第2曲:「戦士の予感」(Kriegers Ahnung) 

原詩の大意 :

「深い静けさの中、私の周りには

横になった戦友たちの輪ができている

私の心は不安で重苦しい

不安と重苦しさに閉ざされながらも

心は熱い憧れに襲われる

熱い憧れに襲われる

幾度甘い夢を見たことだろう

かの女の暖かい胸に抱かれる夢を

あの暖かい胸に抱かれる夢を!

暖炉に燃える炎が親しげにゆらめき

かの女は私の腕の中に横たわる

私の腕の中に!

ここでは闇を照らすかがり火が

ああ、冷たい武器に戯れるだけだ

ここでは胸の憧れを

一人で空しく噛みしめるだけ

たった一人で噛みしめるだけだ

憂鬱の涙があふれ

いつか鎧の袖を濡らす

心よ、あくまで希望を捨てないで

逢う日を目指して奮い立て

多くの戦を切抜けよう

やがて私は安らかな

眠りに就く時を迎えるだろう

最愛の女(ひと)よ、君もお休み!

最愛の女(ひと)よ、君もお休み!

心よ、あくまで希望を捨てないで

(以下繰り返し)

最愛の女よ、君もお休み!」。

 

音楽データ :

c(ハ短調)、3/4拍子、122小節。

テンポはNicht zu langsam (あまり遅すぎないで)と指定されている。最初の8小節は前奏で、戦場で野営しつつ夜更けを迎えた軍隊の、重苦しい雰囲気を象徴する、まるで鎧を着けた武者の行進を思わせるような音形が並ぶ。「周りを囲む戦(いくさ)の仲間」、と歌い出す主人公は、深夜になってテントの中で眠りに就いた仲間たちから、一人離れて徘徊しながら、「胸が重くなる」と呟く。かれは「不寝番」の勤務に就いた歩哨なのかも知れないし、あるいは寝苦しさのあまり一人起き出して、野営地の周りを重い足取りで歩き回っているだけなのかも知れない。いずれにしてもかれの「胸は重くなる」ばかりなのだ。そしてその理由は、重苦しさがにじみ出るメロデイーのまま、クレシェンドとなって叫ぶ「戦(いくさ)のただ中にいても焦がれる心」、というセリフによって明らかとなる。しかもこのたった一行のフレーズは、一語一語の発せられる強弱が微妙に変化していて、「ただ中にいても」でクレシェンドからフォルテへと沈痛な高まりを見せた後、「焦がれる」で一旦ピアノとなり、「心」で再びクレシェンドからフォルテとなったかと思うと、ピアノの間奏がデクレシェンドとなって、3小節目にピアノとなってから、フェルマータの付いた付点二分音符で終結する、という何とも複雑な構成になっている。そしてこれは「歌詞」、つまりこのヒーローの発する一言一言の語調ばかりか息使いの末に至るまでを、音によって丹念且つ忠実に再現しようとした、シューベルトという名工による彫啄の結果なのである。正に「彫心鏤骨」という形容こそがふさわしい匠(たくみ)の技である。

第二の段落は4/4拍子で、テンポも「Etwas schneller 少し早めて」と変わり、流れるような三連音符に乗って、「幾度も夢に見たあの娘(こ)の胸」、という主人公の回想が始まる。しかもこの同じ「あの娘の胸」が、二度繰り返されると今度はデイミヌエンドで短調となり、もしかしたらもう二度と巡り会うことはないかも知れない、という不安を掻き立てるのだ。これと同じプロセスが、次のフレーズの「炉端に火が燃えて眠るあの娘」という所でも、まったく同様に繰り返されるが、次に来る1小節の間奏は、伴奏の左右の手がまるで地の底か地下室へ降りて行くような音形を奏でたかと思うと、「かがり火が燃えて、武器を照らす」という現実に立ち戻る。この非情な現実は主人公に、昔の甘い思い出に浸る余裕すら許さず、まるで戦の太鼓か早鐘のような、そこからなんと18小節にも及ぶ三連音符の連なりとなって、主人公を戦闘の準備へと駆り立てるのである。そして歌唱声部は「独り寝になれて」から「袖を濡らす」までの沈痛な述懐を、これでもかというくらい繰り返し歌い続けるのだ。

第三の段落は6/8拍子で「Geschwind unruhig 急いで、不安げに」というテンポに変わる。伴奏の右手は16分音符6x2というせわしない音形を刻み、前奏2小節の後すぐに、ヒーローはこの救いの見えない、絶望的状況のただなかに置かれたまま、無理に勇気を奮い起こして、「おお、希望を捨てるな。いつかまた逢える。戦い抜け」、と己の心に向かって言い聞かせる。フォルテで歌われる「戦い」という単語の響きは、普通の「軍歌」や「進軍歌」のような、戦意を鼓舞する勇ましさとは無縁の、ただひたすら「苦役」に耐えることを覚悟した主人公の、諦念というよりはむしろ忍苦と自暴自棄を表わしている。デクレシェンドとなる1小節を経て、「やがて私も安らかに眠る」という、普通なら陰陰滅滅としたメロデイーがふさわしい詩句を、むしろあたかも勝利の喜びの歌ででもあるかのような、朗々たる詠唱として歌い上げる。普通の「常識」なら、詩句とメロデイーとの関係は、これとは反対になるはずで、もしも平凡な作曲家ならば、このような「アンバランス」というか倒立した関係を、創造することはおろか、考えることもできなかったろう、と思われる。さらに続けて「君もお休み」という、恐らくはこの世で二度と再会することはない、遠い恋人に向かって呼びかける悲痛な別れの挨拶を送るが、これこそまさに「今生の別れ」と呼ばれるにふさわしい、悲しい別離の歌であり辞世の句なのだ。この逆立した関係を音楽によって余すところなく表現するには、このような倒立構造こそがまさに最適の形であり、これ以外には考えられない究極の表現形式がここにあるのである。

一曲だけで一つの独立した「小宇宙」を形成するこの「絶唱」に匹敵する作品としては、場所も時代もまったくかけ離れた、次のようなものを典型的な例として挙げるほかはない。それほどこの作品はただ一曲だけでも、芸術史上比類を絶した高みにあって輝いているのである。

「玉藻なす、なびき寝し児を、深みるの、深めて思へど、さ寝し夜は、いくだもあらず、延(は)ふつたの、別れし来れば、肝向かふ、心を痛み、思ひつつ、かへりみすれど、大船の、渡の山の、もみち葉の、散りの乱(まがひ)に、妹が袖、さやにも見えず、つまごもる、屋上の山の、雲間より、渡らふ月の、惜しけども、隠らひ来れば、天つたふ、入り日さしぬれ、ますらをと、思へる吾も、しきたへの、衣の袖は、通りて濡れぬ」。(「万葉集巻二の135」)。

「戦士の予感」(Kriegers Ahnung) D957−2

L・レルシュタープ詩

Y・C・M邦詩

c(ハ短調)、3/4拍子、122小節。
 

「(前奏8小節)

周りを囲む戦(いくさ)の仲間

胸が重くなる。

戦(いくさ)のただ中にいても、

焦がれる心。

(間奏3小節)

(ここから4拍子、やや早めて)

幾度も夢に見たあの娘(こ)の胸

あの娘の胸

炉端に火が燃えて

腕の中に眠るあの娘

(間奏1小節)

かがり火が燃えて

武器を照らす

独り寝になれて

寂しさに耐えて

涙に袖を濡らす

袖を濡らす

(間奏3小節)

(ここから6/8拍子、急いで、不安気に)

おお、希望を捨てるな

いつかまた逢える

戦い抜け

(間奏1小節)

やがて私も安らかに眠る

君もお休み

君もお休み!

おお、希望を捨てるな

いつかまた逢える

戦い抜け

やがて私もやすらかに眠る

君もお休み

君もお休み

(もとのテンポに戻って)

君もお休み!」。

 

 

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