第5曲 : 「わが住処(すみか)」

荒波、うなる森、
岩場がわが住処
荒波が、うなる森が、
岩肌がわが住処

重なる波のように、
絶え間なく押し寄せる
わが涙
尽きることなく
絶え間なくあふれてる

森の樹をゆるがせる
吹きすさぶ風のように
心に隙間風が
絶え間なく吹いて来る
心の寒い夜風が

むき出しの岩肌は
とこしえに変わらぬ
苦しみだ
時を経てもいつまでも
変わらない

荒波、うなる森
岩肌がわが住処
荒波が、うなる森が
岩肌が、
荒波とうなる森が
わが住処

音楽データ : 

ホ短調、2/4拍子、141小節。最初の6小節が前奏、最後の6小節は後奏。テンポは、Nichit zu geshwind, doch kraeftig(速くなりすぎないように、でも力強く)と指定されている。
歌詞の内容に従って、この歌は間奏をはさんで全体が五つの部分に分かれている。しかし、重要なモチーフを表わす単語やフレーズの繰り返しと強調は、他の無数のリードの場合と同様、すべては作曲者シューベルト独自の判断によって行われていて、これが「作曲するということは、ただ単に原詩の意味内容を伝え、そのリズムやスタイルを再現する作業ではない」、というテーゼの強力な証拠だ、と言える。だからこそ、日本語で「シューベルトの世界」を再構築するという作業に際しても、拠って立つところの基準は、あくまでもシューベルトの「曲」のリズムでありスタイルであって、「原詩」のそれではなく、また、「歌うこと」を無視して、原詩を「縦に読んだ」場合の意味内容を、忠実に報道することでもない。
だからこの「歌詞」を、ただ棒読みにしただけでは、とうてい理解することのできなかった「別世界」が、これがシューベルトの「曲」として歌われるときに初めて、誰の前にもその峨々(ガガ)たる雄姿を現わすのである。
ここからはいささか余談めくが、31年の全生涯を通じてシューベルトは、「海」というものを一度も目にしたことはないはずである。それにもかかわらず、この「白鳥の歌」シリーズでは、海をテーマにした作品がこのほかにもいくつもあり、その最初の登場となるこの曲においても、「荒波」と「岩肌(=岩礁)が重要なシンボルとなりテーマとなっていて、しかも「音」によるその描写は、海辺に終日座ってカンバスに向かい、荒波の砕ける風景を描写し続けるどんな画家にも劣らない。これこそが「芸術」の芸術たるゆえんであって、他人も社会も自然でさえも、たとえ生身の個人としてその中へ身を投じて、俗にいう「揉まれる」体験が一度もなかったとしても、優れた芸術家はまるで手の中の素材のように、生き生きと描き出し、「現出」ないし「肉化(インカーネイト)」させることができるのである。
この意味で偉大な芸術家こそ「真の創造主」である、とたたえることができるであろう。





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