180年ぶりのシューベルト!

プライベート大コンサートへ ようこそ!

私、シューベルト協会の杉山です。

今日は、私たちの例会にしては大きいという意味で、大コンサートと銘打って、大は、ちょっと大げさではないかという声もありましたが、開催する運びとなりました。たくさんの皆さんにお越しいただきまして、有難うございました。これからの2時間、ご一緒にシューベルトの音楽を楽しみたいと思います。

さて最初のプログラムは、弦楽四重奏曲ト長調から第1楽章です。これは15曲ある弦楽四重奏曲の中でも、最後の四重奏曲であり、且つ最も優れた作品であると言われています。しかし、シューベルトがこれを最初にもってきたのは、今日のコンサートの幕開け、いわば序曲として、という意図だったのだと思います。幕開けにふさわしい、弦の響きとハーモニーの美しさをまずは味わって頂けたらと思います。

それでは、早速、フィルハーモニーカンマーアンサンブルの皆さんに登場していただきましょう。

              (演    奏)

つづいて、リートを四曲お聞きいただきます。

第一曲目「十字軍」(Der Kreuzzug)

静かな、それでいて重い足取りを思わせる4拍子。僧院の窓辺に修道僧がひとり、立っています。その目の行方を追うと、日の傾きかけた草原を、馬に乗った騎士たちが、甲冑を光らせながらやって来ます。十字軍の一団です。彼らは岸辺にたどり着くと、大きな帆を持つ船に乗り込み、まるで白鳥のように素早く岸を離れてゆきます。灰色の窓格子の中から見送る修道僧のつぶやき。「私は、ここに残っているが、私もまた、あなた方と同じ巡礼者。人生もまた、約束の地を目指す十字軍と同じ、巡礼の旅なのだ」と。

この最後のくだりになると、歌い手は、メロディーをピアノにまかせ、自分は、低音部のハーモニーをつぶやくように歌っています。これは、いわば祈りの歌です。

 第二曲目「星」(Die Sterne)

星降る夜は、明るすぎて、眠れないことがあるけれど、それを私は責めはしない。

何故なら、星たちは、黙々と私たちのためになることを沢山してくれているからだ。

旅人にとっては、道しるべ。恋人たちにとっては、恋の使い。悩んでいる人にとっては、慰め。

全曲を通して、ピアノは四分音符一つと八分音符が二つ、ターン、タタ、ターン、タタという単純なリズムを刻んでいます。それはまるで、星の瞬きを現わすかのようです。そしてこのリズムの中から自然にメロディーが生まれてきて、それがまた、それぞれのコーラスの中で微妙に展開していく様子は、ちょっと即興曲を思わせるようです。

 第三曲目「漁師の歌」(Fischerweise

漁師の心意気とはこんなもんだという、元気、溌剌とした労働歌と言っておきましょう。リズムのはっきりした、民謡調の歌曲です。因みにここでいう漁師は、川魚を取っている漁師です。

 第四曲目「アイスキュロスより断片」

アイスキュロスのギリシャ悲劇「復讐の女神たち」から、そのコロスである女神たちのせりふの一節を、シューベルトの友人であり、詩人のマイアーホーファーがドイツ語の詩に翻訳したものです。本日のプログラムの中で、唯一19歳の時に作曲したもので、グルックのオペラの影響を強く受けた作品です。

 この四曲、「祈りのリート」「抒情性のリート」「民謡的なリート」そして最後は「アリア的なリート」、というわけで、シューベルトの歌曲の持つ多様性を、十分感じ取っていただけると思います。

それでは、演奏していただきましょう。畑さん、黒川さんお願いします。

 

             ( 演  奏 )

 

(推察するに、最後の曲「アイスキュロスよりの断片」を入れることを主張したのは、歌い手のフォーグルだったのではないでしょうか、元宮廷歌手だったフォーグルは、グルック風のオペラチックなこの曲で、最後を締め括りたかったのではないかと思われます。)

さて次は女声合唱曲「セレナーデ」です。

女性の誕生日のお祝いに、セレナーデをプレゼントするという「しきたり」が、この時代のウィーンでは、まだまだ生きていたようです。アンナ・フレーリッヒというコンセルヴァトワールの先生が、生徒のルイーズ・ゴスマールのために、当時ウィーンでは売れっ子だった詩人のグリルパルツァーに詩を書いてもらい、そしてシューベルトに曲をつけてもらったのです。アンナ・フレーリッヒはそのときのことをこんな風に語っています。

「ピアノに凭れてグリルパルツァーの詩を繰り返し読みながら、何度か彼は叫びました。『いや全く、これは何と美しい。これは美しい。』彼はそうしてしばらくその紙を眺めていましたが、やがてこう言いました。『そう、もう出来あがりましたよ、もう出来ています。』そして事実、その3日目には彼はそれを書き上げて、私のところへ持ってきたのですが、それは私の妹、ヨゼフィーネのメゾ・ソプラノ独唱と、男声四部のために書かれていました。そこで私は彼に言ったのです。『いいえ、シューベルトさん、これは使い物になりません。何故なら、お祝いはゴスマール嬢の女友達だけでやるのですから。合唱は女声用に書いてくださらなければいけません。』」そんなわけで、現在このセレナーデは、男声合唱と女声合唱と、二つの譜面が残されています。

初演はもちろん、ウィーン郊外のルイーズ・ゴスマールの部屋の窓辺で、1827811日に行われました。このコンサートの前の年の夏のことです。誕生祝の素的なサプライズというわけです。アンナ・フレーリッヒは、その時のことをこんな風に語っています。

「私は、私の生徒たちをドゥープリングまで、3台の馬車で連れて行きました。ゴスマール嬢はラングの家に住んでいたのです。私はピアノを庭の窓の下にそっと運び、シューベルトに演奏してもらおうと声をかけていました。しかし、彼は来ませんでした。翌日、どうしていらっしゃらなかったのですか、と聞くと、『そうだ、すっかり忘れていた。』と詫びたのです。」

この頃のシューベルトは、すっぽかすことが多く、仲間たちの評判を落としていたようです。そんな経緯のあったこの曲の伴奏ですから、コンサートの日のピアノ伴奏はきっとシューベルトがやっていたに違いありません。

さて、コール・クレンツヒェンの皆さんの準備が出来たようです。

それでは「セレナーデ」です。藤崎さん阪本さんお願いします。

 

             ( 演  奏 )

 

お金をかけずに、こんな贅沢なプレゼントが出来たこの時代のウィーンというのは、うらやましいかぎりですね。こういうのこそ文化と言うのでしょう。さて、ちょっと早めですが、ここで10分間の休憩と致します。

              ( 休  憩 )

 学校の教科書では、シューベルトというと、必ず「歌曲王」という冠がついていますが、決して歌曲だけのシューベルトではありません。器楽曲にも、彼は優れた作品を数多く残しています。次にお聞きいただくピアノ三重奏曲は、そういった傑作の中のひとつで、このコンサートをそうとう意識して作曲された自信作と言っていいでしょう。情感に満ちたメロディーが散りばめられた、いい意味で、とてもポピュラーな音楽になっていると思います。今日初めてお聞きになるという方がいらっしゃるとしたら、第二楽章のメロディーは、きっと帰り道でも、耳をついて離れないこと請け合いです。

それでは早速、カンマーアンサンブルの皆さんにご登場頂きましょう。

 

             ( 演  奏 )

 

例の第二楽章のメロディーが、最後の楽章でも再登場したのに、気付かれましたでしょうか。こういう手法は、シューベルトが初めてで、この後のいわゆるロマン派の作曲家たちは、好んでこの手法を使うようになります。 
さて、つづいては、歌曲を二曲お聞きいただきます。

1曲目は、「流れの上で」

岸辺に立つ女に見送られて、船に乗った男は旅立っていきます。まずホルンが別れの歌を奏で始めます。流れは早く、見る見るうちに岸は遠くなり、二人で過ごした懐かしい光景もあっという間に通り過ぎて行きます。一見、男と女の別れの歌のようなのですが、川はいつの間にか海になり、昼は、いつの間にか夜になっています。夜空のあの星で、彼女のまなざしと再会できるかもしれない、と歌いますが、そこにはどこか哀切な響きがあります。レルシュタープのこの詩は、別離と再会、昼から夜への旅を歌ってはいるのですが、その川の流れ、時の流れの速さはどこか異様で、それは、どうやら死出の旅路であるかのようです。シューベルトは、この死のイメージに、ベートーヴェンの英雄交響曲の第二楽章から、あの有名な葬送行進曲のメロディーを意図的に使っているようです。第二節の「波にさらわれて、船は矢のように」の節のところで、ホルンが誘導するようにして、この短調のメロディーが登場します。

この曲は、今日のプログラムの中で唯一この日のために書き下ろした作品です。

 2曲目は、「全能」

全能の神への、これは賛歌です。自然の中にこそ、神の姿を見ることが出来るというこの詩は、シューベルトが、まさしく求めていたものでした。

嵐のときの風の咆哮、谷川の騒がしい水音、そして森の木々のざわめきの中に神の声を聞き、波打つ黄金色の麦畑、まばゆいばかりの花々の色彩、そして星降る夜空の輝きの中に神を見る、とこの詩は語りかけます。

シューベルトは、カトリックの洗礼を受け、カトリックの家で育ち、宮廷聖歌隊のメンバーに選ばれ、カトリックの中学校で学びましたから、無論カトリックの信者でした。しかし彼は、教会の権威というものに対しては懐疑的になり、やがて否定するようになります。

そんな彼にとって、自然こそ神の象徴だったのです。

3年前の夏、フォーグルに連れられて、ガスタインという温泉地で湯治をしていた時に、シューベルトはピュルカーというこの詩の作者と再会します。そこで生まれた曲がこれです。ガスタインは、まさしくアルプスの懐といったところにあり、その勇壮な自然の風景は、いたるところ、シューベルトにとって、そういった宗教観の証として見えていたことでしょう。あの有名な大ハ長調交響曲もこの時に生まれたのです。この二つの曲は、そういった意味でとても似た所を持っています。

それでは、早速演奏をしていただきましょう。歌曲「流れの上で」と「全能」です。

 

               ( 演  奏 )

 

「流れの上で」の中で、第二主題のように現われてきた「葬送行進曲」風のメロディー、お分かりになったでしょうか。実は、ベートーヴェンのメロディーを使ったのには、別なわけもあったのだと言われています。実は、このコンサートのあった3月26日は、ベートーヴェンの一周忌でもあったからです。コンサートをこの日にしたというのも、ベートーヴェンへの追悼の意をこめていたのかもしれません。一年前にあったベートーヴェンの葬儀の行列にも、シューベルトはたいまつを持って加わっていました。彼は、ベートーヴェンをとても尊敬していましたし、終生、目標としていました。そんなわけで、この曲を書き下ろすにあたって、シューベルトは、今は亡き英雄、ベートーヴェンへの捧げもの、献花という意味をこめて、英雄交響曲の葬送行進曲を使っていたのかもしれません。そして、それはまた、この年の秋には、シューベルト自身を襲うことになる、死の影を見るようでもあります。

さて、この日の昼間には、ベートーヴェンの一周忌の催しがヴェーリング墓地で行われていたのですが、奇しくも、その催しに立会い、夜にはシューベルトのコンサートにも行っていたという、ひとりの女性がいました。それはマリー・プラトベヴェーラという女性で、彼女はその日の様子を、婚約者に宛てた手紙に書き残していました。ちょっと読んで見ましょう。

「というのも、私たちは、ヴェーリングに来て、ベートーヴェンの一周忌に立ち会い、お墓を見、彼を偲んで歌われた合唱にも耳を傾けたというわけです。

天気は快晴で、歌はとても感動的、それも墓地の中だっただけに、深い感銘を受けないわけがありませんでした。ただ、意外に思ったのは、来ている人があまり多くなかったことと、記念碑が普通の石でできていて、平凡なものだったことです。それはピラミッドの形をしていて、てっぺんにはとても不細工な竪琴がついていて、下の方には彼の名前だけが金文字で入っています。墓碑銘など無しで、名前だけというのは、私は好きだし、その方が却って『不滅』という感じをだしている、というのは認めます。でも、石と、その細工の仕上がりは、決して褒められたものではないと、私は思います。

抹香くさい話ばかりになってしまいました。生き生きとした、そして花開いた、命あるものについてお話しなければなりません。同じ日にあったシューベルトのコンサート会場、そこにみなぎっていた、あの熱気です。彼自身の作品ばかりが演奏され、しかもその演奏は光輝いていました。観客はみんな、熱狂的な賞賛と恍惚状態に我を忘れていました。」

 プライベート・コンサートは大成功でした。途中、何度もアンコールで中断されたと言われています。

さて、私たちの「180年ぶりのシューベルト!大コンサート」も、大詰めに近づいてまいりました。さすがに、今夜の皆さんは、「恍惚状態に我を忘れる」ところまではいかなかったかもしれませんが、どこかひとつでも、シューベルトとの新しい出会いがあったとしたら、私たちには、この上ない喜びであります。

いよいよ最後のプログラムとなりました。プライベート・コンサートの結びは、男声二重合唱曲「戦闘の歌」です。当時の青年たちにとって、四重唱や合唱は、ちょっとした紳士の身だしなみであったようです。シューベルトが運営委員をやっていたウィーン楽友協会(音楽の友という楽友です)には、アマチュアによる男声合唱団があり、「戦闘の歌」は彼らによって、この日初めて演奏されました。本日は、リーダーターフェルの皆さんに有終の美を飾っていただきましょう。岩佐さんお願いします。

 

             ( 演  奏 )

 

リーダーターフェルの皆さんでした。最後にもう一度、本日の出演者の方々全員に登場していただきましょう。拍手でお迎えください。

             ( 拍  手 )

ありがとうございました。これにて本日のコンサートを終了いたします。



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