シューベルトとチェロ

                        五月女保幸

 

シューベルトは、生涯を通じてチェロの独奏のための曲を一曲も作曲していません。しかし、シューベルトがチェロに対して特別な思い入れを持っていたことは十分に確からしいことと考えられます。その証拠は、多くの室内楽作品に見ることができます。

2曲のピアノ三重奏曲では、ベートーヴェン同様、3楽器が全く対等の役割を持ちます。変ホ長調三重奏においては、その第2楽章でピアノの伴奏にのり、あのスウェーデン民謡をもとにした叙情的な歌を圧倒的な存在感で歌わせています。「死と乙女」弦楽四重奏曲の第2楽章変奏曲の朗々とした旋律はきわめて印象的です。弦楽五重奏曲では、通常の五重奏ではビオラを2本にするところを、チェロを二台使用し、アンサンブルの低音を支える役目から開放された叙情的旋律楽器としての性格を強めさせています。第1楽章第2主題の滔滔と歌うチェロの二重奏や、第二楽章のバイオリンの独特な伴奏音形とかわされる二台のチェロの旋律との対話などはその最たる例です。

これらに見るシューベルトの独奏楽器的チェロの用い方は、叙情的旋律を歌わせることに特徴があります。その音域は、声楽のハイ・バリトンとも重なります。その意味で、「歌曲王」シューベルトの声楽作品をチェロによって演奏することはとても魅力的なことではないでしょうか。そこで今回の例会の前半のプログラムでは、「美しい水車屋の娘」を、チェロに歌ってもらおうという新機軸の趣向を企画しました。名曲「アルペジオーネ・ソナタ」とのカップリングでお贈りしたいと思います。

 

さて今日の一曲目、「アルペジョーネとピアノのためのソナタ」です。ご存知のように、これはアルペジョーネというシューベルトの存命当時ウィーンで発明された、今では廃れた楽器のためのソナタです。そのため、現在ではチェロやビオラで演奏されることが多く、編曲が前提の作品として扱われます。他に、フルート、バイオリン、クラリネット、ファゴット、バイオリンとギター、ギターとオーケストラなどへの編曲が見られます。

アルペジョーネについてご説明します。プログラムにオリジナル楽器の写真を掲載してあります。この楽器は、1823年、ウィーンのシュタウファーという楽器製造職人が、ギターとチェロの中間的楽器の作製を意図して発明しました。チェロに似た楽器ですが、ギターのような胴体で、弦は6本あります。ギターと同じ調弦法をとります。指板上には、24個のフレットがあり、演奏には弓を用います。弓を用いる弦楽器の初心学習者にとって、まずもって手間取ることのひとつは正しい音程を取れるようになることですが、この楽器はフレットがあることでそれが容易になります。しかも、当時かなり普及していたギターの調弦が採用されました。シュタウファーはおそらく、弦楽器の初心者の《練習用》楽器として普及することを狙って製作したのでしょう。その発明から間をおかず、翌年には、シュースターというこの楽器の奏者がディアベリ社から教則本を出版しています。その前書きには、「旋律楽器として伴奏楽器としての両方の要求にこたえ、やさしく豊かな音が耳や魂に心地よい」とあります。シューベルトはこの教則本を書いたアルペジョーネの名演奏者シュースターの依頼で、182411月にイ短調ソナタを作曲しました。この曲が作曲されなければ、おそらくこの楽器の名前は今ではすっかり忘れ去られていたことでしょう。シューベルト「さまさま」というわけです。

曲は3楽章からなりますが、23楽章は続けて演奏されます。全編豊かな「歌」をたたえた美しい作品です。シュースターの教則本にあるようにこの楽器は伴奏も得意としましたから、途中にはピチカートによるいかにもギターを連想する伴奏も織り込まれています。

 

それでは「アルペジョーネとピアノのためのソナタ」イ短調を黒川さんご夫妻の演奏でお楽しみください。

 

( 演  奏 )

 

チェロが歌う「美しい水車場の娘」

 

さて次は「美しい水車場の娘」です。ご存知のように、ドイツの詩人ヴィルヘルム・ミュラーの同名の連作詩集「美しい水車場の娘」に曲をつけた20曲からなるチクルスです。本日は、この中から7曲を抜粋し、チェロによる歌でお届けします。

抜粋された7曲はこのチクルスの物語のアウトラインをたどります。第1曲「たび」、さすらいの粉引き職人の若者が揚々と登場します。第3曲「止まってくれ!」、美しい水車場の娘に惹かれた若者はこの地にとどまることを決心します。第6曲「知りたい男」、若者は娘への告白にゆれ小川と対話します。第11曲「わたしのもの!」、娘に思いを受け容れられた若者は喜びにあふれます。しかしその喜びも束の間、第14曲「猟師」では、ライバルの狩人があらわれ、娘の愛を若者から掠め取ってしまいます。第18曲「しおれた花」、若者は失意に沈みます。第20曲「小川の子守唄」、失意のあまり小川に身を投げた若者は、小川から永遠の平穏を与えられます。

シューベルトの歌曲の大きな特徴の一つは、伴奏ピアノも、単なる和声やリズムの支えを超えて、情景描写や心の動きをていねいに描きこんでゆくところです。第1曲「たび」のピアノは、小川の流れ、水車、石臼の音を描写的に表しますが、同時に「旅に出たい気持ち」という若者の心情を表します。第3曲「止まってくれ!」では、回転する水車の重い響きがイントロから聞こえてきます。第6曲「知りたい男」では、娘の心のうちを知りたい若者が、小川に問いかける「問いかけ」とそれに対する「応答」というピアノの短い、たった2小節の対称的なフレーズで象徴されます。「問いかけ」の後の短い沈黙には、答えを待つ一瞬のサスペンスさえ感じられます。そしてこの「問いかけと応答」という短いモチーフが、若者の心のうちを見せる旋律となって展開してゆくことになります。小川の答えはいつもこのような音形で示されます。第14曲は、まさに狩人の狩猟ラッパです。それを忌々しく思う若者の苦い気持ちも映し出しているようです。第20曲には、弔いの鐘が聞こえます。この鐘は最も演奏時間の長いこの曲の全編になり続け、ささやくような歌をやさしく包み込み、永遠に続くような心の平穏が表現されているようです。

こういったシューベルトの作曲の手法は、チェロが「言葉のない歌」を演奏することによって一層明らかに、見えてくるでしょう。そして単に言葉の意味合いだけではなく、その奥にシューベルトが一体何を見ているのか、読みぬいているものを、明らかにしてくれることでしょう。黒川さんの演奏が楽しみです。

それではチェロが歌う「美しい水車場の娘」お願いします。

 

( 演  奏 )

 

( 休  憩 )

 

1828年9月のシューベルト

 

 1828年9月、これはシューベルトの死の2ヶ月前のことですが、残された自筆譜の日付からすると、このたった2,3週間の間にシューベルトは、三つのピアノソナタ、そしてのちに「白鳥の歌」として出版されることになるハイネの詩による歌曲を数曲、そして最後に、あの弦楽五重奏曲を作曲しているのです。三つのピアノソナタについては、スケッチが残っていて、作曲の作業そのものは、その年の6月から8月の間に準備されていたのですが、それにしても、この短い期間にこれらの傑作が生み出されたと言うことは、信じられないことです。急いているようにも見えるこの頃のシューベルトは、果たして死を予感していたのでしょうか。

しかしそれを思わせる確かな証拠は一切残っていません。8月になって体調を崩し、おそらくは、梅毒の第3期の症状と思われる、絶え間ないめまいと頭に血が上るのに悩まされていたシューベルトは、9月1日に医者の勧めで、ウィーン郊外の兄フェルディナントの家に引っ越します。そして8月末に市内で会った知人との会話の中に、「時々僕は、最早この世に属していないのではないかと思うことがあるんだ」という言葉を残しています。こういったことが、死の予感と結びつくものかどうか。決め付けることはできないでしょう。

ただ、英国のシューベルト研究家、ジョン・リードという人が面白い指摘をしています。この最後の三つのピアノソナタは、いずれも自作からの引用や引喩が多いという特徴を持っていると言うのです。例えばイ長調のピアノソナタのロンドの最終楽章は、明らかに1817年の(シューベルト20歳のときの)イ短調ソナタの主題と同じであり、これから演奏される、変ロ長調のソナタの第一楽章の主題や展開部には、1814年、シューベルト17歳のときに作曲した「ファウスト」からの一場面、礼拝堂のシーンでの合唱隊のパッセージが使われているというのです。そのほかいくつか類似点を挙げているのですが、ここでは省略させて頂きますが、最後にリードはこう言って結んでいます。「1828年のセットは、むしろ1816年や1817年の初期の作品の方を向いており、時折そのまま引用したり、もっと多いのは雰囲気や素材の全般的な類似性である。これらのソナタには、特別に『懐古的な』特質がある」と。

意識的であったかどうかは別にして、この一連の最後のピアノソナタには、確かにそのような人生の振り返りの心情がこめられているように思えます。そして又、この清書譜面のそれぞれの表紙には、興味深いタイトルがシューベルト本人によって付けられています。ソナタT、ソナタU、ソナタVと。これが新しい始まりであるという意味だったのか、それとも、彼がこの世に残す三曲という意味だったのか。これも今となっては分りません。皆さんはどうお考えになるでしょう。

ところで、晩年のシューベルトが長大なピアノソナタを残したことについて、「シューベルトはベートーヴェンのピアノソナタを模倣して失敗した」という見解が世にあるようです。それはシューベルトがベートーヴェンの作品に倣って長大な作品を作ったが、ベートーヴェンのような楽曲の構成力がなく、主題労作の技能に欠け、単調で退屈な作品に出してしまったというものです。多くの名だたるピアニストがシューベルトのト長調の幻想ソナタやハ短調、イ長調、本日演奏される変ロ長調のソナタをメインとした演奏会を数多く行なう今日ではマイナーな意見であると思われますが。

このような見解は明らかに誤解でありましょう。名ピアニスト、アルフレット・ブレンデルの論文の趣旨を借りて説明するとこうです。「ベートーヴェンは論理的で、短縮技法と楽章を統合する構成力で楽曲を作ったが、シューベルトは自分の感情を信頼し、無駄を省くのと反対方向にずば抜けて広い感情分野にわたってエピソード風の形をとどめる作曲法をしたのである。シューベルトは自分の個性を失わずにベートーヴェンから学べると感じ、『ベートーヴェンの音楽を模倣したときに、彼は成功したのである』」というものです。まさに卓見です。そういった独自の作曲上の心境が遺作の3曲のソナタに色濃く出ているということです。

リードの意見と合わせて考えるなら、シューベルトの目は、過去を見ながらも、未来を見つめていたとしたいわけです。

曲は4楽章からなります。第1楽章Molto Moderatoいかにもシューベルトらしい穏かな主題で始まるソナタ楽章。トリルのモチーフが印象的です。第2楽章Andante sostenute なんと嬰ハ短調という意表をつく調性の3部形式の美しくかつ神秘的な楽章。その主題は3オクターブにわたる特徴的な伴奏をともない、弦楽五重奏の第二楽章をおもわせる叙情的な旋律です。第3楽章は軽やかで気の利いたかわいらしいスケルツォ。con delicatezza なる表記もあります。第4楽章 Allegro ma non troppo 変ロ長調の楽章だが、最初はハ短調のハンガリッシュな旋律で始まります。長大なフィナーレです。展開部のないソナタ形式を取っていますが、第2主題では少なからず展開的発展も含まれ、再現部では主題がより展開されています。最後にはプレストのコーダで締めくくります。ブラームスの交響曲第1番のフィナーレも展開部のない展開的主題再現部とコーダを持つ楽章となっていますが、このような形式はシューベルトの影響だと指摘する人もいます。

それではお聞きください。黒川文子さんのピアノ独奏による、「ピアノソナタ変ロ長調」

 

( 演  奏 )



      最近の例会に戻る