2015年秋の例会

には琴の歌を歌わせよ


曲 目

◆自然を歌う
春の小川のほとりで(D361)
水の上で歌う(D774)
夕映えの中で(D799)
流れのほとりにて(D160)
流れ(D693)
星の夜(D670)
さすらい人の夜の歌II(D768)
夕星(D806)

◆愛を歌う
糸車のグレートヒェン(D118)
美も愛もここにいたことを(D775)
ズライカ I(D720)
君こそやすらぎ(D776)

(休憩)

即興曲第3番 (D935-3)
ミニョンと竪琴弾き(D877)
冥府への旅(D526)


出  演
ソプラノ:斉藤真歩  テノール:畑 儀文
ピアノ:大原亜子

2015年11月28日(土)pm2:00開演

会場:サローネ・フォンタナ  
開催:国際フランツ・シューベルト協会  協賛:メタモル出版




例会感想

 11月28日にサローネ・フォンタナで開催された秋の例会は、前回より半年以上間が空いていたために待ち望む気持ちも強かったが、期待を裏切らない内容であった。その理由は、今回のプログラムがこれまでの例会のスタイルを守ると同時に、新たな試みに挑戦したという点でバランスが取れていたためだと考えている。以下に、例会の内容を紹介しつつ、感想を述べてみたい。
 例会のタイトルは「琴には琴の歌を歌わせよ」。これは岡倉天心が紹介した中国の故事に由来している。そのあらすじを述べると、かつて龍門というところに、一本の桐の木があった。その木は天へと雄大に伸び、その根は地下に眠る龍のひげに巻きついていた。ある時、仙人がやって来てこの木から琴を作ったが、どんな名人もこの琴をうまく鳴らすことはできなかった。そこへ琴の名手、伯牙が現れ、それを見事に弾きこなし、四季の歌、山水の歌を歌った。これに聴き惚れた皇帝が伯牙に、なぜうまくこの琴を弾くことができたのかと尋ねると、彼は、他の名人たちが失敗したのは自分自身のことばかり歌ったからで、それに対して伯牙は、何を奏でるかを琴に委ねたのだ、と答えたのである。岡倉が取り上げていることからもわかるように、この物語には芸術というものに対する鋭い洞察が込められている。解釈はいろいろあるようだが、特に印象に残ったのは、木が周りの自然の出来事を記憶しており、伯牙はそれを引き出した、という部分である。ミケランジェロが、彫刻というのは自ら形を作るものではなく、大理石に隠されている像を掘り出すだけなのだと語ったという逸話と似て、ここでは自然と、その美を引き出す芸術家の複雑な関係が描かれている。「自分自身のことばかり」歌うのは駄目で、かといってあるがままでは、自然は何も歌わない。ここでシューベルトに目を向けてみると、確かに彼がこの逸話の実例であるように思えてくるだろう。川の流れや馬の足音、さらには花や月など音のないものの音までピアノで描写し、かつ「熱情的に」や「物憂げに」といった表現の指示を極力書かず、演奏者や聴き手に委ねるという手法は、伯牙の姿勢と共通するところがあるのではないだろうか。
 こうした芸術論について思い巡らせるのに、今回の演目はまさに適していたといえる。はじめに「自然を歌う」と題し、8曲の歌曲が演奏された。最初の3曲、「春の小川のほとりで」「水の上で歌う」「夕映えの中で」はソプラノの斉藤さん、後の5曲「流れのほとりにて」「流れ」「星の夜」「さすらい人の夜の歌」「夕星」はテノールの畑さんによって歌われた。春の歌から穏やかな夕暮れを経て、静かな夜へというコントラストが感じられたが、どれも明るさよりは憂いに満ちていたという点では、この季節にふさわしいものだった。次の4曲、「愛を歌う」はさらに2人の歌の対比がはっきりしており、斉藤さんが「糸車のグレートヒェン」「ズライカI」を、畑さんが「美も愛もここにいたことを」「君こそ安らぎ」を、それぞれ交互に歌った。この曲編成のため、2人が歌うグレートヒェンの激情や「君こそ安らぎ」の平安がいっそう際立っていたことは疑いない。
 さて、続いて後半部である。ここでは今までにない試みとして、3名の会員の会員番号の曲を演奏するというプログラムが組まれていた。ご存じの通り、シューベルト協会では入会時に会員番号としてD番号から好きな曲を選べるわけだが、選んだ人のその曲に対する思い入れは当然、並々ならぬものに違いない。そんな曲をプロの方に演奏してもらえるのだから、これほどありがたいサプライズはないだろう。演奏されたのは即興曲D.935の第3番、歌曲「ミニョンと竪琴弾き」「冥府への旅」で、とりわけ1曲目は個人的にも大好きな曲だっただけに実に満足だったし、演奏の際にはなぜこれを選んだかについての会員の方のメッセージも添えられ、今までとは違った視点から聴くことができて新鮮だった。今回のこの試みは、大成功だったと言いたいところである。また、このような贅沢な演奏依頼を引き受けて下さった大原さん、畑さん、斉藤さんにも感謝である。
 以上が秋の例会の報告となる。今回唯一惜しかったのは、邦詩による歌曲演奏が見られなかったことだ。この点に関しては、また次回に期待したい。一方で新たに挑戦した会員番号の曲の演奏は、ぜひともさらに進めてほしい内容だった。個々の会員としても、いつ自分の曲が演奏されるか楽しみにして開催を待てるはずである。


    藤井記


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