美しい邦詩によるシューベルトの歌とピアノの夕べ

   シューベルトを歌い紡ぐ1

     実吉晴夫追悼コンサート

      企画構成/ 地引憲子

      2003.10.24(金)夜7時 於マツオスタディオ

 

演奏/ 歌 諸岡智子  小林昌代 駒井ゆり子  岩倉矢主子  地引憲子 

    ピアノ 阪本田鶴子(p)  水上裕子(p)   渕上千里(p)      

 演奏曲目 「冬の旅」D911より

       第4曲 雪と氷の下へ      第6曲 あふれる涙

       第8曲 回顧          11 春の夢

       20曲 道しるべ        23 並んだ太陽 

       糸を紡ぐグレートヒェンD118  アヴェ マリD839 

       ますD550  セレナーデD957-4  子守歌

       恋人は近くにD162  糸紡ぎの女D247  魔王D328  

       ピアノ 即興曲0p142-2&はじめてのワルツ365

           4手用ピアノ曲 幻想曲 ヘ短調 D940




      母国語でシューベルトを聴く       
 実吉氏は生前シューベルトの「邦詩化」についてこう述べている。

「それはけっして“訳詩”ではない。そうではなく、私のやろうとしていることは、原詩をもとにシューベルトが創造した世界、すなわち かれの“小宇宙”を、自分の母国語によって再構築することなのだ」

 今回の追悼演奏会に参加したほとんどの人は、シューベルトを母国語で聴くということが、言葉が解るということがどんなに素晴らしい事であるか実感されたと思う。

 あの「冬の旅」が、あの「魔王」がわかりやすい邦詩によって再構築され、メロディーとことばが同時に聴く人の心に届けられた。掛け値なしの歌の感動が丸ごと伝わったと思う。氏の持論「母国語でシューベルトの歌に舌鼓を打つ」を実現した夕べでもあった。

 勿論この成功には素晴らしい演奏家に恵まれたということも付け加えなければならない。さらにいえば、企画構成者として、演奏者として、又日本語で歌うことの素晴らしさを次代に引き継ぐための類い稀な歌唱指導者として、労を厭わず時間を割き、心を砕かれた声楽家地引憲子さんの存在なくして今回の追悼コンサートの成功はありえなかっただろう。

 プログラムの前半は三人の歌い手による「冬の旅」である。

 渕上千里さんのピアノが静かに第一曲目の「おやすみ」を語り出し、幻想の冬の旅がスタートする。そして、三人の女性歌手、諸岡智子さん、小林昌代さん、駒井ゆり子さんが交互に二曲ずつ全六曲を、曲間はピアノが語り継ぐという形で聴衆を歌物語の世界へといざなってゆく。三者三様、それぞれの個性が実によく生かされて、しかも違和感が無く一つにまとまっている。一本の指で弾かれ、聞こえるか聞こえないようなかすかに鳴るピアノが語る終曲「ライアマン」は秀逸だった。地引さんによって再構築されたこの幻想の「冬の旅」は、今後さらに様々な形をとりながらきっと発展進化していくに違いない。いつかこのような形で全曲を聴きたいものと、期待がふくらむ。

 休憩をはさんで、二人のピアニスト阪本田鶴子さんと水上裕子さんにはそれぞれ、即興曲  変イ長調142-2と「はじめてのワルツ」D365 (op.9)から二曲を、又二人で4手用ピアノ曲四手連弾のための『幻想曲』ヘ短調 D940 (op.103)を演奏。阪本さんは神奈川、水上さんは福岡にお住まいで、音合わせもままならずという困難な条件だったが、お二人のシューベルトへの思いがそれこそ時空を超えて出会い、熱い演奏となった。

 

 後半のプログラムは、地引憲子さんと岩倉矢主子さんの歌も加わり、出演者それぞれの思いの込められた歌の競演となった。

 小林昌代さんは、協会の例会で何度も歌われた「アヴェ マリア」だけにひとしお思い入れ深いものであったのだろう、特徴のある声質を十分に生かした独特の詠唱が心に沁みた。駒井ゆり子さんは天性の明るくのびやかな声と実に明瞭な日本語で「ます」を表情たっぷりに歌われた。マスならぬ「若鮎」のようなフレッシュな魅力に溢れ、今後の活躍がマスマス楽しみだ。宝塚出身の岩倉矢主子さんの「セレナーデ」は、いわゆるクラシックとは一味ちがう肩ひじの張らない、スウィートな一服の清涼剤にも似たさわやかな恋歌として大変楽しめた。

 諸岡智子さんの歌う「糸を紡ぐグレートヒェン」は、悲劇のヒロインの心の叫びをあますところなく伝えて圧巻だった。恋する少女の苦悩、切なさが絶え間なく回る伴奏のピアノ音とともに異常な緊迫感をともなってクライマックスに達した時、聴く方の心まで張り裂けるかと思われた。

 そして、最後に地引憲子さん。氏への追慕の念を込め、この追悼コンサートに選ばれた歌は、ファラースレーベン詩の「子守歌」、ゲーテの詩による「恋人は近くに」と「糸紡ぎの女」、アンコールとして「魔王」の4曲。

「このように歌ってもらうために邦詩をつけた」と実吉氏より絶賛され、「冬の旅」全曲演奏をはじめ数多くの邦詩のシューベルトを歌ってこられ、その都度高い評価を得られていることは周知のことだが、今回あらためてその歌のすごさを再認識させられた。

 「子守歌」はあの有名な「子守歌」ではなく、さらにシューベルトの曲でもなく、今のところ作曲者が不明という謎の「子守歌」である。なんともいえない優しくあたたかく美しい詩に心惹かれ、是非歌ってみたくなったとのこと。追悼コンサートに相応しい、しみじみと心にひびく詠唱だった。

 次ぎに続くゲーテの三曲は心憎いばかりの選曲だ。

 永遠の愛への憧れをつややかに歌い上げた「恋人は近くに」は、あくまでも甘美に、一転して七節の有節リード「糸車の女」は、シンプルこのうえもないメロディーの繰り返しであるにもかかわらず、グレートヒェンの悲劇を見事に語り尽くすモノオペラに仕上がった。この世界こそ地引さんの独壇場であり、邦詩ならではの臨場感に鳥肌の立つ思いをされた方も多いと思う。

 歌われるたびに表現力が深化し、新境地を拓き続ける地引さんの「魔王」はアンコール曲として登場、有終の美を飾った。息子と父と悪魔と語りと四者の神業のごとき歌い分け! ただただ息を呑み固唾をのみ聴き入るのみ、疾風怒濤の五分間だった。 

 今回のコンサートは出演者も多く、90分に及ぶ長丁場となったが、補助席も出た満席の客席は、良い意味で緊迫した雰囲気のうちに終始、最後はカーテンコールに並んだ出演者たちへ、次なる「シューベルトを歌い紡ぐ」に期待を込め、あたたかな心のこもった力強い拍手がおしみなく贈られた。、

■演奏曲目解説

「冬の旅」 D911      

 ウイルヘルム・ミュラーの詩によるシューベルトの最も有名なこの連作歌曲集は、失恋の歌として「荒涼とした冬景色を墨絵風に鑑賞される」ことが多いが、それではこの作品を真の意味であじわったことにならない。なぜなら「厚い氷の下には熱い涙と燃える情念の炎がそれこそたぎりかえっているはずだ」し、「冬の旅」自体がもえたぎる恋の詩である。だからこそ最高の情熱に燃えて聴かなければその真髄を味わいつくすことにはならないのだ。 

第4曲 雪と氷の下へ 

同じ歌詞とメロディーが、微妙に色合いを変えながら、何度も繰り返されるたびに、情熱が次第に「螺旋状に」高まっていく。

第6曲 あふれる涙 

シューベルトは何故この曲に「ゆっくりと」と指定したのか。ヒーローは目的地に急いでいるのではない。もはや「歩く速度」では早すぎる。泣きながら雪の中にたちすくんでいるのだ。

第8曲 回顧 

「あの娘の家に向かおう」という最後のメロディーを、耳を澄ませてじっと聴いてみるがいい。彼は現実の家に向かったのではない。過去へもどった主人公は「非現実の世界」から流れてくる「幻の声」を聴いているの
だ。

11 春の夢 

前奏の
4小節に続く「私の見た夢」から「楽しい歌声」までの15小節、この部分に匹敵する「天国の美」はまさに空前絶後、比類を絶したものだ。しかしこの「春の夢」はあらかじめ「覚める」ことを予定されている。そして「夢よもう一度、あの娘はこの手にいつの日か帰る」というヒーローの悲痛な「永遠の叫び」で終わる。

20 道しるべ 

「私一人だけが道を外れて、休む暇もない憩い」を求め続ける主人公の憩いはこの世には存在しない。そして「この道を行こう」と選んだ道は「帰らぬ道」でもある。

23 並んだ太陽 

歌の中の「三つの陽」とは何かを表すのか。「愛と希望と信頼」などとまことしやかに語る人もいるが、そのような詮索は意味がない。主人公は「太陽のように何か」を三つとも失ったのだ。後奏は静かな湖水
の波のように、水底に沈んだヒーローの魂を優しく揺する子守歌のような音型を刻む。

解説・実吉晴夫2000.12.7地引憲子「冬の旅」全曲演奏会のプログラムより抜粋)

※「冬の旅」は第一曲目の「おやすみ」から最終曲「ライアマン」 まで全24曲の歌で構成されているが、今回は以上の6曲を、ピアノでつなぎながら歌で紹介、三人の歌い手の持ち味を生かしながら歌いつないでいただくことになっている。 

即興曲 変イ長調 三部形式 アレグレット

 シューベルトのピアノ曲の中で最もよく知られた『即興曲集』の第2曲で、サラバンドのリズムに乗って、憧れを歌い上げるかのように始まるが、しかしこの憧れは、ひ弱な感傷性とは全く無縁であることが明かになる。(佐藤巌)

●はじめてのワルツ D365 (op.9)

 仲間との付き合いを大事にしていたシューベルトにとって、ダンスの音楽は特別の意味があったかもしれない。出版された彼の作品の中で最初の器楽曲で、36 曲のワルツが集められてるが、今日はその内の何曲か選んで演奏する。

●四手連弾のための『幻想曲』ヘ短調 D940 (op.103)

四手連弾のための曲も、彼にとって特別の意味があったのだろう。四つの楽章から成立っており、(アレグロ=ラールゴ=スケルツォ=フィナーレ)が、続けて演奏される。呟くように始まる冒頭のテーマの何と魅力的なことだろうか。そしてこのテーマは最後に確信に達したかのように繰り返される。 

アヴェ マリア D839

イギリスの詩人ウォルター・スコットの「湖上の美人」から5曲、つまり「エレンの歌 T・U・V 」「ノルマン人の歌」「捕らわれた狩人の歌」がある。このうち「エレンの歌V」が「アヴェ マリア」として知られている。この曲も彼の生存中多くの人に愛好されていた。もし、この曲を“通俗的”として多くの歌手が軽んじているとすれば、それは歌の旋律とピアノパートの職人芸ともいえる技巧などから鑑みて、この曲固有の美しさを否定する偏見に過ぎないだろう。 

ます D550

原詩はシューバルトであるが、この曲を作ってから友人達はたくさんのコピーやバリエーションを頼まれていることから、彼の生存中、この曲が最もポピュラーなものの一つだったようである。何回か書き直したのち正式に出版されたのは4年後(1820年)である。それまでに付点音符を加えたりして、水の渦巻く様子や、ますと釣り師、そしてそれを見ている私の心などを生き生きと描写している。 

セレナーデ D957-4

多くの人々に愛されているこの曲は、シューベルトの三大歌曲集の最後を飾る「白鳥の歌」の4番目の歌である。のどを赤く鳴き腫らしながら恋の歌を歌うナイチンゲールが登場するるこの鳥は古代ギリシャでは「処女神アルテミス(ダイアナ)」のお使い姫として知られている。 詩はL・レルシュタープで、ゲーテ、ハイネ、シラーといった一流の詩人ではなく、もしシューベルトが作曲しなかったなら、埋もれてしまった詩人達の一人であった。 

糸を紡ぐグレートヒェン D118 

ゲーテ畢生の大作「ファウスト」の一場面に付曲したもので、ヒロイン・グレートヒェンの恋の苦悩を激しく歌いあげた歌。シューベルト17歳の作品。ドイツリードの誕生の曲とも称されている。糸車の回転する音と高鳴る胸の鼓動とを、初めから終わりまで絶えることなく繰り返される左手のアルベジオで表現し、悲劇を予兆させる切迫感に満ちた歌となっている。 

子守歌 

 原詩はドイツ国歌の作詩者として知られるホフマン・ファラースレーベン。シューベルトがこの詩人の詩に付曲したという記録はない。したがって今回ここで紹介されるがこの「子守歌」は、シューベルトの作品目録には存在しないものである。協会の例会で一度歌われたが、どのような経緯をたどって紹介されたのか今となっては謎となってしまった。 

恋人は近くに D162 

1815年、シューベルトは約140曲もの歌曲を書き上げ、前年とともに、まさに「歌曲の年」といってもよく、中でもゲーテの歌曲が28曲と最も多く、「ミニョンに」「憩いなき愛」「野ばら」などの名曲が生み出された。この曲もその中の一曲で、詩人が日常の情景を描写しながら恋人のことを思い浮かべるという愛らしいメロディーであふれている。作曲技法としはピアノの前奏が主和音以外の和音で始まり、歌詞が始まるところで和声的な頂点を迎えるという特徴を持っている。 

糸紡ぎの女 D247

「糸を紡ぐグレートヒェン」と同じく、「ファウスト」のヒロイン、 グレートヒェンの悲劇を歌った七節にわたる有節リード。くるくると糸車のように繰り返される単純で美しいメロディーが、淡々と物語を語り紡いでゆき、やがてえい児殺しと親殺しの罪で裁かれることになるヒロインの「秘められた悲劇」(アインシュタイン)を暗示して終わる。 

 

 

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