見せているのです。つまり図らずも、彼は日記を書いているように、ソナタを書いているというわけです。前回の例会では、イ長調ソナタを聞いていただきました。それはまさしく「シュタイアーの一日」を髣髴とさせました。美しいシュタイアーの田園風景、旅先での期待感と幸福感に満ちた旅情、そして舞踏会の会話。と言った風に、それはまさしく22歳のシューベルトの青春の歌でもありました。それから3年半。中断していたピアノソナタの作曲に、突然シューベルトは取り掛かります。今度はイ短調で。さて今度は一体どんな身の回りを見せてくれるのでしょうか、聞かせてくれるのでしょうか。ここで私たちはシューベルト26歳に至る日々をちょっと振り返っておきましょう。

 

誰もが経験することですが、青春のある時期、もっとも魅力的に思えるのは「悪友」です。

悪い遊びをやるときだけ不思議に息が合うという、あの「悪友」です。シューベルトもまた、ご他聞にもれず、彼が24歳の時から25歳までの2年間、この悪友と親しく付き合うようになります。悪友の名前は、フランツ・フォン・ショーバーと言います。ショーバーの快楽主義は、シューベルトにとって目新しく、さぞかし魅力的に思えたことでしょう。

それまで彼を支えてきた友人たちの心配をよそに、シューベルトはショーバーとの親交を深めていきます。コンヴィクト時代の友人、ヨーゼフ・ケンナーは次のように回想しています。

「シューベルトを知る人は、誰でも知っていることですが、彼は互いに相容れない二つの性格を併せ持っており、その一方である、快楽を求める欲求が、彼の精神を悪の溜り場にどれほど引き摺り下ろそうとしていたことか、そのうえ、彼は尊敬する友人の言うことはどれほど高く評価していたことか。したがって、美辞麗句を操って、彼の感性に巧みに取り入るあのエセ預言者へ、シューベルトが傾倒していったことも、至極もっともなことだと思うのです」と。ここで言う「エセ預言者」とは、ショーバーのことです。無論、全てを悪友のせいにすることは出来ません。諺にもあるように、水場に連れて行った馬がどうしても水を飲もうとしないように、ショーバーであれ誰であれ、本人の意向に反してまで、シューベルトを無理やり泥沼に引きずり込むことは出来なかった筈です。もしかすると、シューベルトの中では、それまで躾けられてきた規律や道徳の制約から解放されることが必要である、という思いが湧き上がっていたのかもしれません。コンヴィクト時代の友人たちやフォーグル、シュパウンといった恩人たちを疎んじるようになっていったのも、その表われだったのかもしれません。この頃、コンヴィクト時代の友人ホルツアプフェルは、同じくコンヴィクト時代の友人、シュタドラー宛の手紙の中でこんなことを書いています。

「シューベルトは、人々が言うように、センセーションを起こしたし、人々が言うように、間違いなく、これからは世に出て成功するだろう。僕はこのところ彼に会っていないし、今では僕たちはお互いにそりがあっているわけでもない。彼の世界は[僕の世界とは]違ったものになっているし、そうならざるを得ないのだ。彼のいささか無礼なところが、彼の役に立っているし、これからは、それが彼を男にし、円熟した芸術家にすることだろう。彼は芸術に相応しい人間になるだろう。」

音楽を通じて、青春の一時期を共にしたホルツアプフェルの、怒りとも寂しさともとれる気持ちが伝わってくる手紙です。「いささか無礼」と言う表現は、おそらく抑えた表現だと思われます。シューベルトの無礼さは、きっと目に余るものだったでしょう。そこには思い上がりや傲慢さも加わっていたかも知れません。そんな風にして、今までの友人たちはシューベルトから疎遠になっていった、或いは疎遠にされていったようです。

そして、おそらくはシューベルト25歳の夏、バカンスで友人たちのいなくなったウィーンの街で、彼はいかがわしい場所に通い詰めていたと思われます。その結果が、その年の11月末に梅毒の発症として現れます。12月には、ショーバーの屋敷を出て、急遽、実家の小学校に戻っています。そして年が明けた1月には、第2期梅毒の症状が発症します。熱や頭痛、無気力、ひどい発疹、節々や筋肉や骨の痛みを伴ったであろうと思われます。この時期が、一番感染率が高いこともあって、数週間の間、公の場に出ることも出来ず、彼は自宅に引きこもっていたと思われます。

 当時の梅毒は、今ではエイズに感染したことを意味していたわけで、いわば「死の宣告」を意味したでしょう。医者の診断を聞いたときのシューベルトの動揺は、想像に難くありません。皆さんにも、死の宣告と言った極限状況ではなかったとしても、一寸先は闇という経験、そして眠れぬ日々を過ごされた経験がきっとおありでしょう。気持ちを抑えようと、懸命になればなるほど、その下からこみ上げるように襲ってくる不安や苦しみ。祈ることで一時得た平穏も、突然打ち破られ、再びどん底に突き落とされるといったことを、きっと一度は経験なさっておられると思います。この時のシューベルトは、肉体上の苦痛に加え、精神的苦悩との長い格闘を経て、漸く2月の末に、作曲する気力と意志を取り戻します。そして完成したのが、これから演奏されるピアノソナタ・イ短調です。

 

第1楽章

不気味な何かが近づいてきます。こみ上げてくる不安、襲ってくる無慈悲で、破壊的な力、その後に突然訪れる静けさ、しかし、そこへくいのように打ち込まれる何か、再び確実に近づいてくる何か。その力は破壊的で、打ちのめされそうになる。

 

第2楽章

小休止のような穏やかな時間の流れ。そこへ小波が立つように、小さな心の動きが現れ、それは見る見るうちに、大きな揺れ動きになる、そして深い悲しみの気持ち、後悔のような気持ち。

 

第3楽章

走り抜ける悲しみ、傷み。つのる不安、慰めようとする気持ち、納得しようとする気持ち、再び走り抜ける悲しみ。突然の怒りのような気持ち。自らに対して?誰に対して?押さえようのない怒り、なだめようとする自分。情けない自分。叱咤する気持ち。そして最後に、シューベルトにしては珍しく短いコーダ。コ・レ・デ・オ・シ・マ・イ!解決のない状況に、終止符を打とうとするかのような短いコーダ。

 

このピアノソナタは、どの楽章もモチーフがさして展開されることなく、繰り返されます。ピアノソナタとしては決して完成度の高いものではないと思うのですが、しかしそこには逼迫した感情の移り動きが、鮮明に、リアリティをもって描写され、私たちの心に迫ってきます。不安、悲しみ、苦悩、後悔、怒り、そういった感情を、抑えれば抑えるほど湧き出てくる様子を実に克明に、まるで自動筆記であるかのように、描写しています。

 

それでは早速演奏していただきましょう。大原さんお願いします。

ピアノソナタ第14番イ短調   大原亜子さんです。 

 

             ( 演     奏 )

 

如何でしたでしょうか。逼迫した感情の流れを存分に感じ取っていただけたと思います。この作品を書き上げてから2ヶ月後に、シューベルトは一編の詩を書いています。私の祈りという詩です。プログラムをご覧下さい。ちょっと読んで見ます。

 

 

私の祈り    ── 18235月8日

 

深い憧れから生まれる神への畏怖は

より素晴しい世界に達しようと努めている。

それは進んで、暗黒の世界を充たすだろう、

全能の愛の夢でもって。

 

全能の父よ!あなたの息子に

あなたの愛という

永遠の光を与えたまえ、

終には、激しい痛みから解き放たれるように。

 

見よ!ここ塵の中に

言い表しようのない鬱に傷つきやすい、

私の人生のゲツセマネ(苦難の地)があり、

永遠の終局へと近づきつつある。

 

殺せ、この私を殺せ!

レテ(忘却)の河に全てを放り込め、

その上で、もたらし給え、全能の神よ、

この身に、純粋で力強い生命を。

 

この詩は、最後の節に全てが要約されていると言って良いでしょう。もう一度全てを白紙に戻して、再生したいという願い。これでしょう。しかし無論、後戻りは出来ません。再生が可能であるとすれば、それは芸術の世界、音楽の中でしかあり得ないのです。事実、彼はその道を選びます。ホルツアプフェルが手紙で書いていたように、まさしくシューベルトの世界は、芸術と言う異質の世界、異次元の世界に踏み入っていくことになり、それは確かに、ホルツアプフェルやケンナー、シュパウンといった今ではお役人になっている彼らのそれとは「全く違った世界」になって行くわけです。そのような意味で、このイ短調ソナタはシューベルトの一連のピアノソナタ群の中でも、ひとつの節目となっていると言えるでしょう。

シューベルトがそれまで決して得意としていたわけではないソナタ形式というスタイルに於いて、とても重要な要素となる主題、テーマというものに、シューベルトは漸く出会ったとも言えるでしょう。シューベルトの音楽の持つ深い陰影は、こうしてその創造の一歩を踏み出していったのです。そうして死の2ヶ月前、シューベルトはあの三つの傑作を書き上げることになります。今日はその最後のピアノソナタを演奏していただきますが、その前に15分の休憩を取ることに致します。

              ( 休  憩 )

 

シューベルト31歳の9月末、これは彼の死の2ヶ月足らず前と言うことになるのですが、

三つのソナタを書き上げています。そしてその最終稿にソナタT、U、Vとナンバーを降っています。このことは、これらが自信作であること、そして、いよいよこれから本物のピアノソナタが始まるのだと言う意気込みを示しているように思われます。ピアノソナタ第1番を書いたのが18歳の時でしたから、あれから13年、ピアノソナタ第21番は自他共に認めるピアノソナタの傑作です。

確かに、これは彼の死の2ヶ月前のことですが、この時、シューベルトは決して死を予測しているとは思えません。残された記録のどれをとってみても、死の予感と言ったものは感じ取れません。それでいて、奇しくもシューベルトがこの最後のソナタで試みようとしていることは、自分のそれまでの人生の総括、そしてその未来を思い描いているように思われます。

第1楽章は、回想の主題に乗って、遠い過去の時空に飛んでゆきます。リヒテンタールの路地を駆け回っていた少年時代、親元を離れたコンヴィクトでの寮生活、そして休暇で帰った自宅での、家族カルテットの演奏、それを優しく見守る母の姿。そういった光景が次から次へと、走馬灯のように浮かんでは消え、浮かんでは消え。サリエリの授業や、シュパウンに連れられていったオペラ。ジェリーズやシュタイアー、そしてグラーツへの旅の思い出、シューベルティアーデやアッツェンブルックの祝宴。そこへ悲しい思い出がよぎります。母の死、そして初恋の人との別れ。そしてあの衝撃的な告知のことも思い出として甦ってきます。そうやって振り返った自分の人生は、つまるところどうだったのか。この楽章の終わりでは、彼は肯定的な答えを出しているように思われます。そして第4楽章が、もし未来を思い描いているとするなら、そこにシューベルトは、力強い決意と、その確かな手応えを感じとっていたに違いありません。私たちシューベルト・ファンにとって、この最後のピアノソナタが肯定的で、将来を見据えていることは、大いなる救いであり、喜びとするところです。

解説はこれぐらいにしましょう。シューベルトが人生を語る、その語り口を存分に味わってください。

 

大原さんどうぞ。

 

               ( 演   奏 )

 

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