ブラームスとシューベルト  五月女保幸

本日のシューベルト協会の演奏会はブラームスの弦楽四重奏より開始いたします。

ブラームスとシューベルトというと、「どんなつながりだ?」といぶかる方もおいでと思います。ブラームスと音楽家というと、シューマンやその妻クララを思い起こすでしょうし、また、ハンスリックの評論活動を通してのワーグナーとの対立を想起される方も多いのではないでしょうか。

確かに、シューベルトの没年は1828年、ブラームスが生まれたのはその5年後、1833年ということですから、もちろんシューベルトはブラームスをまったく知りません。しかし、ブラームスのほうにはだいぶ身近な存在だったようです。ウィーンに滞在した29歳のブラームスが友人へあてて書いた、次のような手紙が残されています。

「私は冬中ここで暮しました。定職なしでしたが、楽しく元気に。私はもっと早くウィーンを知らなかったことを、何よりくやんでいます。この町の陽気さ、環境の美しさ、感じ易く活気にみちている公衆、これらのすべては芸術家にとって何と激励的なものでしょう。それに加えるに、われわれは偉大な音楽家の記憶を特にもっています。彼らの生涯と作品は、日ごとにわれわれの心中を去来します。殊にシューベルトの場合には、彼がまだ生きているような気がするのです。くりかえし、彼が良い友達だったことを話す人々に会います。くりかえし、くりかえし、今まで存在が知られていなかった新しい作品に出っくわしますが、それは全く手を触れられてないもので、インク消しの砂を払い落とさなければならないばかりのものです。」

またその3ヵ月後、同じ友人への手紙。

「私のシューベルトに対する愛情は、非常に真面目な種類のものです。それはおそらく、一時の迷いのようなものでは決してないからです。最も偉大な人間が皇位につかせられているのを見る大空に、あのような大胆さと確実さをもって飛翔する彼の天才のような天才が、ほかのどこにあるでしょうか。彼はジュピターの雷と遊び、ときには異常な仕方でそれを取扱う神々の子供のように、私を印象づけます。しかも彼は他の人間がどうしても達することが出来ない領域で、また高さにおいて、それを演じるのです。」

単に身近な存在であっただけでなく、音楽的に天才と尊敬する存在であったわけです。後にシューベルトの旧全集の監修にもかかわるほどでした。

さて、弦楽四重奏曲においてはちょっとした因縁があります。それについてお話しする前にこれをちょっとお聞きください。(CD)聞き覚えのある方もおられると思います。2002年のウィーン・フィルのニューイヤーコンサートで、小沢征爾の指揮で話題をよんだ、ヘルメスベルガー作曲の「悪魔の踊り」です。作曲家のヘルメスベルガーは実は親、子、孫にわたり、名ヴァイオリニストで、そろってウィーン音楽院の教授となった音楽一家です。「悪魔の踊り」は3代目ヘルメスベルガーの作品です。彼は作曲家ですが、ウィーン・フィルの第5代コンサートマスターでもありました。2代目もまた有能なヴァイオリニスト、ウィーン音楽院の学長、宮廷楽長を務め、みずからヘルメスベルガー弦楽四重奏団を組織しました。これから演奏されるブラームスの弦楽四重奏曲第1番はヘルメスベルガー四重奏団に献呈され、そして初演をされました。ヘルメスベルガー弦楽四重奏団はブラームスの室内楽を世に広めるのに大きな貢献をしたカルテットです。そしてその同時期に、彼らはシューベルトの埋もれた作品を含め、弦楽四重奏曲の大半を初演し、世に広める働きをしました。つまり、シューベルトとブラームスの弦楽四重奏曲はヘルメスベルガーつながりなのです。

さらに興味深いことに、初代のヘルメスベルガーは、宮廷神学校コンヴィクトでシューベルトと同窓生でもありました。ヴァイオリンの名手であり、ウィーン楽友協会主催のイブニングコンサートの常連でした。未完成の弦楽四重奏曲である第12番「断章」はこのヘルメスベルガーに演奏してもらうために作曲され始めたという説もあります。残念ながら、ヘルメスベルガーがヴァイオリンの大家ベーム教授からウィーン音楽院に招聘され、多忙になったため、この弦楽四重奏曲は演奏の機会を失い「断章」のままになってしまったと推察されています。

この弦楽四重奏曲「断章」は、1867年3月に2代目のヘルメスベルガーのカルテットによって初演されました。奇しくも、シューベルトの望みはその息子によって実現されたというわけです。

ブラームスの弦楽四重奏曲第1番ハ短調は、「断章」の6年後に初演されました。大変緻密で無駄のない筆致で、アパッショナートかつ美しい弦楽四重奏曲となっています。

(ブラームス 弦楽四重奏曲第1番 ハ短調 作品51−1 演奏)

ブラームスの弦楽四重奏曲は全3曲。シューベルトは15曲。ちなみにベートーヴェンは16曲。一見ブラームスは寡作であったかのように見えます。実は、習作の弦楽四重奏曲が20曲ほどあったらしいのです。自分の作品に厳しい目を向けたブラームスは、交響曲第1番の作曲に見せたあのすさまじい慎重さで、初期の習作をすべて破棄し人目に触れぬようにしたのです。もしそのようなことをシューベルトが自作に対し行ったとするならば、おそらく最後の3曲を残したでしょう。第13番、通称「ロザムンデ」、第14番「死と乙女」、第15番ト長調です。            これをご覧ください(作品125の第1番のチェロのパート譜)。簡単で、単純で面白みの少ない様子がお分かりいただけますか?私の属するアマチュアの弦楽四重奏団のチェロ奏者からは大変評判の悪い楽譜です。初期の11番までは、家庭音楽会のためにかかれた「ハウスムジーク」だったのです。シューベルトの父が担当したチェロパートは実に簡単に書かれているのです。

11番が書かれたのは1816年ですが、その8年後1824年には、大作曲家の列に入る大きな飛躍を遂げます。ここに、1824331日付の友人クーペルヴィーザに当てた有名な手紙をご紹介します。

「リードのほうでは、あまり新しいものは作らなかったが、その代わり、器楽の作品をたくさん試作してみたよ。ヴァイオリン、ビオラ、チェロのための四重奏曲 2曲、八重奏曲を1曲、それに四重奏をもう1曲作ろうと思っている。こういう風にして、ともかく僕は、大きなシンフォニーへの道 を切り開いていこうと思っている」

ここに出てくる2曲の四重奏が「ロザムンデ」であり、「死と乙女」なのです。予定された弦楽四重奏曲は第15番ト長調と思われます。
 この手紙は「死と乙女」弦楽四重奏が書きあがった同じ月に書かれた手紙ですが、次のような一節があります。

「一言でいうと、僕は、自分がこの世で最も不幸で最もみじめな人間だ、と感じているのだ。健康がもう二度と回復しそうもないし、そのことに絶望するあまり、ものごとを良くしようとするかわりに、ますます悪く悪くしていく人間のことを考えてみてくれ。いわば、最も輝かしい希望が無に帰してしまい、愛と友情の幸福が、せいぜい苦痛のタネにしかならず、(せめて心を鼓舞する)美に対する感動すら消え去ろうとしている人間のことを。君に聞きたい。それはみじめで不幸な人間だと思わないかね?−「私のやすらぎは去った。私の心は重い。私はそれを二度と、もう二度と見出すことはないだろう」、僕は今、それこそ毎日こう歌いたいくらいだ。なぜなら、毎夜床に就くたびに、僕はもう二度と目が覚めないことを願い、毎朝目が覚めるたびに、昨日の怨みばかりを告げられるからだ。」

まことに深刻な内容です。シューベルトは複数の病気に苦しんでいました。この前年の秋には彼のかかりつけの医者アウグスト・フォン・シェッファーは彼を数週間公共病院に入院させました。おそらく梅毒の治療と思われます。今では考えられないような水銀蒸気浴治療を受けます。その治療によるものかは断定されていませんが、シューベルトは脱毛に悩まされ、鬘をつけました。発疹、左腕の骨痛、眩暈の発作、頭痛、発熱、一時的抑鬱症などを再三再四発病しました。そんな激しい健康不安の中で、愛や友情でさえ苦痛の種になったり、美に対する感動の減退を覚えるようになったりしたのでしょう。
 国際フランツシューベルト協会の要職にあるエルンスト・ヒルマー氏はこのように言います。「この手紙に書かれた三月に弦楽四重奏曲「死と乙女」が生まれているのは、全くの偶然ではない。みずからの病によって呼び起こされた、この曲の死の主題技法か全曲を貫いている。これは音楽化された絶望的な悲鳴であり、死との「語り」の仕方がバラードの『魔王』を想い起こさせる。」まことに明察だと思います。

さて、ここでフィルハーモニーカンマーアンサンブルの皆さんを再びお呼びしましょう。

先ほどの私の紹介で、「アマチュアカルテットのビオラ弾き」ということが紹介されました。私の仲間はこの曲を「シオトメ」と呼んでいますが、この曲も挑戦してみたことがあります。大変な難曲です。演奏することは楽しいのですが、アマチュアは少なくとも人様に聞いていただくというような野心を起こしてはならないとおもいます。皆様を苦しめることになり、そこには犯罪に近いものがあります。

ここに「クヮルテットのたのしみ」という本があります。アマチュアカルテットのためのバイブルのような本です。ユーモアあふれる解説や警句が楽しい本なのですが、ここに曲の難易度が示されています。「シオトメ」は6段階中5となっております。5はアマチュア可能な最上限、集中的徹底的な研究なしには果たしえないとあります。「死と乙女」については、「相当多くの場所で正しい音楽性を要求されている。4つの楽章は音楽的にほとんど同じくらいレベルの高いもの」「終楽章も技術的になかなかきびしいものである。特にしなやかな手首が必要で、それぞれの楽器をよく響かせる技術が求められている。」とあります。やはり、フィルハーモニーカンマーアンサンブルの皆さんのようなヴィルトーゾで鑑賞するのが、この曲との正しい付き合い方だと考えております。

(シューベルト 弦楽四重奏曲第14番 ニ短調 《死と乙女》D810 演奏)



「7月3日例会」へ戻る