ソプラノとバリトンの午後

 

 今日は、ソプラノの藤崎さん、バリトンの浦野さん、そしてピアノの阪本さんをお迎えして、お二人の好きなシューベルトの歌曲を思う存分歌っていただこうという趣向です。全部で19曲ありますので、全曲解説していると煩雑になります、今日は「物語の中の歌曲」を中心に解説しようと思っています。さて、最初は藤崎さんのソプラノで、四曲お楽しみいただきます。

「春の信仰」「音楽に寄せて」「少女」「糸車のグレートヒェン」の四曲ですが、ここでは、「糸車のグレートヒェン」についてお話ししましょう。

 

グレートヒェンと言うのは、ゲーテの有名な悲劇「ファウスト」のヒロインの名前で、純情可憐な町娘です。悪魔メフィストフェーレスに魂を売ったファウストにだまされて、母親殺し、嬰児殺しの罪を犯すことになり、最後は死刑に処されるという悲劇のヒロインなのです。

この場面は、グレートヒェンの部屋、ト書きは「グレートヒェン、糸車に向かって一人」とあります。ファウストに誘惑されたグレートヒェンは、それが叶わぬ恋であることに気づきつつ、今はもうファウストのことを忘れることができなくなっています。その苦しい思いを独白しています。グレートヒェンのセリフは、戯曲の中では決して歌として指示されていません。あくまで独白です。歌にしたのは、これを読んだシューベルトです。まずピアノが、回転する糸車を思わせる旋回音型をくりかえします。糸車を踏む足の動きは、グレートヒェンの心の高まりに連れて、知らず知らずに早まります、そしてファウストとの口づけに想いが行った瞬間、思わず足が止まります。糸車の回転の音型が、見事に彼女の心の動きを明かしてくれているのです。言葉とピアノと声とがいわば三位一体となった、この「糸車のグレートヒェン」をシューベルトが作曲した瞬間に、近代ドイツ歌曲は誕生した、と言われるように、シューベルト17歳の時のこの作品は、実に斬新で、それでいて、完成度の高い傑作です。

それでは、四曲続けてお聞き頂きましょう。藤崎さん、阪本さんお願いします。

 

            (演  奏)

 

「糸車のグレートヒェン」いかがでしたでしょうか。この歌曲を作曲する一ヶ月前に17歳のシューベルトはミサ曲第一番を、近所の教会で自らの指揮で上演し、大好評だったのですが、そのときソプラノを歌っていたのが、テレーゼ・グロープという幼馴染の少女で、実はシューベルトの初恋のひとでした。内気なシューベルトは、打ち明けることも無く、この恋は片思いのまま終ったのですが、この「糸車のグレートヒェン」を初めて歌ったのも、間違いなくテレーゼだったでしょう。この歌を通して、実はシューベルトのテレーゼへの切ない思いが、表れているように思われます。

 

さて次は、バリトンの浦野さんです。ご本人の希望で、プログラムの順番を替えさせていただきます。「さすらい人の夜の歌」「さすらい人」「夕映えの中で」この三曲をこれから演奏いたします。この三つの歌曲は、夕暮れ時を歌ったものばかりなのですが、さて夕暮れというと、私はいつもシューベルトの日記を思い出します。もしかすると私の一番好きなシーンかもしれません。ある夏の日の夕暮れ、19歳のシューベルトは、久しぶりにお兄さんのカールと一緒にヴェーリングからドゥープリングの間の野原を散歩します。そして、そこからの夕景を見て、思わず「なんて美しいんだ!」と思い、叫びます。彼はここの所で、「この野原は、この喜びのために特別に創られたのだと思われる。」と、受動態で書いていますが、無論、この野原を創り給うたのは神であり、この瞬間、彼の心の中には、きっとひとつのメロディが生まれているに違いありません。自然と神とシューベルト、この出会いの中でシューベルトの音楽が生まれてくる、そんなことを髣髴とさせるシーンだと思うのです。

 

「夕映えの中で」。

これはまさしく、シューベルトの日記の再現であるかのような詩の内容であり、詩人は、凄まじいほどの夕焼け空の輝きに神の栄光と信仰への強い思いを重ね合わせています。日本人が、夕焼け空に極楽浄土をイメージしているように、西洋人にとっても、それは神の国、天国を象徴しているようです。夕方の太陽は、まず黄金色に輝きます。そして、それは沈んでいくにつれ赤みを増し、雲は乱反射して茜雲となります。そのもっとも華やかな夕映えも、束の間のことで、見る見るうちに消え去ってゆくという、あの夕刻の移ろい行くひとときを、この一曲の中でシューベルトは、みごとに表現しています。

次に「さすらい人の夜の歌」

夜の歌となっていますが、この詩は、先ほどまでの夕映えが、今まさに消えた瞬間を描いています。かすかに残る山々のシルエットの中に、突然、鳥の声も物音も一切途絶え、深い沈黙があたりを制します。ゲーテ、31歳の秋。当時の恋人だったシュタイン夫人に送った手紙の中で、ゲーテはこう書いています。「空は本当に澄んでいて、私は今、夕日の沈むのを見守っています。その光景は壮大で、それでいて、素朴です。今、ちょうど日が沈んだところです。ここは、以前あなたへの手紙で炭焼きの煙があちこちから立ちのぼる様を描写したことのあった、その場所なのですが、今は、とても澄んでいて、静かです。」これは、チューリンゲン地方の山、ギッケルハーンの山頂にある山小屋からの風景で、ゲーテは、眠る前にこの山小屋の板壁に鉛筆で一篇の詩を書きつけます。それが、この「さすらい人の夜の歌」です。シューベルトは、この全てが静止した時間をどんな風に表現ししているでしょうか。

そして「さすらい人」

「さすらい人」というタイトルは、シューベルトが付けたもので、もともとの詩には「よそ者の夕べの歌」という題が付けられていました。当時のウィーンで、シューベルトの歌曲作曲家としての名声を知らしめたのは、「魔王」とこの「さすらい人」の二曲であったと言われています。叶わぬ夢を追い求めて流浪の旅を行く「さすらい人」というのは、当時もっとも好まれた主題で、いわゆる「ロマンチシズム」の時代を反映した、もっとも時代好みの歌曲だったと思われます。

因みに、この歌曲の「日の光も冷たくて」のくだりのメロディを使って、後にあの有名なピアノ曲、「さすらい人幻想曲」を作曲することになります。

 

それでは三曲、「さすらい人の夜の歌」「さすらい人」「夕映えの中で」の曲順で、続けてお聞き頂きましょう。浦野さん、阪本さんお願いします。

 

(演  奏)

 

さて次は、歌曲集「白鳥の歌」から四曲です。「愛の使い」「セレナーデ」「かの女の肖像」「アトラス」。ここでは、アトラスの話をしましょう。ギリシャ神話に出てくる神様です。アトラスは、巨人族を引き連れてゼウスと敢然として戦い、しかし、敗れます。その見せしめの罰として、アトラスは永遠に両肩で天空(大空)を支え続けるよう命じられます。誇り高い心、しかしそれ故に不幸な境遇に陥るという或る典型的な人間像を象徴しているかのようです。シューベルトはここでピアノの持つ交響的な響きを駆使して表現しています。打ち付けるハンマーのようなピアノの低音は、運命の重荷を象徴しているかのように絶間なく鳴り響き、それはまた、巨人がその重荷を振りほどこうとしてほどけない様子をも表しているかのようです。誇り高い心が、仮借ない運命をはっきりと見据えるその声は、バス・バリトンのもっとも魅力的なところだと思います。

それでは「白鳥の歌」から四曲、お聞き頂きましょう。浦野さん、阪本さんよろしくお願いします。

                

               (演  奏)

 

さて、不幸なアトラスは、その後どうなったのでしょうか。苦しみに耐えられなくなりそうなアトラスを見かねたペルセウスは、苦しまずに済むようにアトラスを岩にします。それが今のアトラス山脈だそうです。

それではここで、10分間の休憩と致します。

 

                (休  憩)

 

 これから演奏される三曲は、ミニョンの歌と言われているものですが、これはゲーテの「ヴィルムヘルム・マイスターの修行時代」という小説の中に出てくる有名な挿入歌です。ミニョンと言う少女は、旅回りのサーカスの一座にいるところを主人公のヴィルヘルム・マイスターによって救われます。ヴィルヘルムは、綱渡りの芸人に金を渡してミニョンを自由にしてやるのですが、彼女は彼を慕うようになり、どうやら密かに恋心を抱いているようでもあります。この哀れを誘う子供には、何か謎めいた雰囲気が漂っているのですが、この小説の最後で彼女が死んでゆくときになって初めて、その秘密が解き明かされることになります。

第一曲、「言わせないで」

私は、秘密を守らねばならないのです、ですから、語らずともよい、黙っているがよいと言ってください。抑えられた哀感漂う主題がそのままピアノの序奏となって、曲は始まります。

第二曲「このままの姿でいさせてください」

子供たちの誕生祝いに、ミニョンは天使の衣装を着せられ、子供たちにプレゼントを渡す役をおおせつかります。パーティが終って、天使の衣装を脱がせようとすると、彼女は、「このままの姿でいさせてください、美しいこの世と別れることになる日まで」と歌います。そして、それはまるで、自分の運命を予知していたかの如く、待ち焦がれていたヴィルヘルムとの再会の後、彼女は急死することになります。

第三曲「ただ憧れを知る人のみ」

 この歌は、物語の中では、竪琴ひきとミニョンの二人が、名前も居所も分らないある貴婦人に対するヴィルヘルムの叶わぬ恋心を、代りに歌って聴かせることになっているのですが、シューベルトは、ミニョンの独唱曲としても作曲しています。実は、物語の中でも、この歌はミニョンのヴィルヘルムへの思いを重ね合わせているのです。

 

それでは三曲お聞き頂きましょう。藤崎さん、阪本さんお願いします。

 

                (演  奏)

 

さて今日は、物語の中の歌曲を中心に解説をしてきましたが、最後の解説は、シェイクスピアの戯曲と、ウォルター・スコットの物語詩です。

 

「シルヴィアに」

 これは、「ヴェローナの二紳士」というシェイクスピアの戯曲の中の挿入歌です。ヴェローナの二人の紳士ヴァレンタインとプロテウスは大親友だったのですが、ミラノのシルヴィア姫への恋の鞘当でで、険悪な仲に。プロテウスは策略で、愚かな恋敵のシューリオをそそのかして、楽師たちにセレナーデを歌わせます。それがこの「シルヴィアに」です。本来は男の歌ですが、女性歌手もよく歌います。

 

そして最後が、皆さんよくご存知の「アヴェ マリア」。

実はこれも、ウォルター・スコットの物語詩「湖の麗人」の中に出てくる挿入歌です。故あって、スコットランド王から追われ、ヒース茂る辺境の地、カトリン湖という湖の中の孤島に隠れて生き延びていた父と娘。父の名はダグラス卿、美しい娘の名はエレン。しかし迫り来る追っ手から逃れようと、父娘は更に奥まった山中の洞窟にたてこもります。そこは魔物のほこらとも言われていて、誰も踏み込むことの無い洞窟だったのです。エレンは、父の身を案じて祈ります。スコットの散文詩はこの挿入歌の前に、こう歌っています。「あれは、アラン・ペインの竪琴の音ではないか。弦(いと)の音に合わせて歌うのは誰だろう、あの涙を誘う歌声はエレンではないか、エレンで無ければ天使の声に違いない」と。

それでは、「挨拶を贈ろう」「水の上で歌う」「夜咲くすみれ」「シルヴィアに」そして  

「アヴェ マリア」の五曲、続けて聴いていただきましょう。

藤崎さん、阪本さんお願いします。  

           

 

               (演  奏)

 

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