「シャクンタラー」のページ

1 : まえおき 3 : あらすじ
2 : オペラ「サクンタラー」

1: まえおき

インドの「詩聖」と仰がれるカーリダーサ(Kalidasa)は、生没年未詳だが、このグプタ朝のチャンドラグプタ2世(375〜414)と同時代の人ではないかと言われている。その代表作とされる「シャクンタラー(Sakuntala)」は、すでに18世紀から英国を皮切りに、ヨーロッパ各国に翻訳されて伝わり、ゲーテ(1749〜1832)の「ファウスト」のプロローグ(「劇場での序景」)にも影響を及ぼしている。このインド劇をドイツ語の魔法劇として書き下ろしたのは、Ph・フォン・ノイマン(1774〜?)というウィーン人で、それを3幕のオペラとして作曲したのが、何を隠そうシューベルトその人であった。残念ながらこのオペラ(「シャクンタラー」D701)も、他の多くのオペラと同様、未完のまま遺されてしまったが、1971年にはウィーンのフェステイバルで、未完の部分を補って上演まで行われている。

2: オペラ「サクンタラ−(Sakuntala)」(D701)

3幕のオペラ。第1幕と第2幕への計画のみ残存。台本:フィリップ・フォン・ノイマン。古代インドのカーリダーサのドラマによる。1820年作曲。総譜の計画(第1幕のNo1〜6、第2幕のNo7〜9、No11,さらに五重唱1曲)としては、個々のナンバー毎に歌唱声部に対応する楽譜が完成しているが、他のナンバーについては未完。楽器(オーケストラ)編成が完璧に出来上がっているのは、導入部(イントロ)の15小節までと第1幕のフィナーレ(No6)の最後の42小節のみ。フリッツ・ラチェクによって未完の部分を補われて、このオペラは1971年6月12日に(ウィーンのフェステイバルで)初演されている。(オットー・エーリヒ・ドイッチュ著・「シューベルト作品一覧表」より)。

「シューベルトがカーリダーサのインド劇による『サクンタラー』を作曲しようという、真剣なオペラの計画に取り組んだのは、1820年10月のことだったにちがいない。シューベルトのために原作から二幕のスケッチを提供してくれたのは、ヨハン・フィリップ・ノイマンであった。ノイマンは、1815年以来ウィーンの工業学校の物理学教授、書記官、司書を勤める、教養ある人物であった。かれが果たして、よいオペラ劇作家であったかどうかは不明である。スケッチがスケッチのまま、計画が計画のままで終ってしまったからである。K・フォン・ヘルボルンはこのドラマのストーリーを詳しく伝えているが、それを見れば、シューベルトが”この作品はオペラの台本としてはよくない”という友人たちのアドバイスに従って”、作曲の完成を思いとどまったことは、少なくともドラマ制作(ドラマトルギー)の立場からは理解できる。ウィーンの魔法劇のジャンルに属するこの幻想的=茶番式インド魔法オペラは、決して舞台効果を上げることはできなかったろうし、シューベルトの豊かな発想の浪費に報いることはなかっただろう。自筆譜においては、『歌唱声部は歌詞とともにすっかり書き上げられ、低音部は大部分記入されていて、バイオリンとフルートのパートはところどころに数小節や装飾音符が書き込まれている。第1幕のフィナーレの合唱{天上からの声}は、ただ一つの完成した楽曲である。この合唱曲は管楽器の伴奏が付いており、おそらくは女声合唱のためのもので、3/4拍子、ヘ長調で、以下のような歌詞が付いている』。

Lieblos verstossen, 愛もなく追い出され

Ohne Erbarmen, 過酷な運命に泣いて

Bist du von frommen, おまえは誠実な

Liebenden Armen 愛する人の腕の中に

Gerne aufgenommen, 無事抱きとめられたのだ

Sakontala!シャクンタラー!

シューベルトは最初の二幕ー正確には第1幕の6曲と第2幕の5曲ーをスケッチしているが、一連の大きな合唱を含むはずの第3幕には手を着けなかった。」。(A・アインシュタイン著:「シューベルトー音楽的肖像ー」より)。

3: 「あらすじ」

苦行を積んだバラモン僧のカンヴァ仙人に、森の中で拾われて育てられたシャクンタラーは、天女アプサラスの娘でした。かの女はある日の午後、同じように拾われて育った娘たち三人と一緒に、ジャスミンマンゴーなど庭の草木や花に、水をやりながらおしゃべりをしていました。するとそこへ狩りの獲物を追ってやってきた、この国の領主である若いドフシャンタ王が通りかかって、木陰からシャクンタラーを一目見ると、たちまち激しく心を惹かれて、立ち去ることができなくなりました。かれはその場に身を潜めたまま、かの女たちのお喋りに耳を澄ませているうちに、かの女はバラモン階級の血を引いていないことを知って、小躍りして喜びました。(→「カーストのページ」を参照)。独身だったかれは、老いた両親から早くお后を迎えるように迫られていたので、目の前にいるシャクンタラーこそ、生涯の伴侶として唯一人の相手だ、と直感したからでした。やがて娘たちが木立の間にあるあずまやに腰を下ろすと、かれはその場に姿を現わしてみんなに話し掛けます。自分の身分を明かした上、四方山の世間話を続けるうち、シャクンタラーの方も、この王の姿と人柄に強く惹きつけられて、たちまち恋に落ちてしまいました。王さまはわざわざ狩りの日程を数日間延長することに決め、かの女との出会いを重ねるうちに、いつも行動をともにしていた3人の娘たちは、一番年長のシャクンタラーが、王さまのお后候補として選ばれたことを知り、お互いに強く惹かれ合っていることを察して、二人をそっとあずまやに残して立ち去るようにしました。美しい森に囲まれた戸外で深い契りを結んだ二人は、こうして互いに将来を誓い合ったのでした。けれども、育ての親の仙人はちょうど留守だったので、シャクンタラーはその帰宅を待って、王妃として都へ上る許可を得ることが必要でした。また、国王は老いた両親に婚約を報告するために、急いで都へ戻って準備を整え、輿入れするシャクンタラー一行の到着を待つことにしました。王さまは別れ際に婚約の指輪をシャクンタラーに贈って、「この指輪に刻まれた私の名前の一文字一文字を、毎日一回一字つ”つ、そっと撫でながら唱えてごらん。それを全部唱え終るまでに、二人は必ず再会できるんだよ」、と言い残して都へ向かいました。入れ違いに間もなく帰宅したカンヴァ仙人は、シャクンタラーの婚約のことを聞くととても喜んで、「名残惜しいがこれからは、この国の王妃として国民のために尽くすこと、そして無事にお世継ぎを生むことこそおまえの使命だ」、と言って森の中に住む人たち全員を集めて、盛大な送別の宴を開いてくれました。そして出発の日には三人の娘たちと一緒に、嫁入りの支度を整えたシャクンタラーの一行を、涙を拭きながら見送ってくれました。

ところが森に住む住民のうちでも、シャクンタラーが国王のお后に選ばれたことを喜ばない生き物がいました。以前からかの女の美しさに目をつけていた、森の悪魔(もののけ)のドルヴァーサスは、かの女の水浴びしている姿を一目見てから、どうしても忘れることができなくなり、或る晩かれは仙人に化けて、そっとかの女の寝室に忍び込むと、金縛りになったかの女を犯そうとしました。悪魔の正体を見抜いたシャクンタラーは、たちまち死にもの狂いで抵抗し、大声で助けを呼ぶと同時に、かれの股間を蹴ってひるむスキに、やっと難を遁れました。悪魔はかの女に向かって、こういう呪いの言葉を浴びせかけてから、森の奥へ逃げて行きました。「今後おまえはどんな男と巡り会っても、けして結ばれることはないだろう。どんなに固い約束を交わしても、相手はきっとその約束を忘れてしまうからだよ。もしもこの呪いを解いてほしければ、一度はオレのものになるしかない。その時を楽しみに待ってるぜ」。

都の王宮を目指して旅を続けるシャクンタラーは、悪魔の呪いなどはとっくに忘れていましたが、途中でガンジス河の支流マリーニ川のほとりにあった「恋の女神・カーマ」のお社(やしろ)に立ち寄って、お供物を捧げて結婚のシアワセをお祈りしている最中に、王さまからもらった大切な指輪が、いつのまにかスルスルと指から抜けて、川の中へ落ちて行ってしまいました。この不吉な前兆に、一同は全員不安に駆られますが、かれの愛情を信じて疑わないシャクンタラーは、気を取り直して旅を続けて、三日目の日が暮れる前には、無事に王宮にたどり着きました。

国王は忙しい日程を割いて一行を歓待してくれましたが、それはあくまでも保護下の領地に住む高名な森の仙人の使者としてで、肝心のシャクンタラーとの婚約については、まさに悪魔の呪いの通り、まったく覚えてはいませんでした。お供の女性がシャクンタラーのかぶっていたベールを取って、「この顔に見覚えはないとおっしゃるのですか?」、と迫っても、さらにはかの女が妊娠しているという重大な事実を告げられても、国王は「全く身に覚えの無いことだ」、と言い張ります。指輪のことを持ち出されるとかれは、「それはこの世にただ一つしかない私の宝だが、先日狩りの獲物を追って森の中で道に迷った時に、うっかり失くしてしまったのだ」、と残念そうに言いました。指輪さえあれば約束を思い出してもらえると思っても、肝心の証拠は川の中ですから、どうすることもできません。一行が王さまの不実をなじりながら憤然として宮殿を立ち去ると、シャクンタラーは最後まで王さまの顔を、悲しい顔で見つめながらただ一言、「いつかはきっと思い出して下さると信じております。私はこのお腹の赤ちゃんと一緒に、晴れて抱きしめて頂ける日を、いつまでもお待ちしております」、と泣きながら叫んで、一行の後を追って悄然と王宮を後にしました。

たとえ記憶はなくても、シャクンタラーのあまりにも真剣な訴えに、心を動かされた国王は、それからは憂うつな毎日を過ごして、公務にも身が入らない状態でしたが、ある日のこと、年取った漁師が河の中から拾ったという、豪華な宝石をちりばめた指輪を売ろうとして、「盗み」の疑いで捕まえられて来ました。王さまがその指輪を手にとって、再び優しく撫でて見ると、たちまちシャクンタラーと森で過ごしたあの時の、すべての甘美な記憶が甦って来ました。かれはあわててかの女の行方を尋ねさせましたが、もはや行方は誰にも突き止めることはできませんでした。激しい後悔と思慕の念に突き動かされた王さまは、たとえどんな手段を使っても、シャクンタラーを再び取り戻そうと決心して、最後は霊能力をそなえた魔法使いに頼んで、かの女の所在を占わせました。すると魔法使いは、次のように答えました。

「かの女は悲しみのあまり、指輪を落したあの川へ身を投げて死のうとしましたが、溺れて苦しんでいるところを、見かねた生みの母である天女のアプサラスの手によって救い出されて、空中へ連れ去られて行きました。そして今はインドラ神(帝釈天)の支配する、『天寿国』という天上の世界に住んでいます」。

「だったらこの私をそこへ連れて行ってくれ。途中にどんな危険があろうと、どんな苦難に見舞われようと、私には一切悔いはない。たとえそのまま命を失っても、つれなく見捨てたかの女のために、何もできずにこのまま玉座に居座ることに比べれば、はるかに意味のある一生だった、と振り返ることが出来るだろう」。

こうしてドフシャンタ王は、魔法使いの手を借りて、生きながらあの世へ旅立つことになりました。魔法使いの調合した毒薬を飲んで、たちまち呼吸も心臓も止まったかれは、幽体離脱して暗闇の中を、行く手に見える一筋の光だけをを頼りに、どこまでも進んで行って、気も遠くなるほどの孤独に耐えながら、ひたすら前方を目指すと、やがて明るい世界へ出ることができました。目の前に広がる一面の花畑の前に立ったかれは、一人の美しい女性とともに、花を摘んでいる小さな男の子の姿に目を奪われました。女性は見知らぬ人でしたが、男の子の顔はどこかで見たことがあるような、とても懐かしい気がしてなりませんでした。思わずそばへ寄って話し掛けると、初めて会ったかれなのに何の警戒心も抱かずに、男の子はこう言いました。

「ボクね、また地球に戻って、パパに優しく迎えてもらえるように、ここへ来てからずっといい子にしているよ。毎日ここで優しいお姉さんと一緒に花を摘んでいるんだけど、これはママがパパと地球でまた会うときに持って行く花なんだって」。

美しい女性はこの様子を見て、びっくりして言いました。

「この子がこの国へ来てから口を利いたのは、これが初めてです。人の話す内容は分かるのに、今まで自分からは何も喋りませんでした。一体あなたはどういう方なんですか?」。

「はい、実は私は・・・」。

ドウフシャンタからこれまでのことをすっかり聞いた女性は、たちまち満面に笑みを浮かべてこう叫びました。

「坊や、おめでとう、パパがわざわざここまで迎えに来て下さったのよ。これで3人一緒にまた地球に帰れるわ。すぐにママにも知らせて来ますから、ちょっと待っててね」。

かの女が衣のすそを翻して立ち去ると、ほとんど時間の経過が判然としないうちに、懐かしいシャクンタラーが、王宮を後にした時と同じ服装で、花畑の向こうから女性に伴われて現われました。ドフシャンターは涙を流して再会を喜び、かの女に指輪が見つかって記憶が戻ったたイキサツを話してから、思い切りかの女の身体を抱きしめて口つ”けを交わしました。

「もう二度と約束を忘れたりはしないから、どうか許してほしい。これからはいつまでも一緒に暮らそう」。

「いつか必ず思い出してくださると確信しておりました。あなたと私の愛の結晶は、残念ながら地上では、生まれることができませんでしたけれど、ここでこんなに大きくなることができました。喜んで下さい・・でも3人は、このまますぐに地球へ戻ることはできません。私たちの愛情の絆には、森の悪魔の呪いがかかっていて、このままではまたいつ何時、邪魔が入るかも知れないからです。私は今、あの悪魔を天国の法律で裁いてもらえるように、この天上界を支配しているインドラ神(帝釈天)に訴えを起こしています。私たちの訴えが認められて、あの悪魔・ドウルヴァーサスを奈落の底へ突き落とすという裁きが下ったら、そうしたら私たち3人は、大手を振ってまた地球へ戻り、国王夫妻と皇太子として、末永く幸せに暮らすことができるでしょう」。

天上界の裁判は、この地球上の裁判とは違って、驚くほど公平迅速に進められて行きました。シャクンタラーを自分のものにしようとつけ狙い、それに失敗すると呪いをかけて、かの女が誰とも結ばれないようにした森の悪魔のドルヴァーサスと、シャクンタラーが結婚のシアワセを願って、せっかく真剣にお祈りを捧げたのに、あまりにも美しいシャクンタラーに嫉妬して、悪魔からイジワルをするように唆(そそのか)されたので、大切な指輪を川の底に落すという嫌がらせをしてしまった恋の女神。この二人に対しては、ともに「有罪」の宣告が下されたのです。ドルヴァーサスは住んでいた森を永久に追放されて、はるか西の方にある、草木が一本も生えない砂漠の国へ追いやられることになりました。恋の女神はシャクンタラーに謝罪してから償いとして、ドフシャンタの国の王室が三代続く間は、王室の中の男女の不和は、一切なくすように務めることを命じられました。

こうして二人は神さまたちに祝福されて、晴れて夫婦として再び地球に戻ることを許されました。地球では死んだと思われていた二人が、葬式の準備も始まらないうちに生き返ったので、都をはじめ国中の人から、「奇跡の生還」として大騒ぎの末、大歓迎を受けました。無事に王宮に返り咲いた国王とシャクンタラーは、改めて宮殿で盛大な婚姻の祝典を開き、もう一度月満ちてからあの男の子の世継ぎが誕生して、やがては国王の後を継ぐことになりました。その後も五代目に至るまで国は富み栄え、国民の生活は豊かで満ち足り、学問・芸術・文化の花は一斉に開いて、当時の地球上で最も文明の進んだ国としてたたえられました。この国はドフシャンタの祖父の代から数えると、ほぼ350年間続きましたが、インドラ神は天国の法廷で裁きを下した後で、さりげなくこう予言したのでした。

「もしもこの国の支配層が奢り高ぶって、弱者に対する差別と迫害を続けるようになった時には、はるか西の砂漠から悪魔が多数甦って、豊かな国土と貴重な文化の産物を、ことごとく破壊する時代が来るだろう」。

そしてこのコトバは、後の時代(7世紀)になって文字どおり実現してしまったのです。さらにまことに悲しいことには、それから千数百年も経った21世紀にも、このかつて栄えた豊かな国の痕跡は、跡形もなく消えてしまったままなのです。この秋に最も世界の注目を集めている戦闘地域、群雄の割拠する戦場となっているアフガン地方、ここがかつて東西文明の合流する、豊かな文化の花を開いた国の一部だったということを、一体誰が信じられるでしょうか?

Y・C・M。

 

 

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