2013年春の例会

物語詩による歌曲「人質」と
オペラ「フィエラブラス」抄


曲 目

「哀しみの喜び」「水の上で歌う」「溢れる愛」
「冬の日」「ナイチンゲール」「人質」

オペラ「フィエラブラス」より
序曲
ロマンツェ「夕闇が迫り来る」レチタティーボ「どうしてこうなるのだ」
テノール・アリア「心の奥に芽ばえた憧れ」アンサンブル「何だ!騒がしい物音」
三重唱「あゝ、裏切り者め」男声合唱「愛しい祖国よ」

演奏
ソプラノ: 牛津佐和子    テノール: 畑 儀文
テノール: 圓谷俊貴     ピアノ:村田千佳
男声合唱 BH Chor 指揮:田村典子 ピアノ:高橋美佐子

2013年3月2日(土)pm2:00開演(1:30開場)
会場:サローネ・フォンタナ  





例会感想

 春の例会では、シラーのバラード「人質」と、オペラ「フィエラブラス」からの抜粋を中心とした声楽曲を聴かせていただいた。ここではこれらの曲の紹介を兼ねて、当例会の感想を述べたい。
 今回の選曲のコンセプトは、「ドラマ」ということにあるように思う。もちろん、叙情的な情景描写が特徴の「水の上で歌う」や、「野ばら」と同時期に作曲され、セットで出版されたゲーテの「悲しみの喜び」、BHChorの方々による合唱曲の演奏も印象深かったが、今回は畑さんと村田さんによる「人質」と、出演者全員参加の「フィエラブラス」がひときわ目立っていた。以下はこの二曲を中心に解説していきたい。
 独唱とピアノのための歌曲「人質」D.246は、「野ばら」や「鼠取り」、「月に寄せて(第一作)」といったゲーテの詩による著名な歌曲が集中して作曲された1815年8月に生まれた。この年は百四十曲以上の歌曲が作曲されたすさまじい多産の年であって、前後あわせて三年間で考えると、シューベルトの現存する楽曲一千曲あまりのうち、三分の一以上がこの短い期間に生み出されている。彼は当時コンヴィクトを辞め、父の手伝いとして小学校の教員を務めていた。その合間の短い時間を使ってこれだけの曲が作曲されたのである。
 原詩であるシラーの「人質」は、太宰治の「走れメロス」としてお馴染みのものとほぼ同一である。杉山さんが解説されていたが、太宰はこのストーリーをふくらませ、細部を豊かに描写している。しかし実のところ、太宰は自らの体験を「走れメロス」に投影してもいた。彼は熱海の旅館で執筆活動を行なっている際に、諸々のツケを溜めすぎて払えなくなってしまった。そこに友人の檀一雄が太宰の妻からのお金を持って現れるが、太宰は彼を豪勢にもてなすあまりそのお金をも使い切ってしまう。そこで檀に「人質」になってもらい、太宰は東京へと「走った」のである。しかし彼は決してシラーが描いたような英雄ではなかった。なんと太宰は借金を頼みに行った先の井伏鱒二亭で将棋を指しているところを、仕方なく探しに来た檀に発見されたのである。彼は怒る檀に対して「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」と言ったという。そもそもシラーの詩もギリシャの寓話「ダーモンとピンチアース」の影響を受けていると言われているが、太宰は実際にメロスなった体験から、あの繊細な心理描写を生み出したのだろう。
 話をシューベルトに戻そう。「人質」は、演奏時間が二十分に達しようかというほどに長大なバラードである。まさにオペラと比較しうるかもしれないが、実際にシューベルトはこの翌年に「人質」のオペラ化を計っているものの、未完に終わっている。こちらのバラードはオペラとは異なって独唱者は舞台から離れることはできないし、楽譜にもメロスの心情を表すかのごとく多数の「geschwind(速く)」が記されているために、演奏に必要な労力は並々ならぬものがあるだろう。特徴的なのは、台詞の部分の多くがレチタティーヴォ(伴奏の目立たない、朗読的な箇所)となっている点であり、その点ではオペラ的なのだが、ナレーションが多く含まれているために単純なオペラの模倣にはなっていない。そして何よりも、「魔王」や「馭者クロノスに」で見られるような、シューベルトが得意とする心情と情景の描写技法がふんだんに用いられている点がこの曲の独創的な要素となっている。緩急や拍子を変えピアノによって表現されるいくつもの場面は、オペラよりもいっそう「ドラマ的」だと言えるだろう。このように、「人質」はその規模においても、内容の豊かさにおいても特異な楽曲である。今回、この演奏困難な歌曲を聴く機会を得ることができたことには大いに感謝したい。
 次に、オペラ「フィエラブラス」について。1823年に作曲された「フィエラブラス」D.796は、十九曲存在するシューベルトのオペラの中でも最後期の作品である。この楽曲は三幕からなる大作で、シューベルトの存命中はもとより、完全な舞台上演は1988年にアバドが成し遂げるまで行われていなかった。例会で行ったのはいくつかの場面の抜粋演奏だったために、この作品の背景や物語についての理解が難しかったと思われるので、以下では「フィエラブラス」のストーリーを紹介する。
 本作の背景は中世フランス、シャルルマーニュの時代である。その内容は史実よりも叙事詩『ローランの歌』から多くを採っており、主要人物としてもシャルルマーニュであるカール王、ローラント(フランス語名ローラン、電子楽器メーカーRolandの由来でもある)やその盟友オリヴィエが登場する。主人公のフィエラブラス(テノール)はカール王と敵対しているムーア人の君主の息子であり、一方のエギンハルト(テノール)はカール王配下の騎士である。この二者とローラント(バリトン)との友情およびカール王の娘エンマ(ソプラノ)との恋愛が本作の主軸となっており、最終的にはカール王の勝利と両陣営の和解によってハッピーエンドがもたらされる。
 例会では第一幕フィナーレの大部分と第二幕第三場冒頭の騎士の合唱が、出演者の迫真の演技を交えて演奏された。第一幕のフィナーレは、エギンハルトとエンマとが愛を語り合い、それを捕虜となったフィエラブラスが目撃する場面から開始される。フィエラブラスはかつてローマでエンマと会い、彼女に恋をしていたのである。彼が苦しんでいると兵士たちが現れ、エンマを探し始める。逃げるエギンハルトとエンマに遭遇したフィエラブラスは嫉みの心を抑えて、エギンハルトを逃がすのであった。例会で演奏されたのはここまでだが、この後フィエラブラスはエンマ誘拐の疑いをかけられて投獄され、今度はエギンハルトが罪の意識に苛まれることになる。第二幕の場面は、ローラントとエギンハルトの一行がムーア人君主に捕らえられた後で、祖国を想って歌う箇所である。ここは無伴奏のコーラスで、男声合唱による騎士たちにエギンハルトとローラント(今回は不在)が加わっている。井形ちずる著『シューベルトのオペラ』(水曜社)によれば、この合唱には序曲のモチーフが使われており、ア・カペラということも相まって印象深い場面である。
以上の場面からもわかるように、友情あり活劇あり恋愛ありの大作が「フィエラブラス」なのである。元来、シューベルトのオペラは台本に恵まれなかったために不出来なものばかりで、存命中も評価されなかったと言われてきたが、井形の分析によるとこれは誤りで、むしろ原因は当時の時代背景、つまり政府がイタリアオペラを奨励し、ウィーン人の文化活動の統制や検閲を行なっていたという状況にあると考えられている。従ってシューベルトのオペラは歌曲に劣るどころか、それをもしのぐ価値を秘めていると見ることもできるのである。
 今回の例会は、そのようなシューベルトのドラマ製作者としての面を示すための大胆な試みであったと考えたい。この例会の収穫は実現のための労力に見合ったものであると感じているため、今後もこのような試みに取り組んでほしいと願う次第である。

    藤井記


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