第7曲「別れ」

音楽データ

変ホ長調、4/4拍子、167小節。テンポは「やや速めに(Maessig geschwind)」と指定されている。タイトルからして容易に推察できるように、この曲はシューベルトがこの詩人・レルシュタープとは、最終的に訣別する記念すべき作品と言ってもよい。これは前の曲の重苦しさとは打って変わって、最後まで明るい長調と馬のひづめのような闊歩するリズムに貫かれている。この曲をレルシュタープの詩による歌の最後を飾る位置に据えたことは、単に原詩の順序にしたがったからだ、と言ってしまえばそれだけのことであるが、あえて作曲家の心理に立ち入って、要らざる深読みをして見ると、もともとはレルシュタープとハイネという2人の詩人の詩を、一つの歌曲集として作曲し、発表しようと考えていたシューペルトとしては、本当の意味で肺腑を衝く作品に出会えなかったレルシュタープの詩と別れて、いよいよこれから真に「言葉に威力を持つ詩人」である若いハイネの詩に挑もうとする、期待と希望と興奮すらうかがえる、まるで弾むような「別れの歌」なのである。

闊歩する馬のひづめは、当然ながら当時の唯一の高速交通手段であった馬車を象徴するものであるが、この馬車に乗って旅に出る主人公には、これから孤独の旅に出ようとする人の「別れの辛さ」とか「後ろ髪を引かれる思い」、というような趣は微塵も伺うことが出来ない。只ひたすら新しい天地に向かって歩を進める、期待と興奮に胸を弾ませるヒーローの姿ばかりが描かれている。これはまことにシューベルトらしからぬ「翳りのない明るさ」である。しかし本当にそれだけなのであろうか?

この主人公が町を去るにあたって、別れを告げている対象は多岐にわたっており、全体が6つの段落からなっていることに照応して、その対象も華やかな街角や親しい人物(とくに女性)たちから、植物や自然の風物、太陽や星、山や川、そして最後に「窓辺の灯り」にまでおよんでいる。この主人公の胸のうちを推測して見るなら、彼は決してこれらの別れの対象に対して、未練や執着を断ち切ることのできた人間ではない。むしろ逆に余りにも深い愛着があったがゆえに、このような別れを迎えなければならなかった、「悲しみの人(Man of sorrows)」といってもよい人物に違いない。だからこそ6連にもわたって繰り返し、彼は「もはや未練はない。追っても無駄だ」という、非情な別れのセリフを投げつけるのである。これはいかに彼が、これらの対象に深い愛着と未練を感じていたかという、何よりの証拠と言うべきである。だからこの曲もまた、他の圧倒的多数と同様、シューベルトの語ったといわれる次の言葉を立証している、と言わざるをえない。

「君たちは明るい音楽というものがあると思うのか?僕には全く信じられない」。





 

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