2014秋の例会
■シューベルトの四季
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| ピアノ:阪本田鶴子
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| ソプラノ:牛津佐和子
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「春の信仰」「朝の歌」「秋」「冬の歌」
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| アルト:永澤麻衣子
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「春の神」「エルラフ湖」「秋の夕べ」「冬の夕べ」
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■瀧廉太郎の四季
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| 女声合唱:コーロ・レジーナ
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| 男声合唱:BHChoir
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| 指揮:田村典子 ピアノ:木内泰子
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| オルガン:高橋美佐子
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組歌「四季」:「花」「納涼」「月」「雪」
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■ピアノ曲 独奏:大原亜子
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| シューベルトの「メヌエット」
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| 瀧廉太郎の「メヌエット」
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| シューベルトの「イ短調ソナタ」
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| 瀧廉太郎の「憾」
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■瀧廉太郎の独唱曲・合唱曲
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「荒城の月」「四季の瀧」「別れの歌」
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ほか
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2014年10月11日(土)pm2:00開演(1:30開場)
会場:早稲田奉仕園・リバティホール
例会感想
2014年の秋の例会は、10月11日に早稲田奉仕園リバティホールで行われた。今回のテーマは「早逝の作曲家」ということでシューベルトに加えて瀧廉太郎が取り上げられ、コーロ・レジーナとBHChorの方々による合唱と牛津佐和子さん、永澤麻衣子さんによる独唱、そして大原亜子さんと阪本田鶴子さんのピアノが目玉であった。
演奏曲目の解説に入る前に、今回のゲスト作曲家といえる瀧廉太郎について簡単に紹介してみよう。彼に関しては「花」や「荒城の月」、「箱根八里」といった著名な歌曲の作者であることは知っていたが、当日に杉山さんがお話されていたように、23歳という若さで亡くなったまさに夭逝の作曲家であるという事実は衝撃的であった。これはシューベルトファンにとってはなおさら大きなことである。なぜなら、シューベルトの31年という生涯は、一般に「夭逝」と言われているモーツァルトやショパン、メンデルスゾーンよりもさらに短く、シューベルトファンは彼をこれらの作曲家と比べて奇妙な優越感に浸るという特権を有してきたと思われるからだ。実際に、この日までは人生の短さでシューベルトに勝るのは「乙女の祈り」のバダジェフスカ程度だと考えていた(今回調べてみて、他にペルゴレージとアリアーガも非常に若くして亡くなっていることがわかったのではあるが)。
そのような短命にすぎる一生を送った瀧の生涯を以下に記述しよう。瀧は1879年の東京に生まれ、尋常小学校卒業後に父吉弘の転勤によって大分へ移り、そこで高等科を出た後、15歳で再び上京し現在の東京芸術大学音楽学部の前身である東京音楽学校に入学した。予科から本科専修部、研究科へと進んだ瀧はピアノや合唱の演奏会を開くとともに作曲を行い、例会で歌われた歌曲のほとんどはこの時期に作られている。1901年に彼は学校からの要請によってドイツのライプツィヒ王立音楽院(現在のメンデルスゾーン音楽院)に留学する。しかし瀧は入学わずか二ヶ月にして感冒で入院し、音楽院も休学、病は後に肺結核となり、半年後には留学を中止し帰国することになった。帰国してからも病状は快方に向かわず、いくつかの遺稿を残し1903年に大分の地で亡くなった。このたった23年の期間に、彼は今回演奏されたものも含め34曲の作曲作品と、11曲の編曲作品を遺している。
さて、例会内容の紹介に入ろう。最初に演奏されたのは、瀧廉太郎の「四季」である。この中で「花」は非常によく知られているが、残りの「納涼」、「月」、「雪」が一度に演奏されることは珍しいといえる。それには一曲ごとに編成が異なっていおり、通して演奏しづらいという理由があるが、今回はオルガンまで用意していただき、四曲の完全な演奏が実現した。シューベルトで言えばD.225「漁師」を彷彿とさせるような川の流れを表現した伴奏と美しいメロディーがきわめて印象的な「花」、舟歌調の八分の六拍子に乗せて、第二節が短調となる通作歌曲の「納涼」、無伴奏四部合唱で「あゝなく虫も おなじこゝろか」という瀧自身による詩が心に残る「月」、オルガンとピアノが用いられ、雪景色の中で一時の温もりがうかがえる「雪」のいずれも、音楽から四季折々の情景が浮かび上がってくるかのような傑作であり、一曲のみ取り上げるのは実に惜しい歌集であることがよく理解できた。
これに対してシューベルトの「四季」として牛津さんと永澤さんがそれぞれ四曲披露された。伴奏はいずれも阪本さんである。春はD.686「春の信仰」とD.448「春の神」で、ゆったりとしたリズムで「いまやすべてが変わる」と歌う前者と明るく弾んだ伴奏の後者どちらも春にふさわしい曲であった。夏については、選曲には相当悩んだものと思われる。というのも、シューベルトは春と冬については溢れるほどの歌曲があり、秋もコオロギの鳴くD.800「独りずまい」などがすぐに思い浮かぶが、夏はタイトルに限って言えばD.289「夏の夜」しか存在しないのだ。今回選ばれたのはD.685「朝の歌」とD.586「エルラフ湖」で、それぞれ理由があってのことだろう。どちらも日本の蒸し暑い夏のイメージとはかけ離れた穏やかな曲で、文化や風土の違いを味わうことができた。一方秋の二曲、D.945「秋」とD.405「秋の夕べ」はまさにイメージ通りの物悲しい秋の季節を表現している点も面白い。最後の冬の曲はD.401「冬の歌」とD.938「冬の夕べ」という珍しいチョイスを楽しむことができた。特に後者は「冬の旅」の雰囲気とはまったく異なる暖かいもので、その点で先の瀧の曲とも共鳴しているように思われた。
続く後半の部でまず演奏されたのは、大原さんによる瀧の独奏ピアノ曲のすべてである「メヌエット」と「憾」、そしてそれに合わせたのであろうシューベルトの三つのメヌエットD.380第一曲とピアノソナタD.784第一楽章である。瀧のメヌエットは、短調と長調が入れ替わる中でシューベルトもかくやという美しいメロディーが印象的だった。一方でレントラーやワルツ、ポロネーズを多数遺した「舞曲王」でもあるシューベルトのメヌエットも負けてはいない。そして「憾」である。これは瀧の絶筆であり、短い曲ながら、そのタイトルや曲調から伝わってくる思いは並々ならぬものがある。瀧が憾んだのは彼にその才能を開花させる十分な機会を与えなかった運命なのか、あるいは使命を満足に果たせなかった自分自身なのかは今となっては推し量ることしかできないが、天に向かって昇っていくかのような主題と、崩れ落ちるかのような終結部は彼の人生そのものを表現しているといっていいだろう。それに代わるシューベルトのソナタ14番も、13番の天国的な穏やかさとはうって変わった、彼の曲群が晩期に入ったことを象徴するかのような不気味きわまりないものである。この曲は一度レッスンを受けたことがあり、第3楽章は発表会で演奏もしたが、大原さんの演奏はもちろん、それとは比べるべくもなかった。あまりに静かなユニゾンの主題から不吉な半音トリルを挟んで一気に感情の爆発へと至る提示部、奇妙な付点リズムが一貫した展開部、そして再現部を経て穏やかなコーダで終わるこの曲の静と動のダイナミクスが見事に表現された演奏だと感じた。
両者のピアノ曲の対決が終わり、最後に再び瀧の歌曲が演奏された。一曲目は初期の作品「四季の瀧」で、四節の詩がそれぞれ春夏秋冬を歌う。作曲の際に彼は、大分県竹田の魚住の滝をイメージしていたのではないかと伝えられている。二曲目は「箱根八里」で、BHChorの方々の力強い合唱を聴かせていただいた。行進曲調の軽快な歌である。三曲目の「荒城の月」も語るまでもなく著名な曲だが、今回の演奏は非常に貴重な体験となった。実は、一般に広く知られているこの曲は山田耕筰が編曲したものであり、例会で演奏されたものはオリジナル版なのである。両者の違いは大きく、伴奏の有無やテンポ、そしてメロディーも一箇所異なっている。オリジナルでは「春高楼の花の宴」の「え」の部分が半音上がっているのだ。この箇所は当時から不評だったらしく、それを鑑みてか山田版では臨時記号なしの音階となっているが、改めて聴いてみると、このG、G、Fis、Eis、Fisの半音進行がいかに独特な響きを持っているかがわかる。シューベルトを引き合いに出すなら、「野ばら」の2小節目と6小節目、「Röslein stehn」と「morgenschön」の微妙な違いほどの差がそこには存在している。その変化が味わえたのが今回の演奏であった。そして最後に全員の合唱で歌われた一曲が「別れの歌」である。これは瀧が「憾」とともに帰国後に作曲した遺稿の一つであり、「あすはうつゝ けふはゆめ」という歌詞とともに、消え行くようなメロディーが歌われ、例会を締めくくるにふさわしい曲であった。
以上が例会の報告となる。今回はシューベルトともう一人の作曲家である瀧の音楽をテーマごとに選び出して対比させるという試みだったように思われるが、このような形式のおかげで両者の共通点と差異が浮き彫りになり、実に効果的であったという印象を受けた。毎度のことながら、このように興味深いプログラムを企画し、実現して下さった杉山さんと、それに応えて下さった演奏者の方々には惜しみない感謝の念を贈りたい。
藤井記
参考資料
松本正著『瀧廉太郎』大分県教育委員会刊
海老澤敏著『瀧廉太郎―夭逝の響き』岩波書店刊
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