歌曲集(Liederzyklus)「白鳥の歌(Schwanengesang)」

D957

シューベルトの最後の歌曲集「白鳥の歌」は、もちろんシューベルト自身が編集したものではなく、出版者トビアス・ハスリンガーが、イソップの童話で「白鳥は死ぬ前にもっとも美しい声で歌を歌う」と伝えられている伝説に基づいて、シューベルトの遺作となった14曲の歌をこのタイトルで出版したものである。歌詞の作者はH・ハイネ(1797〜1856 第6曲〜第13曲)、L・レルシュタープ(1799〜1860 第1曲〜第7曲)、J・G・ザイドル(1804〜1875 第14曲)という三人の詩人で、もともとシューベルトは、このうちのハイネとレルシュタープの詩による13曲を、歌曲集として発表しようと考えて作曲したが、このうちでハイネの詩による6曲だけを、明らかにお金に困ったために、独立して出版者に提供しようとした。(1828年10月2日。ライプチヒの出版者・プロープストに宛てた手紙を参照)。レルシュタープの詩による歌のうちで、一曲だけが未完だったため(「生きる勇気」[Lebensmut]D937)、シューベルトの死後ハスリンガーは、その代りにザイドルの詩による「鳩の使い(Taubenpost)」を加えて、全14曲の歌曲集「白鳥の歌」として出版したのである。(1829年4月)。

歌曲集「冬の旅」を完成した後、シューベルトの到達したもう一つの最高峰ともいうべきこのシリーズは、ゲーテと並んで、たとえシューベルトの音楽がなかったとしても、世界中の人にその名を知られる偉大な詩人として残る、例外的なドイツの詩人H・ハイネとの邂逅という点で、ひときわ貴重な精彩を放っている。A・アインシュタインは「ゲーテ以来絶えてなかった真実の抒情詩人との出会い」と評している。ハイネの抒情詩集「歌の本(Buch der Lieder)」は1826年に出版されたが、シューベルトは友人達との会合「シューベルティアーデ」(1828年1月12日)の際に披露された、朗読を通じてその存在を知ったと思われる。友人の一人だったF・フォン・ハルトマンの日記にはこう書かれている。

「ショーバーの所へ行き、そこでハイネという人の旅の思い出を朗読。快いところがたくさんあり、多くの機知と誤った傾向が見られる。私が一番気に入ったのは彼の少年時代の思い出である」。

この友人の言っている「誤った傾向」というのは、ハイネのナポレオンに対する崇拝のことを指していて、この時代は1814年のウィーン会議が行われた後の反動時代で、ナポレオンという存在は、第二次大戦後のヒットラーやスターリンのような、いわば悪の権化と考えられていたのである。しかしシューベルトは、この「誤った傾向」などは全く問題にもしていない。推測を巡らすなら、彼がひそかに反感と憎悪の火を燃やし続けていた対象は、むしろナポレオンを追放した「ウィーン体制」の方であったとさえ考えられる。彼の遺した手紙や日記を見る限り、この事は手に取るように分かるのである。

第1曲から第7曲までの作詩者ルードウィヒ・レルシュタープは、シューベルトより2年後に生まれたベルリンの文筆家であり、歴史小説や風刺小説も書いている。詩人としてよりもむしろ音楽評論家として活躍した人で、「冬の旅」の作詩者ミュラーと同様、シューベルトとは直接の面識はない。自分の1827年に発表した一連の詩を、かれはベートーベンに作曲してもらうことを期待して献呈していたが、同年この巨匠の突然の死に遭ったため、この期待は満たされずに終ってしまった。後にシューベルトが作曲したことを知って、またこの作曲家の死後の名声が高まるにつれて、「大変光栄だ」と喜ぶようになったという。何にせよこの詩人の名が、われわれのような遠い異国人の知る所となったことは、ひとえにシューベルトの作曲のおかげであることだけは間違いない。

最後の一人(「鳩の使い」の作詩者)ヨハン・ガブリエル・ザイドルは、前の二人とは違ってシューベルトのサークルの中にいた人物であり、シューベルトの最晩年にいくつかの詩を献呈して、「作曲」の栄に浴している。そしてシューベルトの死後、かれの息子とシューベルトの兄フェルデイナントの娘とが結婚することによって、シューベルト家の親戚になる、という「栄」にまで与かることになった。詩の選択に関しては、通説に反してきわめて厳しい目を持っていたシューベルトは、1828年の8月4日に、このザイドルに宛てて次のような手紙を書いている。

「敬愛するガブリエル様。一連の詩を同封ご返却申し上げます。これらの詩には、詩人らしいものも音楽に使えるものも、一切発見できませんでしたので。この機会に一緒にお尋ねしますが、あなたの詩「矛盾」と「子守り歌」に私の作曲したものを、まだ手中にしておられるようでしたら、できるだけ速やかに送って頂けませんか。楽譜として出版したいと思いますので。あなたを尊敬するフランツ・シューベルト」。

「白鳥の歌」の世界

この14曲の構造を分析するにあたっては、「冬の旅」の世界を分析した時と同じ原理に従って、三つの世界に分けて語ることにしたい。つまり

1 : 原詩の世界。これは詩人の作り上げた文学の作品であって、ドイツ語の原文の意味を伝えることは出来るが、原詩の構造をそのまま日本語で再現乃至再構築することは、極めて困難というよりほとんど不可能である。

2 : 原詩をもとにシューベルトが構築した音楽の世界。このうちで「歌詞」の占める割合が22%、音楽の占める割合が78%の重要性を持つ。

3 : 詩と音楽が渾然一体となったシューベルトの歌の世界を、邦詩によって再構築した「日本語で歌うシューベルト」という世界。

という三つの世界である。1については「大意」を述べるにとどめ、2については出来る限り音楽データを詳しく分析し、シューベルトの創造した世界を隅々まで解明したいと思っている。そして最後に3の日本語による再現・再創造を、できれば実際に歌い手に歌ってもらうことによって、聞く人に肌で実感してもらいたいと思う。

     歌曲集「白鳥の歌」全14曲 解説及び邦詩

第1曲 恋の使い(Liebesbotschft)

第8曲 アトラス(Atlas)

第2曲 戦士の予感(Kregersahnung)

第9曲 彼女の肖像(Ihr Bild)

第3曲 春の憧れ(Fruelingssehnsucht)

第10曲 漁師の娘(Fischenmaedchen)

第4曲 セレナーデ(Staendchen)

第11曲

第5曲 わが住処(Aufenthalt)

第12曲

第6曲 はるかな土地で(Inder Ferne)

第13曲

第7曲 別れ(Abschied)

第14曲




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