例会感想
9月9日、依然として真夏の暑さが続く中でおなじみサローネ・フォンタナで開催された例会は、シューベルト演奏会の基本といえる歌曲のみの構成だったが、そこではこれまでにない、新鮮な響きを聴くことができた。例会のタイトルは「オペラ歌手が歌う ドラマチック・リートの午後」というもので、プログラムは出演者の澤武さん自らが組まれた。では、以下にその内容をお伝えしよう。
まずは、今回の演奏家の方について紹介したい。テノールの澤武紀行さんは、普段はドイツに在住されているオペラ歌手で、モーツァルトの「後宮からの誘拐」やヴァーグナーの「男の策略は女の策略に勝る」の主役など、輝かしい経歴をお持ちである。そんな方に今回歌っていただける運びとなったのは、杉山さんが「フィエラブラス」のためのオペラ歌手を探している過程で、澤武さんがシューベルトの「春に」を歌っているところに出会ったことがきっかけだという。そこで杉山さんは彼に直接アプローチをかけ、澤武さんにも快諾していただけたので、今回の例会が実現できたというお話であった。一方でピアノの野間春美さんは澤武さんとは桐朋学園時代から演奏を行っており、歌曲の演奏に関しても息がぴったりであった。その澤武さんの選曲によるプログラムは、順番に「魔王」D.328、「死と乙女」D.531、「春の信仰」D.686、「春に」D.882、「ミューズの子」D.764、「竪琴弾きの歌」D.478の1番から3番、「ドッペルゲンガー」D.957-13、「鳩の使い」D.965Aとなっていた。歌詞はすべてドイツ語である。どれもシューベルトファンにはおなじみの曲だが、それだけに澤武さんの歌がいかに新鮮かというのがよくわかる構成であった。
そのことは、最初の曲「魔王」を聴いただけでもすぐに気づくことができた。シューベルト歌曲の中でもとりわけ有名なゲーテ作詞のこの曲は、ご存知のようにナレーター、親子、魔王の4人が入れ替わりで歌うようになっているが、オペラ歌手の本領発揮と言うべきか、それぞれの演じ分けがはっきりと聴き取れるだけではなく、全体が力強いエネルギーに満ち溢れていた。特に驚いたのが魔王パートで、叫ぶ息子に対して甘い言葉で優しく誘いかける、というのが従来の印象だが、澤武さんの魔王はそれよりはるかに強大で、恐ろしい存在になっていた。他にも父親が徐々に慌てていく様子や、最後にナレーターが恐ろしげに結末を語る様子など、臨場感たっぷりであった。この「魔王」を聴くだけでも、今回参加した意義は十分にあったと言えるほどである。そしてもちろん、聴きどころは魔王だけではない。次の「死と乙女」も同様の対話による歌曲で、死神の接近に怯える乙女と、静かに死の到来を伝える死神の語りが見事な対比をなしていた。中でも、後半の死神パートでは徐々に短調から長調へ移り、恐ろしい「死」が「憩い」へと変わるさまをシューベルトは描いているのだが、そうした変化が歌唱からもありありと伝わってきた。続く2曲「春の信仰」と「春に」は一風変わって穏やかな曲である。春の訪れによる新たな出発を歌った前者の曲は、これまでとはまた違った、のびのびとした歌声を聴くことができた。そして同じく穏やかな曲でありながら、伴奏の展開あり転調ありの表情豊かな内容で、シューベルト歌曲の中でも特におすすめしたい「春に」が続く。演奏の方も期待を裏切らず、素晴らしい歌声を堪能できただけでなく、それに負けないほどピアノの音色も美しかった。そして前半部ラストとなる「ミューズの子」は、協会が出しているCDのタイトルにもなっている活発な曲である。ピアノの弾むようなリズムがとにかく楽しげで、何度でも聴きたい曲なので、今回澤武さんの声で聴けて実に満足であった。
休憩を挟んで始まった後半部の最初は、ゲーテの教養小説(ビルドゥングスロマン)である『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』内の「竪琴弾きの歌」3曲が演奏された。解説で語られたように、物語中に登場する薄幸の少女ミニョンの父親である老人が、自らの境遇を歌った歌詞である。3番がとりわけ有名だが、全曲演奏される機会は珍しいといえる。第1曲「孤独になじむ者は」はその老人のもとへ「苦しみが日夜忍び寄」り、「墓の中でようやく孤独になれるならば、その苦悩からも解放されるだろう」と歌う哀切の歌である。第2曲「涙とともにパンを食べたことの無い者は」は他の2曲に比べて後年の作曲で、曲の構成も最も複雑となっている。悲しみの夜を過ごすこの老人が、そのような運命を与えた天上の神に対して嘆きの言葉をかける内容となっている。第3曲「家々の戸口に忍んで行き」はメロディーが非常に印象的なので記憶に残りやすい。老人の哀れな姿を見ると誰もが涙を流すだろうが、老人にはその涙の理由がわからない、という悲しみに満ちた歌である。どれも陰鬱な曲だが、澤武さんの歌声はこの曲の持っている魅力を十二分に引き出し、心を揺さぶるようなものであった。続く曲は、こちらもおなじみ「白鳥の歌」から第13曲、「ドッペルゲンガー」である。解説するまでもないが、かつての恋人の家を訪れた男の前に現れた自分の分身に遭遇するという、筆舌に尽くしがたい体験を語っている。この曲は淡々とした語り口で始まり、最後に「びっくり」するような事実が明かされるという仕掛けが施されており、そこがまた最大の聴きどころでもあるわけだが、この「びっくり」させ方についても澤武さんは実に巧みで、最後の箇所であたかもセリフかのような歌い方に変化させ、この若者の驚きがまさに体現されていた。そしてドッペルゲンガーの後にどうしても聴きたくなるのがその次の第14曲「鳩の使い」であるが、今回のプログラムはその期待に応えてくれた。ザイドル作詞の明るく楽しく、ちょっぴり切ないこの曲はやはり締めにはぴったりである。今回の演奏は1曲目とまったく変わりなくエネルギッシュで、演奏家の実力を存分にうかがい知ることができた。さて、プログラムはこれで終了であるが、この後には事情によりキャンセルとなった1曲の代わりに、お二人の桐朋学園の先生である加賀清孝氏作曲の「みそさざいの歌」をアンコールとして披露された。日本語歌詞で、歌唱、ピアノ伴奏ともに非常に変化に富んだ大曲であった。
以上が、初秋の例会の模様の報告である。今回の印象をまとめるならば、杉山さんがつけられたタイトルはまさに言い得て妙であり、「ドラマチック・リート」に溢れた内容だったといえる。魔王などドラマ仕立ての曲に限らず、劇的な展開を有する曲を中心に選曲されていて、歌手の魅力を最大限に引き出す構成になっていたように思われる。途中に挟まれる澤武さんによる解説も楽しく、会場は遠方から来られたお客さんまでおり、超満員であった。一会員としても、やはりいつもと違う新鮮で迫力のある歌曲を堪能できたことは、非常に満足だった。今回の例会を企画された杉山さんには、改めて感謝の言葉を述べたい。
藤井記
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