「かの女の肖像(Ihr Bild)」

変ロ短調、4/4拍子アラ・ブレーベ、36小節。テンポは「ゆっくり(Langsam)」と指定されている。

前奏はわずか1小節のみで、後奏も2小節である。伴奏は終始ピアニシモで進行し、盛り上がるのは最終フレーズの「信じられないよ、君がいないなんて」という部分だけである。それほど全体が静ひつなムードで貫かれている理由は、何よりもこのタイトル「彼女の肖像」そのものが雄弁に語っている。この時代には「写真」というものはまだなかったので、主人公はいなくなった彼女の「肖像」を一人静かに眺めながら、そっと思い出に浸っているのである。しかも驚くべきことに、この彼女の肖像は「命をうけて」、さらに「微笑みを浮かべた」ばかりでなく、おまけに「ふたつの瞳に涙」さえ光るのである。このもの言わぬ肖像は、現代の「デジタル合成写真」どころか、「DVD」も顔負けの摩訶不思議なパワーを備えているのだ。そしてヒーローまでが、この肖像を目の前にして激しく泣くのである。こうしてみると、文明の利器の発達というものは、変幻自在という点において、恋する一人の男の、またその恋の対象の発する玄妙不可思議な力に遠く及ばない、という感慨を深くせざるを得ない。まことに恋の力というものには、世の常識をはるかに超越した魔性が潜んでいるのだ。

そしてこの「恋のマジカルパワー」をすら凌駕する魔力を備えているものは、優れた詩人の威力を持つ言葉であり、さらにそれを音楽に変えて一つの新しい別世界を創造する、シューベルトのような作曲家の秘めた力なのである。

 











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