「アトラス(Der Atlas)」

H・ハイネ詩

Y・C・M邦詩

音楽データ: :

ト短調, 3/4拍子、56小節。テンポは「やや速めに(Etwas geschwind)と指定されている。

最初の3小節は前奏、最後の4小節が後奏である。「アトラス」というのは、ギリシャ神話で大神ゼウスに逆らった罰として、この地球を両肩で永久に支えているように命ぜられた巨人の名前で、コウカサスの頂きに鎖で繋がれて内臓を鷲の嘴で食い荒らされる、という罰を受けたプロメテウスと双璧を為す英雄(半神)である。「プロメテウス」を歌ったシューベルトのリードはゲーテの詩によるが、この「アトラス」は奇しくもゲーテと並び称されるハイネの詩によるものである。

歌い出しの「可哀相なアトラス」と2度繰り返される叫びは、相手に向かって呼びかけるのではなく、己自身に対して叫ぶヒーローのいわば内心の絶叫である。原詩では「Ich unglueckselger Atlas」となっていることからも、このことは明らかである。これは神話の主人公に仮託した詩人の心の叫びであると同時に、言うまでもなく作曲したシューベルトの悲痛な絶叫でもある。いわば作曲家の魂の叫びと評すべき絶唱である。「この世のすべての苦しみを一人で担うのだ」という表白は、研究家のアインシュタインでさえも、さすがに「あまりにも大袈裟で感情過多だ」と評している部分であるが、ハイネとシューベルトの抱えていた「苦悩」というものを、その内面にまで沈潜して実感として味わうことのできる人ならば、かならずしも「大袈裟」でも「感情過多」でもないことが理解できるであろう。傍から見てどれほど小さな苦しみであろうと、生身のその人の内面に立ち入ってみるなら、まるで「世界中の不幸を一人で背負っている」ような苦痛に打ちひしがれることは、決して珍しいことではないことが分かるからである。詩人も音楽家も、ここではまさに「背負いきれなくて胸が押しつぶされて」いるのである。

前奏と同じ荒々しい間奏2小節に続けて、このヒーローは「自ら選んだ道だ」、という雄々しい覚悟を語る。そして「計り知れぬ愛を求め、計り知れない不幸に落ちる」、と自らの苦い過去を振り返るが、それもまた「自らまいた種」にほかならないのだ。そして再び「可哀相なアトラス」、という己自身への呼びかけを2度繰り返した後、最後にもう一度「この世の苦しみを一人になってゆこう」、という雄叫びを放つが、かれの悲痛な絶叫はさらに一段と増幅されて、「この世のすべての罪を」、という最後の高まりを見せて曲全体を終る。この時のヒーローはすでに、「全人類の罪を背負って十字架にかかったあの悲しみの人」へと変容している。原詩の直訳では、「この世のすべての罪」ではなくて、「この世のすべての苦しみ」と記されているが、邦詩ではあえて「罪」としたのは、宗教的な伝統を異にするわれわれには、詩人とともに作曲者までもが無意識のうちに避けている、伝来の「タブー」に囚われる必要はないと考えたためである。









→「白鳥の歌全曲邦詩一覧」ヘ戻る