資  料 (U)

ブラームスの手紙(カール・ガイリンガー著 山根銀二訳 「ブラームス」より)

その1(ブラームス29歳)

ウィーン、1863年3月26日 アドルフ・シューブリング(*)宛て

大いに尊敬する友よ

…………私は冬中ここで暮しました。定職なしでしたが、楽しく元気に。私はもっと早くウィーンを知らなかったことを、何よりくやんでいます。この町の陽気さ、環境の美しさ、感じ易く活気にみちている公衆、これらのすべては芸術家にとって何と激励的なものでしょう。それに加えるに、われわれは偉大な音楽家の記憶を特にもっています。彼らの生涯と作品は、日ごとにわれわれの心中を去来します。殊にシューベルトの場合には、彼がまだ生きているような気がするのです。くりかえし、彼が良い友達だったことを話す人々に会います。くりかえし、くりかえし、今まで存在が知られていなかった新しい作品に出っくわしますが、それは全く手を触れられてないもので、インク消しの砂を払い落とさなければならないばかりのものです。…………(**)

                    心から

                      貴君の ヨハス・ブラームス

     アドルフ・シューブリング、判事が職業ながら、熱心な音楽愛好家で音楽批評家でもあった

* このことは文字通り受とられて良い。ブラームスはシューベルトの草稿から注意して砂を取り除き、それを特別の箱に入れて愛蔵した。

その2(ブラームス30歳)

ハンブルグ、1863年6月19日 アドルフ・シューブリング宛て

親しい友よ

…………私のシューベルトに対する愛情は、非常に真面目な種類のものです。それはおそらく、一時の迷いのようなものでは決してないからです。最も偉大な人間が皇位につかせられているのを見る大空に、あのような大胆さと確実さをもって飛翔する彼の天才のような天才が、ほかのどこにあるでしょうか。彼はジュピターの雷と遊び、ときには異常な仕方でそれを取扱う神々の子供のように、私を印象づけます。しかも彼は他の人間がどうしても達することが出来ない領域で、また高さにおいて、それを演じるのです。…………

                  心からの挨拶を送る君の

                            ヨハス・ブラームス




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