石川るい子
数年前のことになりますが、協会の新年例会で聴いた畑さんの歌、実吉邦詩・シューベルトとマイルホーファー(詩)による『孤独』と『消滅』は衝撃的でした。
『孤独』は20分近い歌で、しかも滅多に演奏されることもなく、長くて退屈な歌という印象があったのですが(あくまで私の独断です)、畑さんが歌いはじめられたとたん、えーっ、こんな歌だったの!と目から鱗でした。ことばが明瞭でしかも感情表現が素晴らしく、歌の内容がメロディーとともに手に取るように解るのです。まるでものドラマを見るようでした。最後まで飽きさせず、日本語であることが如何に有り難いことかをしみじみ知らされたあっというまの20分間でした。
『消滅』はそれとは反対に3分足らずの短い曲であるにもかかわらず、めくるめく時間が永遠に続くかと思われる詠唱に息を呑みました。
その歌い分けの見事さ! 邦詩をこれほど的確にきめ細やかに音に写し換えて歌われるとことに心底驚嘆しました。
以後、畑さんには協会例会のみならずご自身のリサイタル等機会あるごとに邦詩のシューベルを歌っていただきましたが、どんなに難解な歌でもこともなげに歌われ、しかも一曲一曲のシューベルト歌の世界を実にたくみな歌唱で歌い上げられ、ここまで見事に邦詩を自分のものにされていることにただただ驚くばかりでした。
実吉の邦詩に時にある俗な言い回しも畑さんが歌うと限りなくチャーミングに聞こえ、なにげなく普段使っている言葉も、それ以外の表現はないと思えるぐらいピタリと決まる。歌われたとたん言葉に新しい命が吹き込まれ、生き生きと耀き、その言葉の本源的意味に気づかされる──それが畑さんの歌でした。 今回のCDの収録に立ち合わせてもらった時も、納得できるまでとことん歌いこまれるその姿を目の当たりし、襟元をただす思いをしました。その真摯な努力の積み重ねがあってこそ聴く人を引きつけ感動を届ける歌が生まれるのだと。
実吉の邦詩は、歌われるということを前提にして書かれていいます。いってみれば歌われることでしか成立しないものとも言えます。だからこそ実吉は「シューベルトの音楽を日本語によって再創造する」ことに共感する歌手、つまり歌える同志を探し続け、待ちつづけていたのです。
優れた歌い手がかならずしも、「邦詩に共感を持つ」わけではないのは勿論、「共感」も「関心」も持たないどころか「邦詩で歌うことを否定」されてしまうことも多く、これが悲しいかな現実でした。 そんな中、地引憲子さんという希有な歌手に出会えたのは幸運でした。その出会いを「奇跡」と称する方もいます。地引さんとのこの出会いが、実吉邦詩を世に知らしめる大きな一歩とになりました。
畑さんの場合は、初めてお会いしてから15年以上の熟成期間を経て、真の意味で「出会えた」といってもいいかもしれません。
畑さんの歌を初めて聴いたのは17年前、その時シューベルトの「全能」という歌を歌っていただいたのですが、原語だったことと、歌があまり有名歌曲ではなかったこと、演奏家も複数だったためそのときの歌の印象は全く残っていません。その何年か後に、畑儀文のお名前を拝見したのは、シューベルトの全歌曲演奏をスタートされたという新聞記事です。歌よりお名前が印象深かったため、あの方だと実吉と話したことを覚えています。
そして月日はなおも流れ、実吉も2003年に亡くなりました。協会が実吉の先輩である佐藤巌代表を戴き再スタートをして、一年たった夏のある日、畑さんが協会の事務局を訪ねてこられたのです。刊行したばかりの新装改訂版「シューベルトの手紙」(実吉晴夫訳・解説)を読み、佐藤巌氏のあとがきで紹介されていた、シューベルトを日本語でカラオケのように日本国津津浦々で歌ってもらいたいという実吉に非常に感銘を受けられ、是非協会に入りたいとおっしゃるのでした。
自分は何年間もシューベルトを歌ってきているが、ずーっと聴衆に届かないもどかしさを感じ続けてきた。でも日本語ならしっかりと届けることができるのではと──。
その「出会い」から更に5年間、畑さんは数え切れないほど沢山の邦詩のシューベルトを歌ってくださいました。その中から「カラオケでも歌えるシューベルト」というコンセプトのもとに御自身が吟味しセレクトされたシューベルトの歌19曲を集めて収録したものがこのCD「ミューズの子」です。
どの曲も歌う喜びに満ちた歌です。思わず口ずさんで一緒にうたいたくなる歌ばかりです。
時にせつなく甘く優しく、時に激しく毅然と畑さんの声に寄り添う渡辺治子さんのピアノもすばらしく、息の合ったデュオとしても十二分に楽しんでいただけるはずです。
CDを聴いた方からもいろいろ感想と励ましをいただいています。
「〈野ばら〉がシューベルトの歌だということを知らなかった」という方の便りの最後には「このCDでシューベルトの歌をもっと覚えて歌いたい」とありました。
又、「シューベルトってこんな歌だったのね! 」という感想から、「日本語が抵抗なく心にすーっと入ってきて、この畑さんのシューベルトは日本の歌曲といわれても違和感がない」、そして「シューベルトの歌曲とも日本の歌曲とも違う全く新しい芸術歌曲の誕生」というおどろきにみちた感想まで、数多くのお便りをいただきました。
そしてこんなメールもありました。「CD全体から伝わってくるほのかな暖かさはシューベルトを大切にしている人たちに大切につくられたからでしょうか」
CD制作に携わったものの一人としてこんなに嬉しい励ましのことばはありませんでした。
シューベルトと実吉と畑さんと渡辺さん、4人の「ミユーズの子」が集って、心から楽しみながらできあがったCDです。ぜひ御一聴いただきますよう。
♪CDの試聴と購入申込みは下記じゃこめてい出版のHPで!♪。
●CDのご購入申込みは協会事務局石川宛、又はじゃこめてい出版CD係にお願いします。
(株)じゃこめてい出版 TEL 03-3261-7668 FAX03-3261-7669
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