「第3曲・春の憧れ」

R・レルシュタープ 詩
Y・C・M 邦詩

「やわらかなそよ風、
花の香もただよう
やわらかなそよ風が、
花の香をただよわせ、
身も心もなごませる。
希望に胸をはずませる。
風の道をどこまでも、
香(かおり)を追って進もうよ。
でも、どこへ?
せせらぎが聞こえる
谷底へ下ろう
せせらぎは絶え間なく
谷間まで続いてる
浮く波も足を速め
水に映る青い空
何が胸を惹きつける
谷底には何がある
下へ、下へ?
黄金(こがね)の陽(ひ)の光
喜びを知らせる
黄金の陽の光を
惜しみなく注がれて
幸せを約束する
やさしく微笑みながら
嬉し涙を誘われ
思わず頬を濡らした
何故かしら?
緑に囲まれて
輝く花吹雪
山と森に囲まれ
白く光る花ばな
何もかも初日を浴びて
つぼみも芽も顔を出す
命の芽を吹き出して
すべて願いはかなった
さて、君は?
満たされぬ憧れ
涙はとめどなく
満たされぬ憧れを
いつも泣いてごまかす
求めるのはただ一つ
飢えと渇きを鎮める
君のやさしい微笑み
それこそほんとうの春
君だけが・・」。


音楽データ:

変ロ長調、2/4拍子、103小節、うち13〜57小節までは4連(シュトローフェ)から成る。テンポは一貫して Geschwind(速く)と指定されていて、それは最後まで変わらない。「春一番」という言葉も実態も、原詩の故郷のドイツにはないだろうが、ピアノの前奏12小節で始まるこの歌のテンポはまさに、早春の野を吹き渡る突風のように、さわやかであると同時に峻烈でもある。「歌詞」だけを追って行くかぎり、ひたすら追い風に乗って「花の香」を尋ね、「希望に胸を弾ませながら」、春の野を軽やかな足取りで飛ぶように進む、という明るいムード一色の歌であるようにしか見えない。しかし、ひとたびレルシュタープの「原詩」の世界を離れて、シューベルトの音楽の次元に身を移して眺めて見るなら、そこにはまったくの別世界というか、言うなれば「異次元」の悲痛な美の地平が、いやでも開かれてしまうのである。
もしも最後の一連(シュトローフェ)がなかったとしたら、純然たる有節リードになってしまったこの歌の、第一連から第四連までを聞くたびに、私はいつも場所も時代も原詩のふるさととはかけ離れた、中国の宋の時代の禅僧の名詩を思い浮かべる。
「始めは芳草に随って去り、また落花を逐ふて帰る。大いに春意に似たり」。
この詩もまたただ単に、春の景色を賛美した平板な風景画のようなムードで終わることなく、大自然との壮大な一体感を体現している点で、古今独歩の優れた趣がある、と評していいと思うが、シューベルトのこの「春の憧れ」という音の世界は、そのさらに上を行く気迫と蠱惑とに満ち満ちている。いわば「異界」・「霊界」との一体感、プラトンのいわゆる「イデアの世界」との一体化であり、シューベルトの主観の中では、おそらく「天国の世界」の音による描写と再現であろう。
そしてこの「天上界」へ通ずる扉を開く鍵は、各詩節(シュトローフェ)の終わりごとに、まるでリンクを張るための「キーワード」のように付けられた単語である。「でも、どこへ?」。「下へ、下へ?」。「さて、君は?」。そして最後の短調に転換して始まる詩節の、悼尾を飾る「君だけが・・」という締めくくりの一語であり、いずれもそこの小節の伴奏の音符だけにフェルマータが付けられている。
最初の4連においては、全体が長調で成り立っていて、春の明るいムードに乗って流れるように飛ぶように進んだ果てに、このたった一語の疑問詞によって水を差される、という結末を迎える。そしてこのプロセスを4度も繰り返した後、最後の一連にいたってついに、このプロセスが逆転して、最後の一言「それこそほんとうの春。君だけが・・」、という高らかな宣告が長調に変身もしくは転身することによって、曲全体を締めくくる構造になっているのである。
「冬の旅」を分析する場合にもすでに指摘したことだが、われわれ東洋人はともするとシューベルトの歌の世界を、「悟り済ました名僧が南画の世界に没入するように」、ひたすら我執や妄執を吹き払って、あらゆる「人間臭さ」を捨象した「自然」という幻想の中へ逃避し、まるで駝鳥が砂の中へ頭を突っ込むように、風景というキャンバスの中へと己自身を埋没させることによって、一種の「自己抹殺」の欲求に委ねようとしがちだ。しかし、そういう鑑賞法によって到達できるのは、せいぜい生気を失なった「骨董の世界」だけである。これに反して、シューベルトの音楽が伝えようとしているものは、もっとはるかに生々しく瑞々しい「永遠の青春」の世界なのである。なぜなら「それこそがほんとうの春」なのだから。毎年ただ無気力に迎える「暦の上の春」ではなく、「君だけが・・」と呼びかけることのできる恋人の存在こそが、心に春を迎えるための唯一無二の条件なのだから・・。たとえどんなに年を重ねようと、このことにいささかも変わりはないのだ。





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