實吉晴夫記念コンサート シューベルトを歌い紡ぐ 3
手紙と作品でたどるシューベルトの青春時代
SCHUBERT 1812〜1818
Wohin? どこへ
◆日時 2005.11.29(火) PM 6:30 開場 PM 7:00 開演
◆会場/星稜会館
◆演奏 歌/地引憲子(Ms) 諸岡智子(S) 畑儀文(T)
ピアノ/阪本田鶴子 渕上千里
◆朗読/山口晃史
◆演奏曲目
マス Die Forelle D550 原詩/ショーバー 死と乙女Der Tod Und
das Maedchen D531 原詩/クラウディウス 魔王 Der Erlkoenig D328 原詩/ゲーテ 「美しき水車場の娘」Die schoene Meullerin
D795より()原詩/ミュラー) 2.どこへ? Wohin? 6.知りたい男 Neugierige 8.朝のあいさつ Morgengruss 子守歌 Wiegenlied D498 トゥーレの王 Der Koenig in Thule D367 原詩/ゲーテ 糸を紡ぐグレートヒェン Gretchen am Spinnrade D118 原詩/ゲーテ
重唱/セレナーデ Staendchen D921 通称 Notturno ノットゥルノ 原詩/グリルパルツァー
人は何故歌うのだろうか? 何故歌を聴くのだろうか。何を聴こうとするのだろうか?
地引憲子さんの歌を聞くとその問が頭の中をめぐる。彼女の歌う歌を通して自分の心の中に動くものについて深く考えさせられるのだ。もっといえば詩の言葉と自分とが向き合ってしまうといってもいいかもしれない。自分にものこっている真摯な部位に触れてくるものがあるのだ。
歌というものは人間にとって抜き差しがたい何か決定的な感化を及ぼすものだということを、改めて思わされる。
彼女ほど、歌の言葉の持つ呪力に感応して歌う歌手はいない。だから歌を聴くたびに単に、歌を聴いたという以上の何かが残る。存在に関わる大切な何か。彼女を「巫女のようだ」という人もいるが、歌を通して何事かを託宣しているとでもいうような、そういうふうにも思える何か。
数年前、彼女の歌う実吉晴夫邦詩「「冬の旅」を聴いて、「言葉が立ち上がるのを感じた」と前代表佐藤巌氏が評されたが、彼女は、詩人の魂の或る意味では二次元に書かれた「お告げ」を三次元に「立ち上げ」、聴く人の心に届けるまさに「巫女」といえるのかもしれない。
たとえば「死と乙女」のたった数行で終わってしまう、こんな歌詞がある。
そばへこないで 怖い死に神 いやよ さわらないで
美しい乙女よ 裁きに来たのではない
勇気を出せ 私の腕の中に憩え
歌謡曲の歌詞にもありそうなこの邦詩が、シューベルトのメロディーにのって地引さんの声で歌われると、たちまち光彩を放って立ち上がり命を吹き込まれる。わずか2分足らずの「死と乙女」を聞き終わったとき、その時間は永遠と一瞬のはざまに屹立し微動だにしない。そして聴いた人の心に震撼とした時間すなわち「死」への畏怖がはっきりと記憶される。
そして、地引憲子氏が歌うとき、この歌は、「死」さえ憩いの場として納得させてしまうのだ。そして果てしなく「祈り」に近づき、聴く人の心に深々とした安らぎをもたらすのである。
今回の実吉晴夫記念コンサートは、その地引憲子氏の企画構成・脚本によるシューベルトとシューベルトの音楽と人を愛してやまなかった実吉氏の魂に捧げられた「祈り」として構成されている。
実吉記念コンサートではなく、地引憲子リサイタルになってしまったといった人もいるが、その演奏家が芸術家として強く豊かな表現力を持った人ならリサイタルという趣を持ってしまうことは当然のことではないだろうか。
シューベルトの音楽に感動し、やむにやまれず自己表現として邦詩化したのが実吉晴夫氏であり、其の詩に心底共感し、声楽家として触発された地引さんが芸術表現として記念コンサートを思いたったのだ。誰に依頼されたのでもなく。これこそが、自己表現、芸術表現たるゆえんである。
極東の地で、シューベルトと実吉と地引氏の出会いが、このような音楽会となって三度も実現できたというしあわせ、そして私たちが三度も享受出来るしあわせを地引憲子さんに心から感謝したい。
コンサートの第1部は、31歳の生涯に青春時代と称する時間を区切るということは難しいことだが、あえて、1818年から1822年の6年間をその時代とし、音楽朗読劇として披露された。数々のピアノ曲が間断なく、シューベルトの残された手紙の言葉と共に、さまよう青春の苦悩を紡ぎ出す。その苦しみから滾々とわき出る作品群。絶妙なタイミングで即興曲やドイツ舞曲、変奏曲などがと渕上千里さんと地引さんのピアノによって次々と演奏され、シューベルトの音楽の美しさは、どのような細部にも行き渡っていることを改めて実感した。
シューベルト作詞作曲の「別れ」は生涯にわたる宿命の友といわれるショーバーの転勤に際し作られたという。シューベルトのこの詩が朗読された後、ゲストのテノール歌手畑儀文さんがドイツ語で歌われた。前半の朗読音楽ドラマ唯一の歌曲である。出だしのいかにもシューベルトらしい美しいメロディーは心にしみいる。いろいろな意味で悪友と称されるショーバーに対するシューベルトのピュアな思いは終生変わることは無かったという。愛する人との別れの悲しさが、静かな音のたたずまいの中でシューベルト自身の言葉で語られるとき、ショーバーがシューベルトにとっていかにかけがえのない友であったかということが伝わってくる。
手紙に頻繁に出て来る家族のエピソードに、感際まった朗読者が声をつまらせ、涙をぬぐう。それをプロらしからぬと思う人もいれば、シューベルトその人の涙と感じ、共に涙する人もいる。聴衆は一様ではない。さまざまな聴き手の思いも束ねてシューベルトの青春時代がたどられていった。
地引さんは歌ばかりでなく、ピアニストとしても大変な技量の持ち主だということは、協会の例会などで度々披露していただき周知の事ではあったが、今回改めて実感する収穫もあった。
後半はそれぞれの持ち味を生かした歌で構成されている。地引さんの日本語の歌唱指導の下、ソプラノの諸岡智子さんは「トゥーレの王」「子守歌」「糸を紡ぐグレートヒェン」を熱唱、ゲストの畑さんには、「美しき水車場の娘」の中から「どこへ?」など三曲を天性の美声で披露していただき喝采を浴びた。自他共にゆるすシューベルティアンの阪本田鶴子さんのピアノ伴奏も心がこもって暖かだった。
地引さんには「マス」「死と乙女」「魔王」と、グリルパルツアーの「セレナーデ」を畑さんとの二重唱で歌っていただいた。ピアノは渕上千里さんで、なかでも「魔王」は白眉。歌というよりもうほとんど「語り」の世界であった。「何故か涙がとまらなかった」という人もいて、地引さんの気迫に圧倒されるしかない、それはまさにあっという間の出来事≠セった。
たった一節のメロディーとことばによって人は涙し、喜び、苦しみから解放され、救われる。シューベルトのメロディーの美しさは比類がない。どんな母国語であっても、その美しさは変わらないであろう。
しかし、歌手が本気になって歌いたくなる母国語になっているかどうかが
問題であって、それがない限り感動を届けることはできない、と思う。
歌は人間存在に密着したものだ、ということをあらためて確認した一夜であった。
参加してくれた演奏家のみなさんの一年に及ぶ研鑽努力によって、「母国語」にこだわった実吉氏の思いは、三回目にして、シューベルトマニアではない 300人を超える一般聴衆にしっかり届けられた。演奏後、演奏家のもとには、「この続きを是非見たい」「こんどの予定は?」「シューベルトのこともっと知りたい」などの問い合わせがひっきりなしにあったという。
シューベルトの音楽への扉は、大きく開けられたと、確信した。
石川るい子 記
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