2019年秋の例会

ピアノと
 ソプラノとバリトンの午後


演 奏
ソプラノ:牛津佐和子
ピアノ:草刈伸明
ピアノ:阪本田鶴子

プログラム
《ソプラノ歌曲3曲》
「独り住まい」
「リュートに寄せて」
「春の小川のほとりで」
《四人の作曲家による競作》
ゲーテ「ミニョンの歌」4曲
《邦詩で歌うシューベルト》
「ます」
「よろこび」
「楽に寄せて」
「魔王」
「春の信仰」
「水の上で歌う」
「菩提樹」
「セレナーデ」
「プロメテウス」

《三つのピアノ曲》
即興曲 D.935-2 変イ長調ほか

2019年11月16日(土)pm2:00開演
会場:サローネ・フォンタナ  

主催:国際フランツ・シューベルト協会



例会感想

 11月16日にサローネ・フォンタナで行われた秋の例会は、久しぶりに邦詩歌曲を存分に楽しむことができた。ホールには入りきらないほどの参加者が詰めかけ、これまで以上の活況を呈していた。今回もその内容をお伝えしよう。
 2020年でシューベルト協会が創立30周年を迎えるに合わせ、現在着々と準備が進められているが、この例会もこれまでの例会の歩みを振り返るといったアイデアの下で企画されたものである。杉山さんによると、ピアニストの阪本田鶴子さんは創立当初からの会員であり、シューベルト協会には欠かせない存在なので、今回は阪本さんにたっぷり焦点が当たった例会となった。最初に演奏されたのが、D.817「ハンガリー風メロディ」とリヒャルト・シュトラウス編曲「クーペルヴィーザー・ワルツ」である。このうち後者はシューベルトの親友で画家のレオポルト・クーペルヴィーザーの結婚式の際にシューベルトが即興で弾いたワルツが記憶され、伝承されていたものを、リヒャルト・シュトラウスが聴き取って編曲したものだという。ハンガリー風メロディは前打音を多用した憂いを帯びた曲で、シンプルながらも美しいメロディがたいへん印象に残る演奏だった。クーペルヴィーザー・ワルツは確かにシューベルトのワルツの面影が感じられ、低音部が奏でるメロディがのどかな雰囲気を醸し出しつつも優美で、結婚式にふさわしい曲だった。阪本さんの演奏はこれらの曲の美しさを存分に引き出しており、聴いていてうっとりするようなものだった。
 続いて、以前も歌を聴かせていただいた牛津佐和子さんと阪本さんによる歌曲が披露された。まずは非常に楽しみにしていた一曲、D.800「独りずまい」である。暖炉のそばでの夜の情景を歌った曲で、こおろぎの鳴き声が聴こえることからも秋の雰囲気を感じさせる。原題は「Der Einsame」つまり孤独な人ということだが、歌い手はその状況を楽しんでおり、穏やかな物思いにふけっている。この曲で何より好きなのが伴奏で、軽快なリズムを奏でる高音部と、繰り返される低音部のモチーフが実に楽しげな雰囲気を作り出している。この音は暖炉の薪の弾ける音なのか、こおろぎの鳴き声なのかと想像をめぐらせたくもなる。次の曲はD.905「リュートに寄せて」で、リュートに恋の歌を託す歌詞。同じく軽快なリズムが特徴で、楽しげかつ伸びやかな歌声を聴くことができた。3曲目はD.361「春の小川のほとりで」。穏やかに流れる春の情景が描写されるが、歌い手の心情は暗い。その対照が中間部のレチタティーヴォでさらに強調される。3曲を通して、牛津さんの歌声はとても表情豊かで、楽しい雰囲気も、悲しい雰囲気もその感情がたっぷりと伝わってくるものだった。
 第一部の最後は、同じ詩に4人の作曲家が音楽をつけたものを聴き比べるという珍しい企画だった。対象となったのはおなじみゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』からのミニョンの歌「ただあこがれを知る者だけが」。これに対し4つのバージョンが演奏され、その違いを楽しむことができた。最初に演奏されたのはベートーヴェンのもので、伴奏や中間部の盛り上がりなど、作りとしてはシューベルトによく似ていた。ただし凝ったところはあまりない。続くシューベルトのD.877のバージョンは、何よりも冒頭のメロディの美しさが群を抜いており、また第2節のテンポが上昇するところも印象的。歌もどのバージョンよりも悲しげで、差し迫った感情がリアルに伝わってくる。3曲目はロベルト・シューマンのもので、詩全体をほぼ2回繰り返すのが特徴。起伏を設けるというよりは、繰り返すにつれて次第に盛り上がっていく。歌よりも語りの要素が強いように思え、ミニョンの不安な心情がよく感じられる曲となっていた。最後はシューベルト版に劣らず有名らしいチャイコフスキーの版。他のものと比べると明るめで、悲劇的というよりドラマチックである。顕著なのが最初の節の繰り返しの部分で、オペラもかくやという盛り上がりを見せる。興味深かったのが牛津さんの歌い方で、それまでの曲の重苦しい空気とは違い、まさに「歌い上げる」といった雰囲気の、伸び伸びと劇的な歌い方をされており、この表情の変化に歌手の表現力というものを感じた。
第二部では、お待ちかねの邦詩歌曲が草刈伸明さんのバリトンと、阪本さんのピアノによって演奏された。この邦詩を作られた實吉さんこそがシューベルト協会の創立者で、「日本語でシューベルトを歌う」という理念の下でこの協会を運営してこられた。ゆえに邦詩での歌はその理念に沿ったものだといえる。個人的にも實吉さんの邦詩は自分がシューベルト歌曲を理解し、楽しめるようになるにあたって決定的な役割を果たしたものだったので、ドイツ語を勉強した今でも邦詩による演奏には大賛成である。
 今回はそのような實吉さんの邦詩の内容にも触れながら様子を伝えていこう。最初はD.550「ます」である。「きれいな小川に 矢より速く マスが泳ぐよ 楽しそうに」という歌詞からわかるように、實吉さんの詩は口語調であり、シューベルト歌曲を何かありがたいものとして学習するというよりは、歌謡曲のように身近なものとして楽しめるようになっている。また、第2節の繰り返しの箇所が「きれいな小川のマスの遊び 楽しいさかなのあの水遊び」と別の歌詞になっているように、逐語訳というよりはアレンジが入っている。この点には賛否両論あるだろうが、より日本語の詩としての首尾一貫性を重視した結果だと思っている。以後の曲も有名なものばかりで、日本語のため内容の説明も必要ないので、印象に残った部分をピックアップしよう。「ます」では何より第3節のますが釣られる箇所である。「So zuckte seine Rute(彼の竿が引き上げられ)」を「竿がきらめいて」にしたのは絶妙だし、「あわれなマスを見てるばかり」からも悲しさが伝わってくる。D.433「よろこび」もかなりアレンジが入っていて、1・2節の最後に「天国の歌」を入れたのはほぼオリジナルだが、節の締めとして実に印象的になっている。D.547「音楽に寄せて」は全体的に唱歌風になっており、草刈さんの落ち着いた歌唱がたいへん美しかった。D.328「魔王」は展開されるドラマの様子が日本語のため伝わりやすく、何より草刈さんの迫力に圧倒された。興奮し叫ぶ息子の声、徐々に余裕がなくなる父親の声、妖しい声で誘惑し、最終的には恐ろしい本性を現す魔王の演じ方が見事で、最後の魔王の声は本当に恐ろしかった。
 邦詩歌曲はまだまだ続く。D.686「春の信仰」は冒頭の「やわらかな春風が 昼も夜も そよそよと 吹き過ぎる」が豊かな情景を思い起こさせるし、D.774「水の上で歌う」は實吉さんの邦詩の中でも屈指の傑作だと思っている。「遠くの空の向こうから 赤い夕陽が舞って来る」「森も空も陽を受けて 真っ赤に染まるたそがれ」のフレーズが素晴らしいし、メロディともぴったり合っている。草刈さんの奥行きのある歌声のおかげで、曲の魅力が何倍にも引き出されていた。D.911-5「菩提樹」も特に邦詩が気に入っている曲で、言葉が一音一音とぴったりはまり、ずっと伝わりやすくなっている。D.957-4「セレナーデ」は声量の豊かさが存分に発揮される曲で、そのことを堪能できたのは言うまでもない。歌曲の最後となったのが目玉のD.674「プロメテウス」である。ゲーテのギリシャ詩の中でも特に印象的なもので、劇的な展開もあり楽しみだった。冒頭では特徴的なモチーフが繰り返され、プロメテウスのゼウスに対する反抗心が語られる。その後一旦曲調は落ち着き、「こせこせとお布施をだまし取り暮らしてる」といった衝撃的な歌詞があるが、ここにも幾分アレンジが入っている。その後再度神々に対する怒りと、貧しい人を助けてくれないことへの嘆きを歌う。ここでは伴奏が目まぐるしく変化し、何度か頂点に達した後にまた穏やかになることで、よりドラマチックな情景を作り上げている。最後にファンファーレが鳴り響き、プロメテウスによる人間創造宣言がなされる。この曲はギリシャ神話を下敷きにはしているが、ゲーテの支配への反抗心と人間賛美が現れている。一連の日本語歌曲における、草刈さんの歌は素晴らしかった。どんなに上手い歌手でも、日本語で歌うというのは容易なことではないだろう。歌い方が違うだけではなく、歌詞と音の対応がこれまで慣れてきたものとはまったく違うはずなので、かなりの練習が必要だったと思われる。そうした困難を乗り越えられた今回の演奏は稀有なものだったと言いたい。
 最後に再び、阪本さんのピアノによる即興曲D.935の2番が演奏された。個性的な曲の揃うこの曲集の中でもとりわけ穏やかな曲で、なおかつ印象的なメロディが歌を歌っている。阪本さんの演奏はこの歌を途切れることなく聴かせてくれるもので、3連符の流れに乗って表情が変化する中間部を挟み、最後まで穏やかな気持ちで聴き終えることができた。
 以上が秋の例会の模様である。今回は何より歌曲が盛りだくさんで、バラエティも豊かだった。牛津さんの第一部では優しい歌を味わえ、なおかつ作曲家ごとの違いを堪能できる聴き比べ企画も面白かった。草刈さんの第二部では邦詩で聴くことができ、それまでとは違う形でシューベルト歌曲を楽しめた上に、「魔王」や「プロメテウス」の迫力ある歌声も印象的だった。加えて最初と最後を飾った阪本さんのピアノは、まさにシューベルトを知り尽くしている演奏家による、曲の魅力が最大限引き出されたものと感じられた。3者の素晴らしい演奏によって、今回の例会も大成功に終わったと言いたい。


    藤井記


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